第3話 潜む影

 一度、家に帰ることを決めてから数分後、神託ゴスペルが降らず、それに付随した帰宅ルートの自動演算も使えずに、必死に地図と睨み合いをしていた時。

 背後から人の気配が伝わってきた。


「あなた、神託ゴスペルが聞こえないのでしょう?」


 夕暮れの裏路地。途方に暮れる私に投げかけられたその問いは、きっと合図だったのだろう。

 序章プロローグの終わり。そして、第一章の開幕の。


「...なんの、ことかしら?」


「そう隠されなくて結構ですよ。あなたが神託ゴスペルを聞けないことは簡単に分かります。今どき、わざわざ地図を凝視する人なんて神託ゴスペルが聞こえないと相場が決まっているのですから」


 得意げに語りながら私の前に立ったのは、いかにもな胡散臭さを全面に押し出した青年だった。


「......それが、自己紹介より先に言うことなの?」

「これは失礼しました。私は浅霧あさぎと申します」


 そう言って慇懃に一礼すると、彼は小さな紙を取り出した。


「これは?」

「名刺ですよ。今ではすっかり廃れましたが、昔はそれを使っていたんです。互いに神託ゴスペルを使えないのならこういった方法を使うしか無いでしょう?」


「へぇ、あなたも〈ファルティア〉に見放されたってわけ?」

「まあ、そんなところです。強いていうなら、私が〈ファルティア〉を見放した、という方が正しいかもしれませんが」


 そう言いながら彼は私に名刺を押し付ける。

 表には簡潔に『浅霧あさぎ よう』とだけ書かれていたが、裏を見ると赤と白の人形が組み合わされた絵が描かれていた。


「紅白の人形の紋章...聞いたことがあるわ。反〈ファルティア〉組織のマークでしょう。あなた、主義者ね」

「ええ、その通りです。私達はこの都市を虚構から解放する者。そして、あなたにもその一員になってもらいたい」


 まったく、今日は予想外のことばかり起きる。

 原因不明の蘇生の次は怪しげな秘密結社からの勧誘ときた。

 手早く死んで終わらせるはずだった予定はもうめちゃくちゃだ。

 

「悪いけど、私はそんなご大層な志なんて持ってな───

「この都市にある空も、ヒトの願望ですらも虚構にすぎない。そして、その虚構すらも都市管理AI〈ファルティア〉に支配されている。だからこそ、我々は問わねばならぬのです!

ファルティア無機の女神〉こそヒトの先導者たりえるのか‼︎」

 

 浅霧は、私の返答に耳も貸さず熱弁を振るっていた。

 そのほとんどは狂気すら感じさせる、彼の自己満足に近い話だったが、中には気になる話もあった。



「〈ファルティア〉に問う?」

「ええ、我々は当事者として〈ファルティア〉が下す神託ゴスペルは、我々を何処へ導くのか、それを聞く権利があるはずです」

 しかし、と周りを引き摺り込むかのような熱烈さで彼は続ける


「〈ファルティア〉は沈黙を保っている!彼女は今も未来を演算し、数多の信者に神託ゴスペルを与えていながら、その信者達の疑問に答える事はない」


 話を聞き流しながら、私は彼の組織について考えていた。

 正直、彼の言っている陰謀論だか誇大妄想だかすら判別のつかない話に興味は無い。

 だけど、〈ファルティア〉に直接問いに行く、なんてことができるなら話は別だ。

 ちょうど、ついさっき私は〈ファルティア〉に会う理由ができた。

 〈ファルティア〉に会いに行く。その一点においては、彼らと協働できる気がする。


『貴女は、死ぬ。どうしようもなく死んでしまう。もしもそれで救われるというのなら───ごめんなさい』


 私にとって最後の神託ゴスペル。その、まるでソプラノの声を持つ男子の様な響きは、今もなお私の耳を呪縛していた。

 〈ファルティア〉は神託ゴスペルを与えるために未来を予測し続ける装置でしかなく、そこに意志も感情も存在せずに、最善を選び続けるはずだ。

 なのに最後の一言は、最善というにはあまりにも不必要で、感情的だった。

 もし、〈ファルティア〉に何かがあるのだとしたら、私はそれを解き明かしたい───それが、私に与えられた最後の導きだから。


「......わかった。少し、あなた達に興味が湧いてきたかもしれない」

「素晴らしい。あなたならそう言ってもらえると信じていましたよ。それでは早速、あなたを私達の拠点ホームに案内しましょう」


 まったく奇妙な話だが、ここに秘密結社と死に損ないの少女の協働体制が確立した。

 第一章の主演達は、続々と舞台に上がり始めたのだ。


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ゴスペル 敢然春河 @nikonove

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