第15話 エピローグ


 カリカリカリカリカリカリカリ

 カリカリカリカリカリカリカリ



 窓から日が差し込み、時折やわらかな風が通り抜ける部屋の中、

 紙の上をペンが走る音が止まらず続く。



 カリカリカリカリカリカリカリ

 カリカリカリカリカリカリカリ

 カリカリカリカリカリカリカリ

 カリカリカリカリカリカリカリ




「アリーチェさん、昼食はどうします?」


「ここで食べるから片手でつまめるものにして」




 カリカリカリカリカリカリカリ

 カリカリカリカリカリカリカリ

 カリカリカリカリカリカリカリ


 カリカリカリカリカリカリカリ

 カリカリカリカリカリカリカリ

 カリカリカリカリカリカリカリ



「アリーチェさん、お客様がお見えです。

 ハルト・メルクリオ様とジーロ・メルクリオ様という方です」


「ここにお通しして」


 カリカリカリカリカリカリカリ

 カリカリカリカリカリカリカリ



「やあ、アリーチェ。一ヶ月ぶりだね」


「ええ、久しぶり。この書類だけ終わらせてしまうから少しだけ待って」



 カリカリカリカリカリカリカリカリカリ、カタリ

 アリーチェはペンを置き、書き上げた書類を積み上がった紙束の一番上に置いた。



「こんにちは、ハルト、ジーロさん。元気だった?」


「ああ、この通り。少し軟禁生活が長かったけど、怪我は無かったよ。健康そのものさ。

 もう少し早くお礼に来たかったけど、忙しくて遅くなってしまった」


「アリーチェさん、その節は大変お世話になりました」



 トンマーゾと決着をつけてからその後、アリーチェからの要望はおおむね通り、メルクリオ毛織物工場も守られた。経過は順調で、今はひたすらその事後処理に追われていた所だ。



「取引の精算はダンディーニ商会の方でやってくれるかと思ってたのに、ジャンマルコさん、こっちに仕事を回してくるのよ。書いても書いても終わらない」


「大変そうだね。良かったら、手伝おうか?」


「え、本当?」



「実を言うと、僕は工場の経営を外れる事になったんだ。親戚から物言いがついてね。結果は良かったとはいえ、工場の金で投資をする奴には任せられないって。ジーロも巻き添えだ」


「それは申し訳無い事になってしまったわね。ごめんなさい、ジーロさん」


「いえ、いいのです。あなたのおかげで工場がトンマーゾさんの手に渡る事はなかったのだし、私とハルトの立場が逆でもおそらく同じ選択をしていたのではないかと思います」


「それで、僕らは仕事を探しているところさ。

 アリーチェ、君はまた別の事業を考えているんだろう?僕らが参加できるような事はあるかな」


「それは嬉しい申し出だけど、もう合名会社でやってたみたいに派手な事にはならないわよ?」



 内海の悪魔の影響について、各地の情報が出回るようになった。船舶と港への被害により船便の数自体が限られるようになり、交易は大手の商人により独占の傾向が強い。

 天候は安定し、また嵐の影響を受けやすい喫水の浅い海賊の船が多く沈んだようで、航海自体は安全になっている。

 市場は安定を見せ値動きは落ち着いていて、既に相場で大儲けというような状況では無くなっている。



「それに、資金もそこまで潤沢じゃないのよね。ほらこれ」


 アリーチェは一枚の書類を取って渡した。都市債の証書だ。


「おやおや、これは随分がっつりと取られたもんだね」


 メネルウァの発行する都市債は、その購入が上級市民の義務とされる。後の世で言う所得税のような物だ。

 メネルウァの特別市民権を得たアリーチェにもそれは課せられ、その額は1000メルラン。資産をメネルウァ行政府に売って得た金の半分だ。


「それに加えて、市民の義務としてメネルウァ市内に家を持つというのがあるでしょ。

 この物件を買って、プレスティ商会の社員だった旦那さんが亡くなって勤め先を探していた未亡人の人をハウスキーパーに雇って、それから内陸の交易に200メルランほど資金を出しておいたわ。後自由に動かせるのが400メルランくらい」


