第3話 鉄錆と魔法陣
アッシュヒルを後にし、東へ続く荒野を歩いた。親方のハンマー、わずかな食料と水、古い機械部品を背負い、振り返らなかった。心には悲しみと怒り、そして自分の力の謎を抱えて。見渡す限り乾いた荒野。岩陰や旧時代の残骸で眠る夜は孤独だった。水も食料も尽きかける。時折フラグメントらしき足跡を見つけ肝を冷やしたが、危険には遭わなかった。右腕の火傷の紋様は数日で消えたが、あの力の感覚と親方の最後の顔は焼き付いて離れなかった。
(情報も、食料も、何もかも足りない…)
焦りが募る五日目の夕暮れ、丘陵の先に無数の灯りが見えた。
「……街だ」
かすれた声が漏れる。巨大な街の輪郭。
(あそこなら…!)
疲れた体に力が湧き、灯りを目指した。その街が「クロスロード」だと知るのは後だった。
クロスロードは巨大な鋼鉄の城壁に囲まれた、活気と混沌に満ちた都市だった。城門は巨大で、監視カメラや銃座が警戒している。衛兵に荷物を念入りに調べられ、粗末な身分証がなければ入れなかっただろう。街の中は別世界の騒がしさだった。露店には錆びた機械部品、魔石、薬草、お守り。ケーブルが蜘蛛の巣のように張り巡らされ、色褪せた広告や魔法陣が描かれている。活気はあるが危険と隣り合わせのエネルギーに満ちていた。オイルと埃、糞尿、香辛料、汗の匂いが混じる。
まず情報が必要だった。シファーグについて。僕自身の力の謎について。ガラクタをわずかな金に換え、酒場を回ることにした。酒場「鉄のジョッキ亭」は薄暗く、様々な客でごった返していた。安エールを頼み、カウンターの隅で会話に耳を澄ませる。傭兵たちが「歪み」について話していた。突然地面がよじれ、仲間や荷物が音もなく消えたという。
「残ったのは、赤黒く焼け爛れたみてえな、捻じ曲がった大地だけ…」
片腕を失った元兵士らしき男が虚ろな目で呟いていた。
「…あの赤い目に見られたら…おしまいだ…鉄が…消えたんだ…空間ごと…ああ…脳が…声が…星が落ちてくる…!」
「東の交易路も完全に封鎖された。シファーグ警戒だ」
「軍の最新兵器でも歯が立たねえって噂だ」
「魔法使いどもは?」
「だめだめ。高位の魔法ほど、あの異常空間じゃ制御不能になるらしい。暴発するか…『何か』に利用されるって話だ」
(軍も魔法も通用しない…?)
情報は断片的で、シファーグの全体像は掴めない。人々はただ理解不能な脅威に怯えているだけに見えた。僕自身の力の謎についても手がかりはない。
「覚醒者」という言葉を囁く者もいたが、力の暴走者であり、忌み嫌われているようだった。迂闊に口外できない。得られたのは恐怖を煽る噂とシファーグの異質さだけ。焦りが募る。
(残る場所は…ダウンサイドか…)
街で最も危険で無法な一角。だが、情報が集まる場所でもあるという。
足は自然と街の奥深く、薄暗い路地へ向かっていた。ダウンサイドはクロスロードのさらに奥深く、ねじれた路地が迷宮のように続く、太陽の光も届かない場所だった。壁は煤け、道には汚水が流れ、ゴミが山積みになっている。剥き出しの配管から火花が散り、落書きのような魔法陣がいかがわしい光を放つ。
「よぉ、兄ちゃん。カモにされちまうぜ?」
と軽薄な声がかかった。振り返ると、小柄な少年が立っていた。短い黒髪、継ぎはぎのジャケットとカーゴパンツ。腰にポーチ、背中に奇妙な形状のサブマシンガン。悪戯っぽく笑っているが、瞳は鋭く僕を品定めしている。
「何かお探しで? このダウンサイドの情報なら、俺が一番詳しいぜ? ま、タダじゃねえけどな」
「……情報屋を探している」
「ほう。どんな情報が欲しいんだ?」
「…シファーグについてだ。それと…『力』について…原因不明の、力の暴走について何か知らないか?」
