第3話―② アツすぎるんだよ

 夕食の時間になったのを機に、俺は病室を出た。


 同じフロアの、自動販売機や電子レンジが置いてある一角いっかくに移動する。

 ソファに座って、スマホを確認すると、直前に父親からラインが入っていた。


 仕事が終わり、いまから、懇親会に出席するとのこと。

 こちらは変わりない、とメッセージを送ると、すぐに『既読』がついた。


『晩ご飯は、ちゃんと食べたのか』

との問いに、

『ご飯は、病院の帰りに買って、家で食べる』

と答える。


『無理せず、早めに帰れ』

『うん』

『明日、朝イチの新幹線で帰る』

『了解』

のスタンプを押し、

『気をつけて』

と、書き加える。

 小林幸子こばやしさちこが「ありがとう」と言っているスタンプが返ってきた。


「さて、と」

 ぬるくなったミネラルウォーターをちびちび飲みながら、俺は、ネットで検索けんさくする。


 カメのスピリチュアルな意味について。


「幸運、長寿、金運、知恵、水神の使い……」

 ささっと調べた感じでは、「破壊」や「舞踊ぶよう」はなさそうだ。

 やはり、頼まなくて正解だ。


長寿ちょうじゅ……、か」

 ぶるっと体が震えた。武者震むしゃぶるいだ。


 待て待て、迫田さこた英介えいすけ、よく考えろ、と、はやる自分を心のなかで押しとどめる。


 ミッシーはなんと言っていたか。

(おおよそ、ことわりのうちならば、だ)


 ミッシーの言う「ことわり」からはずれることを頼んでも、きっとかなえられない。

 「理」のうちなら、叶えてもらえる。

 少なくとも、手助けしてもらえる。

 おそらくは、そういうルールだ。


 ならば、ばあちゃんを元のばあちゃんに戻してくれと頼んだら、どうなる?


 元のばあちゃん、が、曖昧あいまいすぎるかもしれない。


「健康な状態にしてくれ。いや、認知症を治してくれ、か?」

 カメが、長寿をつかさどるなら、長寿の範囲はどこまでなのか。

 そして、その状態は、「いつまでつ」のか。

 俺の願望が実現したとしても、一生続く保証はあるのか?

 また同じことになったら?


 俺は、少しずつ世間の常識から外れ、社会性を失っていくばあちゃんを、また1から見なければならないのだろうか。


 それは、いやだ、と、瞬間的に強く思った。


「くそっ。ミッシーを病院まで連れてくればよかった」


 いったん、家に戻って、また病院に来ようかとも考えたが、面会時間は午後8時半までだ。

 もう7時をとっくに回ってしまっている。

 

 あの、のらりくらりとしたカメに、こちらの望みを100パーセント叶えてもらうためには、細かいところまで確実にめておかなければならないだろう。


(時間的に、厳しいか)


 俺は悩みながら、病室に戻った。

 ばあちゃんは、半身を起こした状態で、まだ食事の介助かいじょを受けていた。


 倒れて、入院してからこっち、手の震えがひどくなり、自分ではうまくスプーンを持てなくなってしまったのだ。

 トレイの上をちらりと見ると、見るからにまずそうなドロリとした流動食りゅうどうしょくが、うつわの半分以上も残っている。


 俺の戻ってきたことに気づいたばあちゃんが、目の前に差し出されたさじに首を振った。


「お腹いっぱい。もう片付けてくださいな」

「ばあちゃん、ゆっくり食べれば良いよ。俺、手伝おうか?」


「いいの、いいの。本当に食欲がないの。夏バテかねぇ。近ごろの夏は、暑すぎるんだよ」

迫田さこたさん、では、片付けますねー」

 介助かいじょの職員さんが手早く後片付けをしてくれる。


 すべてのお世話が終わり、病室には、また、俺とばあちゃんだけになった。

「英ちゃん、今日も外で遊んでたんだろう? 暑くはなかったかい?」


「ああ、今日も暑かったよ。体育祭の予行演習があったんだけどさ、干からびそうだった」

「体育祭の予行演習。それはおつかれさん。この間、家で特訓していたダンスは、うまくいったのかい」


「いや、あんまり。俺だけ下手で、クラスメイトに怒られた。ばあちゃん、俺がダンスの練習してたの、覚えてるんだ」

 おそるおそる尋ねたら、

「そりゃあ、仏間ぶつまであれだけドタンバタンやられちゃねぇ。死んだじいちゃんも、母さんも、びっくりしたろうよ」

 ばあちゃんは、小さく笑った。


「もしかして、ばあちゃんも、さ、俺のダンスに驚いて、家を出て行っちゃったの、あの日」


 あの日――、9月15日月曜日。

 俺の気づかぬうちに家を抜け出したばあちゃんが、道端みちばたで倒れて、救急車で運ばれた日。

 あの日の気温は摂氏せっし29度。

 帽子もかぶらず、日傘ひがさもささず、水分も持たない老婆ろうばが、昼間ぴるま徘徊はいかいしたなら、どうなるか。


 動けなくなったばあちゃんは、通りがかりの人が119番通報をしてくれたおかげで、一命をとりとめた。


 熱中症だった。


――――――――――――――――――――――

〘脚注〙小林幸子


日本の歌手。YouTuber。

代表曲『おもいで酒』『雪椿』など







 






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