災い転じて

三回の表――中野の攻撃

0アウト、走者なし

スコアはまだ0-0


フィールドの選手たちがダイヤモンドからジョギングで戻ってきた。

グローブを軽く叩き合わせる音が静かに響く。


スコアボードは0-0のままだったが、空気が変わっていた。

張り詰めた熱が、ようやく試合を本物にした。


司堂セイヤはマウンドに戻り、肩を軽く回した。

視線が再びダグアウト脇のフェンスへ向かう。


また聞こえる——規則正しいバットの音。

中村ハヤトが、まだ振り続けている。


あのヤツ……試合開始から一度もバットを下ろしてないぞ。

罰ゲームでもやってんのか?


セイヤは首を振った。


チッ。

どうでもいいこと気にしてる場合じゃねえ。

ただの控えだろ。


三宅ソウタがプレート後方から駆け寄ってきた。

マスクを外す。


「どうしたセイヤ。緊張でもしてんのか?」


セイヤは鼻で笑った。


「満塁作って、結局ゴロ打たされて終わったお前に言われたくねえよ」


三宅は小さく笑った。


「言うなよ。俺なりに振りに行ったんだから」


セイヤはフェンスの方へ顎をしゃくった。


「あのバカみたいにやれよ。

腕が落ちるまで振り続けろ」


三宅はそちらを見て、くすりと笑った。

今度は低く。


「言うか迷ったけどさ……

あのヤツ、気をつけた方がいいかもな。


今日出ないかもしれないけど、

なんか嫌な予感がする」


セイヤは目を細めた。


「考えすぎだろ。

ただの控えが必死にアピールしてるだけだ」


三宅は肩をすくめた。


「そうかもな。

でも、俺が言わなかったって言うなよ」


セイヤは手を振った。


「分かったよ。

早く投げさせてくれ」



フェンス脇で、ハヤトは一瞬息を整えた。

筋肉が熱く、腕が重い。


視界に勝手に現れたシステム画面。


Swing Progress: 143/100


なんだよこれ……

143回しか振ってない?


もっとやってる気がしたのに。


歯を食いしばり、再びバットを振る。


耐久性とスタミナにポイント振っといてよかった。

これじゃなかったら、もう持たねえ。


ダグアウトから山田監督が、

眉をひそめてハヤトを見つめていた。


どうしたんだ中村。

お前が目立とうとしてるのは分かる。


だが、俺はお前が振り続けてるからって

試合に出すわけじゃない。


山田は小さく息を吐いた。


お前の苛立ちは分かる。

だがこのままじゃ、怪我する前に止めなきゃならん。



三回の表が始まった。


小倉ナツキが打席に立つ。

肩に力が入っている。


これが……

日本最速クラスの投手と対峙する感覚か。


プレッシャーが半端ない……

でも、ここで逃げたら終わりだ。


司堂が最初に投げたのはライジング・ファストボール。


ナツキは見送る。

ストライク。


なんだあれ……

上がるはずじゃなかったのか?


司堂は続けて二球目、三球目——

すべて同じ球種だった。


ナツキは一度も振らず、三振。


観客席がざわついた。


「俺だったら一回は振るけどな」

「あんなヤツに打席与えるなんて誰の判断だよ」


ナツキは悔しさを噛みしめながらベンチへ戻る。


簡単に言うなよ。

俺だって何度も試したんだぞ……。



上杉コウキが打席に入る。


ナツキのことは気にするな。

俺は責めない。


この投手は、もう別次元だ。


でも……

対抗するなら一つだけ方法がある。


来いよ、司堂。


三宅は違和感を覚えた。


七人抑えた後で、

八番がこんな目をしてるのはおかしい……。


三宅はサインを出した。

気をつけろ、と。


司堂は頷いたが、

深くは受け止めなかった。


いつも通り、ヒートを投げ込む。


ボールが手から離れた瞬間、

司堂が叫んだ。


「何考えてんだ、馬鹿野郎!」


ボールがわずかに内側へ。


上杉は、さらに体を寄せた。

必要以上に。


ボールを追い、

体をずらし、

背中を晒して衝撃を覚悟する。


肩が、明らかにゾーンに入る。


――バム!


155km/h超のファストボールが

左脇腹に直撃した。


上杉は崩れ落ちた。


観客がどよめく。


「当たった!」

「待て、死球か?」

「155km/h以上だぞ……」


山田監督がベンチから飛び出した。


「何考えてんだ!

誰もそんなこと頼んでねえぞ!」


審判が前に出て、腕を広げた。


ストライク。

死球なし。


故意に当たりに行ったと判断された。



上杉は地面に座り込んだまま必死に言った。


「違う……

あれはまっすぐ俺に向かってきたんだ!」


審判は首を振り、判定を変えない。


上杉は立ち上がろうとしたが、

左脇腹に鋭い痛みが走る。


立てない。


くそ……

ヒビ入ってるかもしれねえ。


右手を挙げ、タイムを要求した。


山田監督がダグアウトの選手たちを呼ぶ。

ハヤトはバットを置き、

一緒に駆け寄った。



スタンドで誰かが呟いた。


「ど、どうなるんだ?

続行できないだろ……」


ざわめきが広がる。


佐久間ユウイチは、

視線をフィールドから外さずに答えた。


「彼はもう終わりだ。

死球は認められなかった。


審判は、

故意に体を入れたと判断した」


「じゃあ、一塁に行けないのか?」


「行けない。

厳しいが、高校野球では普通だ」


短い沈黙。


「……じゃあ、次の打者は?」


「代打が出る」


佐久間は淡々と続けた。


「カウントはそのまま。

状況も、そのままだ」


メガネを押し上げる。


「ウォームアップなし。

リセットなし。


ストライク数、

プレッシャー、

投手の流れ——


全部、引き継ぐ」


佐久間は静かに息を吐いた。


「それが残酷なところだ。

打者は、最初から不利な条件を背負う」



フィールドでは、

チームメイトが上杉を支えてダグアウトへ向かう。


審判が交代を告げた。


山田監督が前に出て、

ベンチを見回す。


「中村」


ハヤトは、一瞬気づかなかった。


だが次の瞬間、理解する。


――え? 今?


山田の声が、もう一度響いた。


「行け。

お前が代打だ」


ハヤトの心臓が強く鳴った。


ダグアウトが静まり返る。

すべての視線が、彼に集まった。


ハヤトはヘルメットを手に取り、

ジョギングで打席へ向かう。


試合は、

ここで変わった。

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「野球神」冴えない二軍球児が野球神のRPGで甲子園をぶち抜く! Akabane @akabane04

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