第3話―① アツすぎるんだよ

 市民病院までは、家からおよそ3キロメートルの距離だ。

 途中、ひとつ陸橋りっきょうを越えなければならないだけで、あとはアップダウンのない平坦へいたんな道のり。


 ブリヂストン製の愛車ママチャリは、俺を軽々と運んでいく。


 秋の日はつるべ落としと言う。

 家を出た頃には、傾いた太陽の姿が西の空に見えていたが、自転車を走らせていくうちに、は消えた。いまは、ただ、残照ざんしょうが赤く雲を染めている。


 夕風はいまだ熱をはらみ、せっかく着替えたTシャツがまた汗にれる。

 目的地に着くころには、デイバッグを背負った背中は、魚拓ぎょたくのようになっていた。


 すでに外来診療がいらいしんりょうは終了している時間だが、総合病院の広い駐輪場には、まだ何台もの自転車やバイクが停められていた。


 さきに病棟で受け付けをした。

 自動販売機でレモン風味ふうみのミネラルウォーターを買い、一気に半分ほど飲む。

 見舞い客や看護師とすれ違いながら、病室に向かう。


 そっと扉を開けると、横たわったままのばあちゃんが、首だけこちらを向けた。

 け布団のへりから首を出している姿が、俺に甲羅こうらから首を出したカメを連想させる。


 甲羅こうらに見立てた掛け布団に厚みはない。

 入院してから、またせたように思う。


 ばあちゃんは、5秒ほど俺の顔を凝視ぎょうししたあと、おもむろに、くしゃっと顔をほころばせる。

英介えいすけ


 知らぬ間にこわばっていた肩の力が抜ける。

 大丈夫。「一番良い状態のばあちゃん」だ。


「ばあちゃん、具合、どう」

 俺はベッドに近寄りながら、声をかける。


「具合? いつも通りよ。ぼけちゃったり、ぼけちゃわなかったり」

 ばあちゃんが、自分を茶化ちゃかして答える。

 

「そっか」

「英介、今日、学校では何があったの?」

 ばあちゃんは、いつもこういうたずね方をする。俺が、「学校はどうだった」と聞かれても、うまく答えられない子どもだったからだ。

「……カメに会ったよ」


「あら、まあ」

 ばあちゃんが、くすくすと笑った。

「たぶんだけど、ミナミイシガメ」

「たぶん? ちゃんと図鑑で調べなかったのかい?」


 うちには、ばあちゃんが買い与えてくれた子ども用の図鑑がそろっている。小さいころは、見知らぬ生き物に出会うたびに、せっせとそれで調べていた。

 いま、何かを調べるなら、スマホかPCだ。

 だが、俺は、

「帰ったら調べるよ」

と答えた。


「そうだね。英ちゃんは、動物学者になるんだからね」

 のどの奥が、小さくひゅっと鳴った。


 動物学者になりたかったのは、小学生の頃。


「動物学者も良いけど、医者も良いかなって」

「動物のお医者さん。それも、英ちゃんにぴったりだね」


 ちがうよ、人間の医者だよ。

 俺、何回か、伝えたよ。


「英ちゃんは賢いから、きっと良い高校に入って、有名な大学の獣医学部にだって余裕で入れちゃうね。うちを出てしまうのはさみしいけれど、ばあちゃん、応援するよ」

「俺、実は**大を目指してるんだ」

 とっくに高校生になっている俺は、地元の国立大学の名を上げた。


「残念だけど、英ちゃん、**大では、獣医さんの勉強はできないんだよ。獣医さんは、獣医学部というところでお勉強しなくちゃいけなくてね……」

 ばあちゃんは、小さな英ちゃんを傷つけないよう、ていねいに説明を始める。


 心配しなくていいよ、ばあちゃん。

 獣医学部はないけれど、**大学には医学部はあるんだ。家を出ていかなくても、勉強はできるんだ。


 思いは声に出さないまま、俺は、そばのパイプ椅子いすを引き寄せて座り、ばあちゃんの話に耳を傾ける。

 ばあちゃんは、昔から、俺にいろんなことを教えてくれる。


 うまい握り飯の作り方。

 洗濯物を干す時には、しわを伸ばす。

 近所の人へは、あいさつをする。

 心を落ち着かせるにはどうすればよいか。


 そして、人は、いかにして老いてゆくのかということ――。


 

 

 















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