「まあ妥当なところじゃないか。良い家だと思うよ。

 それで、次は何をするんだい?」


「具体的な予定はまだ何も決まっていないのだけどね。セトランスで何か始めようと思ってる」


「セトランスか、またなかなか難儀な場所を選ぶね」


「どうする?ついて来る?」


「いいよ、親戚の所で働くよりよっぽど面白そうだ」


「そう、じゃあ手始めに、こっちの書類の束の計算をやってくれると助かるわ。机を移動してもらってくるから待ってて」



 アリーチェはハウスキーパーの女性を呼びに行った。

 残ったハルトとジーロは互いに目配せをする。


「本当、元気のいい子だなあ。この家で落ち着いてたっていいのにもう次を考えてる。ジーロの言った通りかもね」


「ええ、彼女はこれからも目一杯に無茶をしていくと思います。

 あの子には信頼できる仲間が必要です。そんな人達があらわれるまでは傍で支える、それが恩返しというものでしょう、兄さん」





◇◇◇





「こんにちは、ジャンマルコさん。精算の書類、仕上がったわ」


「早かったな、預かろう」


 メネルウァ商業区のカフェ、ジャンマルコが仕事場にしている奥の一席に、紙束が積み上げられた。

 ジャンマルコは頷き、書類の束をざっと確認していく。


「見た所問題はないようだな。結構。

 不本意ながら後見人になってしまった身としては、これくらいはこなせるようでないと困るからな」


 ジャンマルコから渡された仕事は、アリーチェの試用としての意味もあったのだろう。

 ダンディーニ商会を引退した彼が新たな特別市民の後見となるのは異例と言えるが、アリーチェの存在自体がイレギュラーだ。破れ鍋に綴じ蓋といった所だろう。


「こっちも鑑定の結果が出た。あの鳥の模型はウォルトゥナのオルニス・ヴィスタと同じ物と認定された。学者先生達がえらくお喜びだったぞ」


「それは良かった。言っていた通り、私は権利を手放すから上手く収まるようにしてね」


「ああ、問題ない。

 さて、今後のことだ。セトランスで商売をしたいという事だったが、意志は変わらんのかね」


「ええ、そのつもりでいるわ」


「そうか。知っているだろうが、あの街は特殊だ。

 冒険者を名乗る遺跡漁りどもは無頼気取りで話が通じん。魔術連盟も彼らのルールで動く。

 メネルウァの支配下ではあるが、あまり支援はできんぞ」


「私もあの街に伝手がある訳ではないんだけどね。大丈夫、なんとかするわ」


「ふむ。まあ足掛かりを作ってくれるのならありがたい。お前の才能に期待するとしよう。

 あっちの商館には話を通しておくから現地に着いたらまずは顔を出すと良い」


「わかりました。ありがとうございます」





 一通り話を終え、アリーチェが店を出ていった後。

 ジャンマルコは先程まで金髪の娘が座っていた席を見ながらコーヒーをすすった。


「やれやれ。カルロも我の強い女を育てたものだ。どんな教育をしたのやら」


 この齢になってから若い娘の相手をする事になるなどと、思いもよらないことだったが。まあ向こう見ずで未熟な商人を導いてやるのも老骨の役目ではある。

 魔道具一つでメネルウァを引っ掻き回してくれたあの新米の商人が、名のある商会も手を出したがらない古い街で何をしてくれるのか。

 新しい予感を感じている自分に気づいて、ジャンマルコは普段人に見せるものとは違う、自然な笑みをこぼした。





◇◇◇




「さあ、これから旅の準備を始めないとね」


《もうこの街での活動は終わりでいいのかい?君の財産、かなり目減りしてしまったんでしょ?》


「とりあえずは十分。投資した商隊が戻れば確実に利益も出るし、一番必要だった特別市民権は手に入ったもの。セトランスはメネルウァの支配下だから、きっとあなたの依頼の役にも立つはずよ」


《そうなんだ。計画が前進して僕らの仕事に取り掛かってくれるというなら喜ばしい事だね》



 本当は、やろうと思えばメネルウァでまだまだお金は稼げる。市場が落ち着いたとはいえアーテルの遠見の球の優位性は変わらない。

 市民権を得た今なら自分で証券取引所に出入りしてもいいし、全力で投資に参加しても良い。

 各地の天候が見えるのだから農作物の先物取引は確実に勝てる。船の様子がわかるのだから保険業をやってもいい。

 アーテルの仕事の期限は5年という事だったが、それを後回しにして1年か2年商売に専念するだけでも、独自に帆船を所有する規模の商会を築くのも全く不可能ではない。


 ああ、だがしかし、何でも見えているくせに商売の事など知らないと嘯くアーテルは、アリーチェに対して誠実だったのだ。

 正直で、頼みは全て聞き入れ、先回りして物事が都合よく運ぶよう取り計らってくれた。少なくともメネルウァでの活動中、悔しい事に、この黒猫は約束を破る事は無かった。


 ならば、アリーチェも彼に対して誠実でなければならない。彼らが自分には及びもつかない高度な技術を持っているからと言って、対等である事をやめてはならないのだ。



「とりあえず、先にトゥランの村に行きましょう。エリスさんのいるテルミナリアで化粧水をもらいたいし、マカーリオとも落ち合って話ができるかもしれない」


《それはいいね、テルミナリアに戻るならちょっと見せたい物があったんだ》



 トゥランでは友人のエルダにも会いたい。セトランスでは母ロレッタの足跡を追うのもいいだろうか。

 とりとめもなく未来に思いを馳せながら、アリーチェは市の開かれている広場の方へと、ブーツの踵で石畳を鳴らして歩いていった。




────────────────────────────────────


話はここまでとします。

好きなように書いたんですが、小説は難しいものですね。

読んでいただいた方、また応援してくださった方、本当にありがとうございました。

次も頑張ろうと思います。

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お金持ちのアリーチェ ──没落し婚約破棄され都を追われた成金娘が猫と一緒に成り上がる話── 5es @akina2022

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