第18話 二人の関係
翌日、奈々子は蒼太にメールを打つ。
『蒼太さん、私は今の彼を選びます。すみませんがあなたの気持ちには応えられません』
しばらくして『わかりました』と一言だけ蒼太からメッセージが来た。
「私には哲郎さんだけだもの……」
奈々子はそう呟いて仕事に向かう。
※※※
そして週末――
今日のレッスンではサラリーマンの吉川さんが書いたホラー小説をみんなで読んだ。奈々子はホラーが苦手だったが、吉川さんの作品にはミステリー要素もあったので、怖さよりも先が気になる気持ちが勝っていた。
淡々とした描写の中に不意にぞくりとする仕掛けがあり、ページをめくる手を止められなかったのだ。
「なかなか雰囲気が出ているな、面白い」
哲郎がそう評すると、吉川さんは照れくさそうな表情をしていた。
「ホラーっていうよりサスペンスに近い気もしました」と城之内さんも感想を言う。
奈々子も勇気を出して話してみた。
「怖い場面は確かにありましたけど……謎が解けていく感じが面白かったです。主人公が“見えないもの”に振り回されてるとき、怖さより“何が正体なんだろう”っていう好奇心の方が勝っちゃって……つい夢中になってしまいました」
「なるほど、いい視点だ」
哲郎は穏やかに頷き、奈々子に目を向けた。その一言に奈々子の胸が少し熱くなる。彼の声は、まるで「君の感じ方は間違っていない」と背中を押してくれるようだった。
レッスンが終わり、受講生たちはそれぞれ感想を言い合いながら帰り支度を始めた。吉川さんは「来週はもっと怖くしますよ」と冗談めかして言っている。
「お疲れさまでした」
哲郎が教室のドア近くで見送っていると、奈々子もノートを片づけて立ち上がった。
ふと目が合い、二人の間だけ時間がゆるやかに流れるように感じられた。
「……どうだった?」と哲郎が小声で尋ねる。
「すごく面白かったです。怖かったけど……先生の言葉で安心しました」
奈々子が控えめに笑うと、哲郎の目元も柔らかくなった。ほんの一瞬、彼の手が彼女の指先に触れそうになる――けれど人目を意識してか、そのままポケットに引っ込められる。
「仲いいのね、葉桜さんと先生」
背後から声がして、奈々子は慌てて振り向いた。城之内さんが鞄を肩にかけながらにやりと笑っている。
「えっ、あ、いえ……」
奈々子は頬を赤らめて視線を逸らす。
「ふふ、冗談よ。でも……“仲がいい”って、隠そうとしても案外にじみ出るものなのよ」
そう言って城之内さんは軽く手を振り、先に教室を出ていった。
残された奈々子と哲郎は、互いに顔を見合わせて小さく笑う。
「……見透かされてる気がする」
奈々子が囁くと、哲郎は微笑んで奈々子の手を握る。
「大丈夫。俺たちは俺たちのペースでいい」
その言葉に奈々子の胸がじんわりと熱を帯びた。
※※※
翌日の午後、奈々子は駅近くのカフェに来た。
「葉桜さん! 久しぶりね」
「清水さん……ご無沙汰しています」
清水さんは四月スタートの小説教室で一緒になった受講生で、童話を書いている主婦。明るくて奈々子の小説もよく褒めてくれていた。
二人はケーキセットを注文して、早速話をする。
「葉桜さん、執筆のほうは順調?」
「うーん……そこそこですね。異世界恋愛小説のコンテストに出してみようかなと思って」
「そんなのがあるのね。応援するわ」
「ありがとうございます」
ケーキと飲み物が運ばれてきて、清水さんが「美味しそう!」と子どものようなリアクションを見せる。
「清水さんも執筆は順調ですか?」
「うん。私はね、児童文学のコンテストに出してみようと思って」
「わぁ、いいですね」
「今の子たちも転生モノとか読むみたいだから、私も異世界に挑戦してみようと思って」
「そうなんですね……私、まだ世界観作りが慣れないです」
奈々子がそう言うと、清水さんはスマホを取り出して何やら検索している。そして、図鑑が表示された画面を見せてくれた。
「中世のことが載ってる図鑑よ。これ、使えると思うわ」
「こんなのがあるんですね……」
この図鑑があれば物語に奥行きが出せるかもしれない――そう思った奈々子はその場で購入していた。
「ありがとうございます、これで勉強して異世界の雰囲気作りを頑張ります」
「良かったわ。ある程度自由でいいと思うけど、それっぽいワードが出てくるとイメージしやすいからね」
清水さんはコーヒーを飲んで息をつくと、「あ、そうだ」と思い出したかのような表情をする。
「葉桜さんてさ……綾小路先生と付き合ってるの?」
奈々子は思わずコーヒーを吹き出しそうになってしまう。その様子を見た清水さんには、もうわかってしまっただろうか。
「あ……その……お付き合いしています」
「やっぱり! あとさ、一緒に住んでるよね?」
どうしてそこまで分かるのだろうか。清水さんの鋭さにはかなわない……と思った奈々子。
「そうです……どうしてわかったのですか?」
「ふふ。だって最初の授業の時から二人が見つめ合うことが多かったんだもの」
確かに奈々子はよく哲郎のことを見ていたが、哲郎も彼女を見つめていたのだろうか。
「そうなんですね……哲郎さんも私のことを?」
「あら“哲郎さん”っていい響きね♪ そうそう、何となくだけど先生は葉桜さんのこと、よく見ていた気がする。あといつも残っていたじゃない」
奈々子は授業後に特別レッスンを受けていた。その時に距離が縮まったようなものであるが……そういえば哲郎に「この後どう?」と誘われたのだ。
もしかして哲郎は最初から自分のことを……?
そう思うと頬が赤く染まっていく。
「やだ……哲郎さんたら」
「ちなみにクラスのメンバー全員そう思ってるから♪」
「え!?」
奈々子は一気に恥ずかしくなってきた。
「皆さん知っていたなんて……」
「見てる分には面白かったわよ♪」
そういえば城之内さんも分かっているように見えた。今のクラスの受講生にも知られていたらどうしよう……と思う奈々子だった。
※※※
清水さんとのお茶を終えて奈々子が帰宅した。早速哲郎に自分たちの関係がバレていたことを話す。
「そうだったのか。参ったな」
「あのさ……哲郎さん。もしかして私のこと……最初から見てたの?」
そう言われると哲郎は顔を赤くして笑う。
「ああ……君のこと、見ていたさ」
奈々子も頬を染めて哲郎を見つめる。
「どうして……? 私、そこまで目立たないし」
すると哲郎は奈々子の髪を撫でて囁く。
「初めて見た時から、惹かれていたんだ。君はとても綺麗だ」
哲郎の低い声で「君はとても綺麗だ」と言われ、心臓の音が身体じゅうに響く。
「あっ……哲郎さん……」
「奈々子……」
この日はいつも以上に熱い夜となったのは……言うまでもない。窓の外では夏の夜風が木々を揺らしていたが、二人の世界は静かに、熱く、深まっていった。
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