第44話 なかったことになったから、何も言えない

「……セラフィーヌ侯爵令嬢か」

 クローディアの声は低く、夜気に溶けるように静かだった。

 その瞳には、驚きと何かを隠す影がちらりと見えた。


 リミュエールは肩を強張らせながら、必死に言葉を探す。

「どういうことだ……生徒会長が、こんな夜に魔法庫で何を……?」

 声が震えていた。困惑と警戒が入り混じる。


 クローディアはゆっくりと息を吐き、視線を逸らす。

「これは──俺の個人的な探し物だ。……君こそ、こんな夜中に何をしている?」


「え、あ、それは……」

(肝試しだって言ったら、上級生に叱られるかも……!)

 リミュエールは言葉を詰まらせ、黙り込む。


 そんな沈黙を、クローディアの低い声が破った。

「……心配するな。知っている」


「え……?」


「新入生が、肝試しをしていることくらいな」

 クローディアはふっと笑みを見せる。


「黙認だ。俺の代よりもずっと前から続いている伝統だからな」


 その静かな笑顔に、リミュエールは少し肩の力を抜いた。周囲を見渡す余裕が生まれる。


 石造りの天井に届く本棚。漂う魔力の痕跡。

 昼間とは打って変わった、冷たく張り詰めた空気が、この古城の魔導書保管庫を支配していた。


「それより……探し物って? こんな夜に、ここで……?」

 リミュエールは一歩踏み込み、問いかける。


 クローディアの紫の瞳が、わずかに揺れる。

「お前には、関係ない」

 冷たい声だった。だが──その奥に、痛みのような影が確かに見えた。


 リミュエールは拳を握りしめ、迷わず言葉を探す。

(この人は……何を抱えているんだろう……)

「……あの……」


 言いかけたその瞬間、扉の外からフローラの声が響いた。

「リミュちゃん……? どこにいるの……?」


 震える声が、リミュエールの心に鋭く突き刺さる。

(……そうだ。フローラとアウルを置いてきてしまった)

 リミュエールはクローディアを真っ直ぐに見据え、息を整えた。


 その瞬間だった。

 突然、鋭い光が闇を裂き、何かがリミュエールを襲う。

 思わず身をかがめた彼の目に、月明かりに淡く浮かぶそれの姿が映った。


 淡い光をまとい、白い半透明の衣のようなものを纏う人影──。

 その目には、冷たい怒りと、古の意志が宿っていた。


「侵入者……この場所を汚す者……許さぬ……」

 低く響く声が、魔法庫の静寂を震わせる。


 クローディアは即座に反応し、紫の魔力障壁を張る。

 霊の放った光の刃が障壁に衝突し、火花が散った。

 その一撃は、鋭く、容赦のないものだった。


「なんだ……これは」

 クローディアは冷たい汗を額に滲ませながら低く呟く。


「残留魔力……この保管庫を守る守護霊だ」

 その言葉に、リミュエールは深く息を吸い込む。


 神経伝達速度強化マッスル・アンプリファイ

 雷の気配が、全身を駆け巡り、空気を震わせる。


「大丈夫……私も支える!」

 フローラが草の魔力を込めて、クローディアを補助する。

 リミュエールは一歩前へと踏み出し、指先に雷の魔力を集める。


 霊の光が迫る中、リミュエールは拳を突き出した。

「雷撃──解放ッ!!」

 轟く雷鳴。拳が霊の光とぶつかり、火花が散った。

 雷光がほとばしり、霊の光を押し返す。だが──。


 霊はさらに強い光を放ち、リミュエールを押し返す。

「ぐっ……!」

 力の差に唇を噛み、視界が白く染まる。

(しまった──!)


 その瞬間だった。

 どこからか閃光が瞬き、霊の身体を切り裂いた。

 光の刃のように鋭い一撃が、霊を貫き、淡い光を散らせる。


 霊は霧のように揺らぎ、そして静かに消えていった。

 保管庫には再び、静寂が訪れる。


「……やったのか?」

 リミュエールが息をつきながら呟く。頬にはうっすらと汗がにじんでいた。


 フローラは目を輝かせ、リミュエールを見上げる。

「今の……雷? すごかったね!」


「……ああ」

 リミュエールは小さく頷く。だが──あの閃光は、自分の雷ではなかった。


(あの光……どこかで……)

