だいすきだったあいつに向けて

琴事。

第1話

 直視したらダメになる、と思った。だって、きちんと思い出したら泣いてしまうから。足の力が抜けてしまうから。何も、考えられなくなってしまうから。それでは、生活ができないから。

だから、目を逸らして、逸らして、逸らしている間に感情が風化するのを待つしかない、と思うようにした。


 そうして、直視するのをやめた。



 暖かいいのちだった。憎まれ口をたたくことも多かったけれど、間違いなくだいすきだった。愛していた。

 だって、あいつはいつだって傍に居てくれた。多感な思春期、中学二年生の頃に出会った。生まれた子猫たちの中で、一番体が小さかった。だからちびすけ。それだけの、安直な名前。私が名付けた。それから、ずっと一緒だった。

 嘘。仕事で、大学で、家を離れた時は一緒ではなかったけれど。

 けれど、帰ればいつだって出迎えてくれるやつだった。玄関先で、ちょこんと座って、そうしてこちらを見上げるのだ。名前を呼べば、こちらを見て、「んなあ」と鳴いてくれる日もあった。鳴いてくれない日もあったけど。

 あいつは、こちらのことをどう思っていたのか、未だに正直よく分からない。多分、「えさをくれるひと」で、「うまいものを食っているひと」だったのだろうとは思う。いや、あいつがこちらをひととして認識していたかどうかも、正直ちょっと怪しいのだけれど。

 あいつは、私が朝のんびり寝ていると「えさを出せ」と額や頬に柔い肉球で触れて来たものだった。最初は爪を出さずに触れて来るくせに、けれどだんだんとしびれをきらしたのか、爪を少しだけ立てて来る。こちらはこちらで、安眠を妨害されたくないから毛布をかぶる。すると今度は毛布の上からささやかに爪を立てて来る。どこまで飯が欲しいんだ。

 弁明をさせてもらうと、たいてい既に母か祖父母あたりが餌を与えているのだ。だというのに、強欲なそいつは、私をつつけば何か出てくると思っていたのか、そんなことを繰り返していた。私が根負けして起きてきた頃には昼時になっているものだから、そのままお昼の餌を与えていたから、それも良くなかったのかもしれない。


 私が食事をしていると、あいつは横に座り込んで、普段はしないようなしおらしい表情でこちらを見上げて、さながら「くれませんか」とでも言うかのように胡坐をかいた膝に小さな手を乗せて来たものだった。これに関しては私も悪い。でももっと悪いのは祖父だ。あの人は、猫に自分の刺身や焼き魚なんかを気軽にあげるものだから。最近は祖父も年をとって、猫に勝てなくなったのか一方的におかずを奪われることもあったらしい。いい気味である。

 ともかく、あいつは私の飯を、特に魚を狙っていた。けれど、かつての私があいつに無理やり魚を、それも秋刀魚の塩焼きを一匹丸々奪取された際に、大人げなく(?)あいつにこんこんとガチギレ説教をかまして以降、あいつは私の飯だけは無理やり奪うことはしなくなった。食べ物の恨みは恐ろしいものだなあ、なんて他人事みたいに思ったのを覚えている。こちらだって、強制的に持っていくのでなければ別に構わないのだ。刺身の切れ端を少しだけ与えてやるぐらいなら、焼き魚の身を少しだけほぐして食わせてやるぐらいなら、正直全然アリなのである。健康を考えればあんまり望ましくはないことだが。

 でも、「うるせえなやんねえぞ」なんていいながら食べ進めている間も、そいつは横に控えてずっとこちらを見上げてくるものだから。だんだん、絆されてしまうというか。

 最後には、「しょうがねえなちょっとだけだぞ」なんて言いながら、結局少しだけ掌にのせて与えてしまっていた。


 そんなことの積み重ねが、原因だったのかもしれない。


 前々から、気になってはいた。軽くなったな、と。でも、単に年だと思っていたのだ。だって、あいつはもうすぐ十歳で、猫という生き物、しかも完全室内飼育ではない状態を考えれば相応の寿命が近付いて来ている。そもそも、人間と猫では、確実に猫の方が先に死ぬのだ。

