第26話 精神リンク
試験当日。霧のような朝だった。
ユニットごとに指定された時間に、静かに試験場へと通される。
誰とも目を合わせず、誰の足音も耳に入らなかった。
ただ、この試験が“何かを終わらせる”ものであると、レイヴンは直感していた。
精神リンク試験。
個人の記憶と感情を視覚化し、ユニット内の“感情的共鳴の深度”を測定する特殊な儀式。
形だけの絆では測れない、“本当の繋がり”を浮かび上がらせる鏡。
試験室は半球状の魔導ドーム。
淡い蒼光が満ち、空気は静止した水面のように澄みきっていた。
中央の魔法陣へと誘導され、レイヴンはひとり、光の中心に立つ。
「深層意識に干渉します。覚悟をお持ちください」
試験官の声が響いた瞬間、足元が輝きだした。
世界がゆっくりと裏返る。
——そして、視界が暗転した。
*
気がつけば、彼は“あの家”にいた。
現世。
かつて家族が確かに存在していた場所。
娘の小さな靴が散らばり、テレビはつけっぱなしで、夕飯の匂いが微かに残るリビング。
すぐにわかった。
ここは“記憶”ではない。“後悔”の形だ。
「……遅い。今日も残業?」
「あなた、また連絡入れなかったでしょ」
妻の声は冷たくはない。ただ、疲れ切っていた。その隣で、娘が静かにうつむいていた。
「父さんは、いつもいないんだね」
その声が、何より痛かった。
レイヴンは言葉を飲み込んだ。
言いたいことは山ほどあるのに、なぜか一言も出てこなかった。
(俺は……)
守ると誓いながら、守ろうとさえしなかった。近づけば壊れそうで、触れれば砕けそうで、だから逃げていた。
気づいたときには、娘はもう笑わず、息子は顔を合わすこともなかった。唯一、最後まで不満を投げかけていた妻も、気づけば互いに背を向けていた。
“家族”という言葉の重みが、自分の手のひらから、ゆっくりと零れ落ちていた。
目の前の娘の小さな背中が、かすかに揺れていた。レイヴンはその姿を見ながら、心の中で何度も繰り返した。
——ごめん。
ごめん。ごめん。ごめん。
何度も謝った。何度も頭を下げた。
けれどそれは、誰にも届かない。
ここは、言葉ではなく“想い”を量られる場所。だからこそ、どれだけ祈っても、それはひとりきりの赦しにならなかった。
*
次の瞬間、視界が静かに淡く光を帯びていく。まるで深い海の底から浮かび上がるように、現実が水面に揺らぎながら戻ってくる。
足元の感覚が重力を取り戻し、目を開けたときには、レイヴンは試験室に立っていた。
額からは汗が滴り、呼吸は浅く、両手は震えていた。けれどその震えは、弱さの証ではなかった。
まだ終わっていない。やり直せる。そう思えるだけの強さが、ほんのわずかに芽吹いていた。
絶望的かもしれない。それでもいい。まだ終わった訳ではない。これは自分だけの戦いだったのだから。
リンク率やその他の数値は表示されていなかった。告げられてもいない。けれど、レイヴンの中では、何かが確かに変わっていた。
——今度こそ、壊さない。
逃げない。
過去ではなく、“今”を、この手で守る。
ゆっくりと魔法陣の外へと歩みを進める。その足取りは、決して速くはなかったが――揺るがなかった。
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