第26話 精神リンク

 試験当日。霧のような朝だった。


 ユニットごとに指定された時間に、静かに試験場へと通される。

 誰とも目を合わせず、誰の足音も耳に入らなかった。

 ただ、この試験が“何かを終わらせる”ものであると、レイヴンは直感していた。


 精神リンク試験。

 個人の記憶と感情を視覚化し、ユニット内の“感情的共鳴の深度”を測定する特殊な儀式。

 形だけの絆では測れない、“本当の繋がり”を浮かび上がらせる鏡。


 試験室は半球状の魔導ドーム。

 淡い蒼光が満ち、空気は静止した水面のように澄みきっていた。


 中央の魔法陣へと誘導され、レイヴンはひとり、光の中心に立つ。


「深層意識に干渉します。覚悟をお持ちください」


 試験官の声が響いた瞬間、足元が輝きだした。

 世界がゆっくりと裏返る。


 ——そして、視界が暗転した。



 気がつけば、彼は“あの家”にいた。


 現世。

 かつて家族が確かに存在していた場所。

 娘の小さな靴が散らばり、テレビはつけっぱなしで、夕飯の匂いが微かに残るリビング。


 すぐにわかった。

 ここは“記憶”ではない。“後悔”の形だ。


「……遅い。今日も残業?」

「あなた、また連絡入れなかったでしょ」


 妻の声は冷たくはない。ただ、疲れ切っていた。その隣で、娘が静かにうつむいていた。


 「父さんは、いつもいないんだね」


 その声が、何より痛かった。


 レイヴンは言葉を飲み込んだ。

 言いたいことは山ほどあるのに、なぜか一言も出てこなかった。


 (俺は……)


 守ると誓いながら、守ろうとさえしなかった。近づけば壊れそうで、触れれば砕けそうで、だから逃げていた。


 気づいたときには、娘はもう笑わず、息子は顔を合わすこともなかった。唯一、最後まで不満を投げかけていた妻も、気づけば互いに背を向けていた。

 “家族”という言葉の重みが、自分の手のひらから、ゆっくりと零れ落ちていた。


 目の前の娘の小さな背中が、かすかに揺れていた。レイヴンはその姿を見ながら、心の中で何度も繰り返した。


 ——ごめん。


 ごめん。ごめん。ごめん。


 何度も謝った。何度も頭を下げた。

 けれどそれは、誰にも届かない。


 ここは、言葉ではなく“想い”を量られる場所。だからこそ、どれだけ祈っても、それはひとりきりの赦しにならなかった。



 次の瞬間、視界が静かに淡く光を帯びていく。まるで深い海の底から浮かび上がるように、現実が水面に揺らぎながら戻ってくる。


 足元の感覚が重力を取り戻し、目を開けたときには、レイヴンは試験室に立っていた。


 額からは汗が滴り、呼吸は浅く、両手は震えていた。けれどその震えは、弱さの証ではなかった。


 まだ終わっていない。やり直せる。そう思えるだけの強さが、ほんのわずかに芽吹いていた。


 絶望的かもしれない。それでもいい。まだ終わった訳ではない。これは自分だけの戦いだったのだから。


 リンク率やその他の数値は表示されていなかった。告げられてもいない。けれど、レイヴンの中では、何かが確かに変わっていた。


 ——今度こそ、壊さない。


 逃げない。

 過去ではなく、“今”を、この手で守る。


 ゆっくりと魔法陣の外へと歩みを進める。その足取りは、決して速くはなかったが――揺るがなかった。

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