第27話 ただいま

 精神リンク試験が終わった——その瞬間、レイヴンは試験室を飛び出していた。


 意識の底で見たもの。過去。後悔。そして、今の家族の顔。


 伝えなければならない。


 自分がまた背を向けたまま終わってしまう前に。今度こそ、壊れかけたものを壊さずに済ませたい。


「……セレス、ユウト、ノア!」


 レイヴンは寮の敷地を駆けた。

 

 一人一人の名前を呼びながら、建物の裏手、中庭、屋上と目を凝らす。



 最初に見つけたのは、セレスだった。


 屋上。風が吹き抜ける空の下、彼女は手すりに背を預け、遠くを見ていた。


 レイヴンが近づく気配に、セレスはわずかに顔を背けた。


「……私、いない方がいいんじゃないかって思ったの」


 それは、風に紛れるような小さな声だった。けれど、その言葉にはずっと押し込めていた本音が滲んでいた。


「誰かの“母親”になろうとして……でも、誰の心にも届いてなかった。結局、誰かと比べてしまう」


 「私がいたから、ぎくしゃくしたのかもしれない。昔も今も……だったら、もう——」


「やめろ」


 レイヴンの声が、静かに、けれど確かにその言葉を遮った。


「そうやって、自分を悪者にするな。君が欠けてもいけないんだ」


 セレスの肩が、かすかに揺れる。


「ギクシャクしてもいい。でも、それは“いらない”って意味じゃない。……俺には、お前が必要だ」


 しばらくの沈黙のあと、レイヴンは続けた。


「……もし、再編になったら——俺はここを出ようと思ってる」


 セレスが顔を上げた。


「え……?」


「この制度の中で、正しさとか適正とか、もう分からなくなった。だから俺は、自分で選びたいんだ」


 その目はまっすぐに彼女を見ていた。


「もしよければ……俺について来てくれないか?」


 セレスは、信じられないというように目を見開いた。


「……でも、あなたは実力が認められているのよ。上は、あなたに期待してる。残れば、もっと良い場所に——」


 レイヴンは首を振った。


「そんなことは関係ない。俺は“君と、家族と一緒にいたい”。それだけだ」


 風が吹き、彼の言葉はまるで誓いのように屋上に響いた。


「できることなら、ユウトやノアとも一緒に居たい。……誰かに決められるんじゃなくて、自分たちで選んだ“家族”といたいんだ」


 セレスはその言葉に、唇をきゅっと噛んだ。

 そして、小さく、けれど確かにうなずいた。


「……そんなこと、言われたら……断れるわけないじゃない」


 ——そのときだった。


 小さな足音が、屋上の階段を駆け上がってきた。


 「私も行く……!」


 その声は、か細くもはっきりしていた。扉が開かれ、ノアが勢いよく飛び出してくる。


「私も……一緒に行きたい……!」


 風に髪をなびかせながら、ノアはレイヴンの元へ駆け寄り、勢いそのままに彼の胸元にしがみついた。


 その腕は決して離れない。


 「レイヴンと……セレスと……ユウトと……みんなと、ずっと一緒がいいよ……!」


 感情があふれたように、ノアの頬を涙が伝う。


「一人が怖いんじゃない。離れるのがイヤ。わたし、みんなと一緒にいたい。いたいの、ずっと……!」


 何度も、何度も繰り返しながら、ノアはレイヴンの服にしがみついた。

 レイヴンは、ゆっくりとその小さな背を抱きとめた。


「……ああ。俺もだ。さぁ、みんなでユウトを探しに行こう」


 その瞬間、風が少しだけ、あたたかくなった気がした。



 中庭。誰もいない場所で、ユウトはひとり、魔力の糸を張る練習をしていた。


「ユウト」


 声をかけると、ユウトは手を止め、ふり返る。三人の晴れやかな姿を見た彼は悟った。


「……父さん」


 その声には怒りも照れもなかった。ただ、確かな“つながり”があった。


「誰が悪いとか、何が正しいとか、正直もう自分は分からない。でも、ひとつだけ言える。自分は、この“今の家族”が大切だ」


 レイヴンは言葉を選ばず、正直な気持ちを吐き出した。


「ノアの静けさは、誰よりも繊細な優しさだ。セレスの比べ癖は、家族のことを本気で考えてる証拠だ。お前の真っ直ぐさは、きっと家族の背中を押せる」


 ユウトの目がわずかに揺れた。


「それは自分の前の家族、大切な家族に似てた。だから怖かった。自分の一言が家族を崩壊させたらと不安だった。でも——今は違う。もう迷わない」


 レイヴンはゆっくりと息を吐いた。


「……もし、再編になったら——俺はここを出ようと思ってる。みんな、ついて来てくれないか」


 ユウトは、ぐっと唇を噛みしめてうなずいた。



 その日の夕方。

 久しぶりに、食卓に四人がそろった。


 言葉はなかった。

 けれど、何かが確かに変わっていた。


 ユウトが苦笑しながら言う。


 「ごめん。俺……張り切りすぎてた。うまくやろうとすればするほど、空回ってた。俺、もっと、みんなの話を聞けてたらよかったのにな」


 セレスも、ゆっくりと口を開いた。


「私も……怖かったの。みんなから置いていかれるのが。だから、つい比べて……自分の居場所を確かめようとしてた」


 レイヴンは静かに立ち上がる。


「……俺は、ただ、言いたかったんだ」


 言葉は短くて、でもすべてだった。


「ただいま、って。一人残された部屋では言えないから」


 ノアが、俯いたままぽつりと呟いた。


「……おかえり」


 その言葉に、他の三人もゆっくりと、微笑んだ。


 まだ不安はある。

 まだ制度の影も消えていない。


 けれど、今日この日から。

 この四人は、“家族”として、また一歩を踏み出していた。

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