第45話 いやいやいやいや、これバグってるだろ!?

 アストレア王立高等訓練院。春合宿も終わり、学院に日常が戻ってきた朝。


 だが、教室前の掲示板だけは──まるで戦場だった。


「見た!?」

「うわー。下から数えたほうが早いってー」


 掲示板の前には、生徒たちの人だかり。

 騒がしい声が飛び交い、魔導板には今週のミニテスト──通称「プレ定期試験」の結果が次々と浮かび上がっていた。


 魔法理論、応用属性学、魔導具知識、古代語・呪文文法、王国史、王国法規、礼儀作法・貴族学、戦術理論など――。


 このミニテストは、定期試験前の実力チェックという名目ながら、その出題範囲も採点基準も本番さながら。

 容赦なく突きつけられる、まさに天国と地獄の予告編。


 ざわつく空気の中、順位に一喜一憂する声、絶望に肩を落とす姿が、そこかしこにあった。


 その人垣の中心に、ひときわ目立つ金髪の少女がいた。

 ふわりと揺れる淡いブロンド。アジサイのように透き通った瞳は、今や絶望のフチで静かに濡れていた。


『リミュエール=セラフィーヌ 23点(赤点)』


「いやいやいやいや、これバグってるだろ!?」


 掲示板を見上げたまま、リミュエールは小声で叫ぶ。


「前より下がってるって何!? あの合宿であんなに筋肉燃やしたのに!? なんで記述式で全滅してるの俺!? 私!? いや、わたくしっ!」


 混乱で一人称が崩壊しかける中、リミュエールはその場にしゃがみ込みそうになった。だが、膝が笑っても心が折れても、筋肉が彼女を支える。


(くっ……やっぱり論述は筋力だけじゃ突破できないのか……!)


 そのとき。肩にそっと手が置かれた。


「……リミュ。もしよかったら、勉強……俺が教えようか?」


 振り向けば、黒髪の少年──セス=グランティール。

 水属性のクール秀才。静かな目元に、どこか気遣うような優しさが宿る。


 だが、その言葉をかき消すように──


「おや。そういうことなら、僕も手伝おうか?」


 ふわりと吹いた風とともに、銀髪が舞う。

 掲示板の前に立っていた人物のネクタイが、風に揺れていた。


 現れたのは、エアリス=アストレア。風属性の第二王子。完璧な笑顔、完璧な髪型、そして完璧なタイミング。


 どこからか光が差し込んで見えるのは、気のせいではない。


「えーっと……ちなみに、お二人の点数は……」


 リミュエールが掲示板を見上げる。


『エアリス=アストレア 890点(首席)』

『セス=グランティール 887点(次席)』


 ざわっ……と空気が震えた。


「うそ……! なにあの子!?」

「エアリス様が……直々に勉強を教えるって、ありえない……!」

「それにセス君まで……!」


 悲鳴混じりのざわめきが人垣のあちこちで炸裂する。


 その渦中で、リミュエールはそっと頭を抱えた。


(お願いだから……この場からフェードアウトさせてくれ……!)


 だが、事態はさらにややこしくなっていく──。


 恋する女子生徒たちの視線が痛い。いや、怖い。物理的ダメージを感じるレベルで怖い。


(勉強どころじゃねぇぇぇ! 女子こえぇぇぇ!)


 と、心で絶叫した次の瞬間──


 ぴくり、と隣にいたセスのこめかみが跳ねた。


「……へぇ、さすが首席様は余裕なんだな。こういう場面でものんびりしていられるとは」


 その声は静かで冷え切っていた。


 セスは立ち上がり、エアリスを真っ直ぐに睨む。


「人の努力を見下すの、楽しいか?」


「そんなつもりはないよ」


 エアリスはにこやかに微笑む。その笑顔は風のように爽やかだが、核心に触れない分だけ、どこか得体が知れない。


「ただ、リミュエール嬢が困っているようだったからね。僕にできることをしたいと思っただけさ」


 言葉は柔らかい。けれど、含まれる意味は鋭い。


 セスの目がぎらりと光る。


「成績に余裕があるからって、無駄な親切ごっこしてる場合かよ。定期試験も近いんだぜ?」


「ふふ、余裕じゃないさ。ただ、放っておけない性質でね。ね? リミュエール嬢」


 エアリスが優雅に手を差し伸べたその瞬間、セスが一歩前へ出る。


「言っとくけど、俺と彼女は幼馴染なんだ。入学試験も、最初の模擬戦も、ずっと一緒にやってきた」


「ふーん? だから何? ……というか、そんなに余裕なら、次の試験は余裕で首席なんだろうね。さすがだなー?」


「っ……!」


(うっぜええええええええ!)