少年の表情がわずかに変わった。
「…シファーグ、ね。それに『力の暴走』か。…で? 『対価』は持ってるのか?」
「…金はあまりない。でも、情報は欲しいんだ」
「はっ、やっぱりか。じゃあな」
少年は背を向けようとした。
「待ってくれ! 何か手伝えることがあれば、何でもする!」
少年は少し驚いたように足を止め、僕を見た。
「…ふーん。一つだけ方法があるぜ」
悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「厄介な『仕事』があるんだ。お前、いい体してるな、妙に頑丈そうだ。手伝ってくれるなら、情報料はタダにしてやる」
「仕事?」
「ああ。クロスロード地下の旧時代のメトロ跡地…そこに眠ってる『お宝』の回収だ。まあ、厄介な連中の縄張りだし、旧式の警備ロボットもいるみてえだがな。無事には帰れねえかもしれねえぞ?」
危険だが、他に情報を得る手段はない。
「…分かった。引き受けるよ」
「よし、交渉成立だ! 俺はデアジュ。よろしくな、…えーっと?」
「ガストだ」
「ガスト、ね。覚えたぜ。早速行くぞ。案内してやるから、ついてこい、相棒!」
デアジュはひらりと身を翻し、入り組んだ路地を進む。崩れかけた工場の廃墟裏、ゴミの山の下に隠された錆びたハッチを見つけた。
「旧時代の地下通路だ。メトロ跡に繋がってるはずだ」
彼は奇妙な鍵でハッチを開けた。暗く湿った空気とカビの匂い。
「準備はいいな? 地下は地上よりタチが悪いぜ」
僕は頷き、デアジュと共に暗闇へ降りていった。中はひどい湿気とカビの匂い。非常灯が頼りなく明滅している。デアジュから渡された暗視ゴーグルを着けると視界が緑に変わった。
「足元に気をつけろよ。崩れやすい場所もあるし、変なモンが住んでるかもしれねえ」
彼は小型装置を手に、軽やかに進む。崩れたトンネルやホーム跡を進む。デアジュの装置が警告音を発した。
さらに奥へ進むと、脱線した車両の残骸があった。
「この中に、動力源に使われてた古い『エネルギーセル』がある可能性がある。高く売れるぜ」
デアジュは歪んだ扉に手をかけるが、びくともしない。
「ちっ、硬えな…ガスト、出番だ」
僕はハンマーで扉の蝶番あたりを数回叩きつけ、隙間を開けた。
「よし! さすがだな、怪力!」
デアジュが隙間から滑り込み、僕も続いた。車両の中は暗く、埃と腐敗臭。座席は朽ち、床には機械の残骸や白骨。
「あった! これだ!」
デアジュが壁に埋め込まれた鈍い銀色の箱を指さす。旧時代の文字が刻まれたエネルギーセルだ。
「まだ生きてるか分からねえが、これだけでも結構な値になるぜ!」
彼が工具でセルを取り外そうとした時、車両奥からカシャカシャと金属音。そして赤い光がいくつもこちらを向いた。
「げっ! まずいぜ、ガスト! やっぱりいやがったか!」
暗闇から現れたのは、錆びついてはいるが、回転ノコギリや溶接バーナーを装備した金属製の蜘蛛のような警備ロボットだった。数体いる!
「Target confirmed. Eliminating intruders.」
無機質な合成音声と共に襲いかかってきた。
「くそっ」
デアジュはサブマシンガンを構える。
「ガスト、援護しろ!」
僕もハンマーを構える。デアジュが冷静に関節部やセンサーを狙う。一体の動きが鈍った。
「そいつだ、ガスト! 関節を狙え!」
僕は動きが鈍ったロボットの関節部を破壊する。しかし、別のロボットがデアジュに側面から迫る。彼は気づくのが遅れ、サブマシンガンを弾き飛ばされた。
「しまっ…!」
ロボットの溶接バーナーがデアジュに振り下ろされる!