 ぼんやり、覚悟を決めておくべきなんだろうな、とは思っていた。



 まさかこんなに早いとは思わなかった。

 母から連絡が来た。歩けなくなったと。飯を食わないと。その時は、どこか現実味がなくて、でも念のため週末には帰ろうかな、なんて考えて。「あいつ、しぬのかなあ」なんて、自分に言い聞かせるためにも呟いてみたけど、それでもやっぱりどこか現実味は無くて。

 でも本当はきっと理解していた。数日後に、自分から母親に連絡を入れた。「いきてる?」短いそれ。母からの返信は珍しく早かった。「頑張ってる」「今日このあと病院に連れて行く」

 その日は、本当は予定があったけど、午前中だけ行って、無理だと悟った。だって、こんなの集中出来やしない。母親から届いたメッセージには、「尿毒症」という病名があった。調べた。一ヵ月から数日で死に至る。

 週末なんて待っていられなかった。関係各所に連絡を入れて、そのまま帰宅して雑に荷物をまとめて、駅に向かった。家で荷物をまとめている間、少し泣いた。

 駅に行った。新幹線の切符を買った。関東から東北、福島まで。母親に今日向かうと伝えた。「駅まで迎えに行く」と言われたけれど、断った。あいつの傍に居てやって、と。だって、目を離した隙にあいつが死んでしまったら、と思うととても怖かった。

電車から新幹線に乗り換えるために一度降りた駅で、適当に弁当を二つ買った。きっと母親も、私も、今日は飯を作る余裕なんてないから。ちょうど四月だったから、花見弁当のようなものが売っていて、それを買った。おこわが三種類と、煮物がいくらかと肉団子、さつま揚げの入った弁当。他にもたくさんあったけれど、揚げ物なんかの入った弁当と、魚の弁当はなんとなく選択肢から外していた。

 新幹線に乗って、降りて、最寄り駅に向かう電車に乗り換えた。思いの外混んでいて、おや、と思ったのを覚えている。少しして、そう言えば新学期だし、時間帯的にちょうど高校生が帰る頃か、と気づいた。二両編成のワンマンカー。先頭車両の、窓が見える位置でずっと立っていた。車窓から見える桜が、妙に印象的で、関東の桜はもう散ってしまったのにな、なんて思いながらこれから満開に向かうであろう桜を眺めていた。

 最寄り駅には、幸いタクシーが居た。運が悪いと、次のタクシーが来るまでに三十分程度待つ必要があるときもあったから、本当に良かったと安堵した。それから、タクシーに乗って、二十分弱、タクシーの運転手のお爺さんとなんでもない話をして、家の下で降ろしてもらった。山の中腹にある実家は、とてもじゃないがタクシーの運転手に家の前まで送ってもらうには厳しい土地だから。

 そうして、家の前の坂道を上がっていった。確か六時半ごろだった。その時は、妙に落ち着いていたのだ。走ったら、リュックの弁当が崩れてしまうかも、なんて本当にどうでもいい心配をして歩いていた。

 家について、玄関扉を叩いて、内鍵を開けてもらって。ひどい顔の母親が出迎えた。

「頑張ってるよ」

 そう言われて、だめだった。


 あいつは、座椅子の上で寝ていた。体は冷たかった。でもまだ息をしていた。

「低体温だから、身体あっためてって言われて」

 そう言って母親は、そいつの背中側に置かれたお湯の入ったペットボトルを見せてくれた。


 名前を呼んだ。いつもなら何かしら反応を返してくれる。鳴かなくたって、目を伏せたりとか、尻尾を揺らしたりとか。

 ぴくりともしなかった。目はうつろだった。いつもはあんなにきらきらと輝いているきれいな目なのに。でも、腹は浅く上下していた。それだけが生きている証だった。

 返事がなくても、私が来たことを伝えたくて。何度も名前を呼んだ。そうすると、時々、ピクリ耳が動いた。手が動いた。こいつはまだ生きてるって、それでやっと思えた。だって、それ以外に生きてる証が何もなかった。目は虚ろだった。体は冷たかった。