 リミュエールは叫びたくなるのを全力でこらえた。


(やめてくれぇぇぇ!! 天才たちの頭脳バトルしないでぇぇぇ!!)


「べ、別に……俺の教え方だって悪くないし。記憶術も、構文整理も、魔法理論も……ぜんぶ完璧に準備してるし!」


「へぇ、それは頼もしいな。じゃあ復習順序は? 時間配分は? ちなみに僕は、自作の参考資料を魔導印刷済みで──」


「細かいわ!」


(お願いですから黙って!)


 二人の間には、風と水の見えない魔力が火花のように散っていた。


 そして——それに耐えかねて、リミュエールは言った。


「……あの、二人とも、ありがとう。でも……大丈夫。自分でなんとかするから」


 なるべく穏やかに、でも心からの本音をにじませて。


 エアリスは目を細め、小さくうなずいた。


 一方、セスは苦い顔で「……そっか」と呟いた。


(あーもう、どうしてこうなるんだ……!)


 リミュエールは心の中で拳を握りしめた。

 赤点をとっただけなのに、なぜ自分はイケメン王子と秀才幼馴染の間に立たねばならんのか。


 その日、彼女かれはひとつ学んだ。


 ──勉強も難しいが、人間関係のほうが遥かに難しい──。




 ✩⋆。˚╰(°ㅂ°)╯・゚˚。⋆✩




 昼休み。


 リミュエールは、チキンプレートを片手に学食の隅に座り、ぼんやりと空を見ていた。横には開きかけた参考書。だが、ページは一向に進まない。


(……やっぱり、セスの申し出、断るべきじゃなかったか?)


 彼は間違いなく努力家だ。毎晩遅くまで残って勉強しているし、誰よりも真剣に成績と向き合っている。

 そんな彼に頼るのは──その時間を奪ってしまうのは──どこか気が引けた。


(でも……このままじゃ、ほんとに進級危ういかも……)


 不安と焦りが、胸の奥でじわじわと膨らんでいく。


 そのとき。向かいの席から、ふわりとした声が降ってきた。


「リミュちゃん、生徒会には行ってみないの? クローディア会長に、直接誘われてたんでしょ?」


 声の主は、草属性の友人、フローラ=グリーネル。

 おっとりした雰囲気と優しい笑顔がトレードマークの癒し系だ。


「え? あー……あったね、そんなこと……」


 赤点の衝撃で、すっかり記憶の彼方だった。


 ──新入生合宿のあの日。

 冷たい眼差しでこちらを見下ろしてきた、あの上級生の姿。


 クローディア=ローゼンベルグ。

 アストレア王立高等訓練院・生徒会長。

 表情は常に無風。言葉は簡潔で無駄がなく、どんな場面でも動じることはない。


 常に数手先を読んで行動し、どんな混乱の中でも正解を選び取る。

 まるで夜の帳のように静かで、鋭い。


 その明晰な頭脳と指揮能力は、生徒たちの間でも一目置かれていた。


「でもまあ、今はそれどころじゃないかな……定期試験近いし」


「うんうん。いい点取って、気持ちよく夏休み迎えたいよね」


「ていうか……進級できるかどうかが、もう崖っぷちでして」


「え〜、またまたぁ」


 フローラはくすくすと笑う。冗談だと思ったようだ。

 たぶん、あの混雑で掲示板の下まで見ていないのだろう。リミュエールが、9科目合計の900点満点で23点だったことを知らないようだ。


 得点率が3%もない。情けなさ過ぎて涙が出る。


「でもさ、クローディア会長って、一年の頃からずーっと成績トップなんでしょ? 十年に一人の秀才って噂だし」


「へぇ……そうなんだ」


 その言葉を聞いて、ふと頭をよぎる。


(……そんな人なら、魔法理論も完璧に違いない)


 生徒会室。あの冷たい視線。緊張する。でも、今の自分に必要なのは――


(あの人しかいないかも)


 リミュエールは決意を固めた。


「よし。行ってくるわ、生徒会室」


 拳を握りしめ、椅子を蹴るように立ち上がる。


 ──そして放課後。


 彼女かれはついに、生徒会室という未知の扉を叩くことになる。




 ✩⋆。˚╰(°ㅂ°)╯・゚˚。⋆✩




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