「デアジュ!」
僕は咄嗟に彼を突き飛ばした。熱い!バーナーの熱線が僕の右腕を掠める。服が焼け焦げ、肉が焼ける嫌な臭いと激痛。
「ぐっ…!」
「ガスト! てめえ、馬鹿野郎っ!!」
デアジュの絶叫。彼は素早く腰のポーチから円筒形の装置を取り出し、ロボットたちの足元に投げつけた。強烈な光と衝撃波が発生し、ロボットたちは火花を散らして機能を停止した。EMP攻撃だ。
「…はぁ、はぁ…!」
デアジュが肩で息をしながら僕に駆け寄る。その顔は怒りと…それ以上の、何か別の強い感情で歪んでいた。
「てめえ! 何考えてやがる! 俺を庇って死ぬ気か!? 二度と…二度とあんな真似すんじゃねえぞ…! 分かったな!?」
その剣幕は、ただ僕の無茶を咎めているだけではない、何か切実な響きを帯びていた。まるで、過去に同じような状況があったかのように。彼の瞳の奥に、一瞬だけ深い悲しみの色がよぎった気がした。
「ご、ごめん…体が勝手に…」
デアジュははっとしたように手を離し、顔を背けた。
「…ちっ。腕、見せろ。酷い火傷じゃねえか…」
僕は右腕を見た。服は焼け焦げ、皮膚は赤く爛れている。酷い火傷のはずだが、見た目ほどの激しい痛みは感じず、ジンジンとした熱を持っているだけだ。デアジュはポーチから軟膏と包帯を取り出し、黙って応急処置を施してくれた。
「…普通じゃねえな、お前」
処置を終えた彼が呟いた。
「その回復力…それに、さっきの動きもだ」
「え?」
「いや、なんでもねえよ」
彼は首を振った。
「それより、とっととブツを回収してずらかるぞ! 他の奴らが来るかもしれねえ」
彼は手早くエネルギーセルを取り外し、使えそうなロボットの部品も剥ぎ取ってポーチに詰めた。
「よし、ずらかるぞ!」
僕たちは再び薄暗い地下通路へ戻った。帰り道も油断できなかった。通路の一部が崩れかけ、間一髪で駆け抜ける。倒したはずのロボットが再び動き出すが、僕がハンマーで赤い単眼を砕き、沈黙させた。
「…へっ。やるじゃねえか、ガスト」
デアジュが口笛を吹いた。
その後もトラブルを互いにカバーしながら切り抜け、ようやく入り口のハッチへとたどり着いた。地上の薄汚れた空気の中に這い出し、二人で大きく息をついた。
「…ぷはぁ! やっぱり地上の空気はうめえな!」
デアジュが悪戯っぽく笑う。
「ああ…生きた心地がしなかった…」
僕も思わず笑みがこぼれた。デアジュは僕の腕を見て眉をひそめた。
「…で、その腕、本当に大丈夫なのか? さっきより赤みが引いてる気がするんだが…」
「え?」
自分の腕を見ると、酷かったはずの火傷の跡が、もうほとんど分からないくらいに薄くなっている。デアジュは呆れたような、それでいて何か面白いものを見つけたかのような、複雑な表情で僕を見た。
「ま、いいや。おかげで助かったしな」
彼はそう言うと、エネルギーセルを取り出しニヤリと笑った。
「さて、と。こいつを換金しに行くか。大儲けだぜ!」
闇市場へ向かい、デアジュは慣れた様子で交渉し、品物を高値で売りさばいた。
「ほらよ、約束の報酬と、情報だ」
取引後、デアジュは札束の半分と一枚のデータチップを僕に渡した。
「シファーグについては、やっぱりロクな情報はない。下手に嗅ぎまわると最近暴れてる『黒の組織』の連中に目をつけられるかもな。だが、力の暴走…『覚醒者』って呼ばれてる奴らが、稀に現れるって噂ならある。原因不明で強大な力を手に入れるが、大抵は暴走して自滅するか、黒の組織に『処理』されるか…まあ、お前がそうだとは限らねえがな。気をつけるこった」
覚醒者…。僕の力はそれなのか?そして「処理」される…?不吉な言葉が胸に引っかかった。
「それと…」
デアジュは少し言い淀んだ。
「ま、今回はお前の無茶のおかげで助かった。借り1つ、だな」
「いや、僕の方こそ…」
「いいってことよ」
デアジュはニヤリと笑った。
「で、どうだ、ガスト? このまま俺と組まねえか? お前のその馬鹿力とタフさは使えるかもしれねえ。俺の頭脳と技術と組めば、もっとデカいヤマが狙えるぜ。それに、お前が探してる情報も、俺の情報網があれば集められるかもしれねえぞ?」
彼の目は打算の色が濃いが、地下での経験を経て、単なる利用価値だけではない、何か別の響きも感じられた。一人で生きのこれる自信はなかった。
「…分かった。よろしく頼むよ、デアジュ」
「へへっ、決まりだな!」
デアジュは満足そうに頷いた。
「よっしゃ、それじゃあ、まずはこの金で装備を整えて、次は東だ! もっと面白いモンと、お前の力の謎の手がかりが待ってるかもしれねえぜ!」
こうして、僕と情報屋で道具使いの少年デアジュとの、奇妙な旅が始まった。
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