 胸の奥で小さく呟き、視線を落とす。


 フローラは気づかず、無邪気な笑顔を浮かべる。

「リミュちゃん、やっぱりすごいね! 私も負けていられないなぁ」


 振り返ると、クローディアは視線を逸らしながら、わずかに息を吐いた。

「……君は、問題児だ。型破りで秩序を無視する……秩序を乱す厄介者だと思っていた」


 リミュエールはむっと眉をひそめる。


「……だが、ありがとう。助けられた」


 その言葉に、リミュエールは短く笑い、肩の力を抜く。

「当然だ。構わない」

 短い返事に、クローディアはかすかに微笑んだ。


 フローラは首を傾げるように尋ねる。

「でも……今のって、何だったんでしょうか?」


 クローディアは真剣な表情で答える。

「ここは、昔の王族が集めた魔導書を守る場所だ。そこに残された守護霊のようなものだろう」


「なるほど……でも、そんな場所に何を探しに? まさか、泥棒……!?」


 クローディアは視線を少し泳がせ、やがて観念したように口をひらいた。

「ある呪いを解く魔導書を探していたんだ」


「呪い……?」


 クローディアの瞳がかすかに揺れ、静かに続ける。

「……友人が呪われてしまっていて……ここにヒントがあるかもしれないと思った」


 冷たく見えるクローディアにも、誰かを想う温かさが確かにあった。


 リミュエールは小さく頷く。

(生徒会長は選挙制。そりゃ、ただ厳しいだけじゃなく、人望もある人なんだろう)


 クローディアはふっと視線を戻し、取引を持ち掛けるように口を開いた。

「だが、何も見つけられなかった。……ここで見たことは、お互い、忘れる――それでどうだ?」


「……ああ。わかりました」

 リミュエールは真剣な目で答え、振り返る。


「行こう、フローラ。他の新入生のみんなに、不審に思われる前に」

「う、うん! わかった」


 そして二人は月に照らされる廊下を歩き出す。

 その背中を、クローディアはしばらく見送っていた。




 ✩⋆。˚╰(°ㅂ°)╯・゚˚。⋆✩




 合宿最終日のレセプションは、夜空に浮かぶ月明かりの下で開かれた。


 古城の中庭には色とりどりの灯りがともり、香り高い料理がずらりと並ぶ。新入生たちの笑顔と、杯を掲げる上級生たちの声が、にぎやかな音楽とともに響いていた。


「本当にお疲れさまでした!」

 同級生で草属性の子爵令嬢、フローラが笑顔でグラスを差し出す。


 リミュエールはそれを受け取り、乾杯の合図を交わした。

「お疲れ、フローラ」


 雷鳴飛び石競争、協力演習、そして夜の事件……振り返れば、あっという間の合宿だった。


「ほんと、がんばったよね。筋肉痛がしばらく続きそうだけどー」

 冗談めかして笑うフローラに、リミュエールも満面の笑みを返す。


 その光景を、遠巻きに見つめる人物がいた。

 漆黒の髪に紫の瞳。生徒会長、クローディア=ローゼンベルグ。

 彼は静かに歩み寄り、リミュエールの前に立つ。


「リミュエール=セラフィーヌ」

 名前を呼ぶその声は、どこか柔らかかった。

 リミュエールは真っ直ぐにクローディアを見返す。


「……なんですか?」

 昨日のことで何か言われるのか? でも、何もなかったはずでは。そんな思いが胸をよぎる。


 クローディアはふっと笑みを浮かべた。

 その瞳に、初めて見る光が宿る。

「君には……学院の未来を背負う資質があると思う。だから――生徒会に入らないか?」


 予想外の言葉に、リミュエールは目を丸くした。

 横でフローラが息をのむ。


「嘘……!? 生徒会執行部って、選ばれし者しか入れないのに!」

「新入生で……しかも、クローディア様が直々に!?」


 周囲がざわつく中、リミュエールは一瞬、目を伏せる。

 顔を上げると、力強い笑みが戻っていた。


「……面白い話だな。考えてみるよ」

 その返事に、クローディアは静かに目を細める。


「期待している」

 それだけ告げて、彼は人の輪へと戻っていった。


 セスがずんずんとやって来る。

「リミュエール! なにがあったんだ!」


「えーっと。なかったことになったから、何も言えない」


 その答えに、隣にいたフローラが噴き出した。

「リミュちゃん、隠し事苦手にもほどがあるよ……!」


「……あいつとの間に隠し事か?」

 セスの瞳が冷ややかに光る。


 あー。好感度が下がるぅぅ。


 それで思い出した。たしかクローディア――あの生徒会長も、攻略対象の一人だった……はず。


(今回の合宿でのイベントは、わりと上々な出来、ってことでいいんだろうか?)


 レセプションはなおも盛り上がり、笑顔と音楽が溶け合う。

 けれど、リミュエールの心には小さな穴が残っていた。


「……アウル」

 呟くようにその名を呼ぶ。合宿で出会った金髪の少年。無邪気に笑っていたあの少年。

 昨夜、あれから探したけれど、見つからなかった。


「どこに行ったんだろうな……」

 人混みの中を見渡すが、彼の姿はどこにもない。


「まぁ、同じ学院に通う者同士、そのうちまた出会うだろう」

 その言葉は、小さな誓いのように夜空へと溶けていった。




 ✩⋆。˚╰(°ㅂ°)╯・゚˚。⋆✩




生徒会長から認められたリミュエール。

学院生活は続きます。

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