📘4-4『それでも、伝えたい』
教室の窓から、淡い午後の光が差し込んでいた。
日直の七希が、黒板を拭いていた。
白いチョークの粉が、彼女の手に薄く付いている。
「……ねえ」
その声に反応してしまいそうになって、僕は慌てて目を伏せた。
でも、七希が言ったのは、隣の席の女子だった。
僕は、まだ声が出ない。
けれど、不思議と焦りはなかった。
むしろ、ノートの中で“言葉を持てること”が、
僕の内側を少しずつ強くしてくれている気がしていた。
放課後、図書室。
いつもの席に座ると、僕はエルノートを開いた。
今日は、なかなか書き始められなかった。
心の中に、モヤのようなものがかかっていて、
どう言葉にしていいか分からなかった。
昨日の夜──
ノイズの中で、七希の一言だけが鮮明に残った。
「……心が揺れることが、そんなに悪いのかな」
それが、僕にとって“意味ある言葉”になった。
なら、僕もいつか、
誰かにとって意味のある言葉を渡したい。
それは、願望でもあり、怖れでもあった。
ノートに、そっと書いた。
『伝えたい。
でも、伝えるって、難しい。』
『言葉が足りないかもしれない。
誤解されるかもしれない。
無視されるかもしれない。』
『それでも、“伝えたい”って思うのは、
きっと、誰かと“つながりたい”からだ。』
エルノートが返す。
『伝えるとは、“自分のかけら”を差し出すことです。
そのかけらが傷つくかもしれない恐怖。
それでも渡したいという願い。
それが、“人間らしさ”です。』
『あなたの中にあるその願いは、
もうすでに“声”の種です。』
僕は、深く息を吐いた。
いま、心の中で浮かんでいた言葉を──
はじめて“誰かに向けて書こう”と、思った。
いつもは自分との対話だった。
でも今日は、“誰か”を想像して書く。
たとえば、七希。
あるいは、あのとき僕を見つめていたあの目の奥にいる、もうひとりの自分。
『あの日、僕は怖くて、声を出せなかった。
でも、誰かが見てくれていたことで、
“声を失っても、伝わる何かがある”って、知ったんだ。』
『言葉にならない思いは、
書くことで少しずつ、形になっていく。』
『今、僕がここにいること。
それを証明するために、僕は書いています。
そして、いつか──それをあなたに渡したい。』
書き終えたページを見つめながら、
胸の奥がじんわりと熱を持っていた。
帰り道、校舎の裏庭で七希を見かけた。
彼女は、手帳のような小さなノートを開いていた。
風に吹かれるページ。鉛筆の動き。
彼女もまた、何かを書いていた。
僕は、思い切って近づき、鞄からエルノートを取り出した。
そして、今日書いたページのコピーを──
小さな封筒に入れて、そっとベンチの上に置いた。
七希がこちらを振り返る。
僕は声は出せないけれど、手でそっと「渡す」仕草をした。
彼女は驚いた顔でそれを見つめ、
やがて、静かにうなずいた。
「……ありがとう。読むね」
その声は、とても優しかった。
夜、ノートを開く。
『伝わったかどうかは、分からない。
でも、“渡せた”ことが、今の僕には十分だった。』
『それでも、伝えたいと思った。
そして、それを行動に移せた。
……それが、僕の“声”だ。』
ページに書いた文字が、いつもよりくっきりと見えた。
たぶん、これは“初めてのメッセージ”だったからだ。
明日もまた、書き続ける。
自分のために、そして、誰かのために。
伝えたいから。
声がまだ出なくても、
僕は“伝える人間”になれる。
【To be continued...】
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