 それから、三時間。ちびすけは、時々鳴いた。苦しそうな声だった。もう数日飯も食えてなくて、水も飲めてないのだから当たり前である。それでも、私が呼ぶと時々鳴くのだ。

 途中、もうふらふらの体で、無理やり立ち上がって、どこかに行こうとすることが何度かあった。見ていられなくて、「もう頑張らなくていいんだよ」なんて言えば、あいつはその途端足の力を抜いて倒れ込んだ。別に粗相をしようがなんでもよかった。生きていてくれればよかった。

 でも、もうこんなに辛そうなこいつに、がんばれとは言いたくなかった。死んでほしくはないけど、頑張れって言いたくなかった。だって、こいつは今すごい苦しいはずだから。

 九時ごろ。ちびすけは、水を飲みたがっていた。でも、実家にはスポイトだとかシリンジだとか、上等なものは無くて。ちびすけに、もう自力で水を飲む力も無くて。

 だから、気休めにでもなればいいと思って。口の周りを、湿ったティッシュで濡らした。そのまま、血だらけになっていた首周りも拭いた。

 ちびすけは、それで。それから、少しして、けいれんし始めた。それまでの、ちびすけの意思によって動いている感じじゃなかった。どうしようもなくて、身体が跳ねている感じだった。ちびすけ、と名前を呼んだ。かけていたタオルを持ち上げて、腹を見た。

 動いてなかった。「お母さん、ちびすけ、しんじゃったかも」と母を呼んだ。母も同じように腹を見て、腹に手を当てて。その時、またちびすけの体が跳ねて。

 ちびすけ、ちちびすけと何度も名前を呼んだ。最後、あいつは、こちらを見て、きっともう何も見えてなかっただろうけど、真っ黒に広がった瞳孔でこちらを見て、それで。動かなくなった。


 だいすきだった。しんでほしくなかった。ほんとはもっと一緒に居たかった。でもあれ以上頑張れとも言いたくなかった。


 本当は忘れたくなんてない。風化なんてさせたくない。ずっと一緒に居たかった。私があいつのおねえちゃんだったのに。守ってやれなかった。気付けなかった。もっと何かできたかもしれなかった。

 でも、やっぱり直視なんてできないんだ。ちびすけが居ないって、もう福島に帰っても、あの家に帰っても、出迎えてくれる白黒のハチワレはいない。あたたくて柔らかくて、ときどき小憎たらしいあいつはもういない。いってしまった。もう会えない。


 飲み込めなくても、理解はできてしまう。だからこんなにもつらい。だからこんなにも涙が出る。

 せめて、あいつが、向こうで、もう何にも苦しんで居なければいい。そう思えばいい。でもやっぱりあいつがいっていしまったことがつらい。

 また会いたい。

 もう私が泣いてる時に、もふもふの腹をかしてくれるあいつはいない。少しうざったそうに、それでも涙を舐めてくれるあいつはいない。


 きっとくるしかったろう。つらかったろう。変なとこかっこつけだったから、あの状態がいやだったのかもしれない。

 それでもほんとは生きていてほしかったよ、おねえちゃんは。でもあんな状態のお前に、あんな苦しそうに鳴くお前に、あれ以上がんばれとも言いたくなかったんだ。

 私を待っていてくれたんだろうな。お別れの時間を作ってくれたんだろうな。苦しかったろうに。ありがとうな。

 おねえちゃんさ、お前のこと忘れたくないけど、でもお前のこと覚えてると生活できないから。道端とかで泣き出す不審者になっちゃうからさ。

 だから、時々忘れてるふりしてるけど。ちゃんと覚えてるから。ゆるしてくれな。


 ごめんな、ちびすけ。今度は、ちゃんと面倒見てくれる人のところ行けよな。

 嘘、できれば私が次に出会う猫はお前が良い。

 でも結局私のエゴだからさ。

 お前の好きにしていいよ。

 お前らはそういう生き物だもんな。


 でもやっぱり、私のところに来てくれたらうれしいよ。

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だいすきだったあいつに向けて 琴事。 @kotokoto5102

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