第9話
# 第9話 『謎の塔へ』
祝宴から三日が過ぎた。村は平穏を取り戻し、人々は日常の生活に戻っていた。しかし、私の心の中では、ある決断が固まりつつあった。
ルーナの地図に記された「謎の塔」。観察者の情報によれば、そこには「戦闘特化型」の転移者がいるという。南東15キロメートル—その場所が私を呼んでいるように感じられた。
アイラの家で朝食をとりながら、私は旅立ちの計画を彼女に伝えることにした。
「アイラ、少し話があるんだ」
「どうしたの?」彼女は味噌汁に似た温かいスープを注ぎながら尋ねた。
「明日、旅立とうと思う」
彼女の手が一瞬止まった。「そう…」彼女はすぐに動作を再開したが、表情に影が差したのを見逃さなかった。「どちらへ?」
「南東の方角にある塔について調べたいんだ。ルーナの地図で見たんだが、興味をそそられてね」
「あの『謎の塔』?」彼女は驚いた様子で言った。「危険だと言われているわ。誰も近づかないのよ」
「だからこそ、確かめてみたいんだ」
アイラは黙ってしばらく考え込んでいたが、やがて静かに頷いた。「わかったわ。あなたは旅人だもの、止められないわね」
「ありがとう、アイラ」
「準備は手伝うわ」彼女は微笑みを取り戻そうとした。「どのくらいの期間になりそう?」
「わからない。でも、できるだけ早く戻ってくるよ」
約束は簡単に口から出たが、本当に戻ってくるかどうかは、自分でもわからなかった。しかし、村での体験は私にとって特別なものになっていた。特にアイラとの関係は—一時的なものであっても—心に残るものだった。
朝食後、私は村長に挨拶に行った。彼は私の決断を聞いて残念そうな顔をしたが、理解を示してくれた。
「君は自由な旅人だからな。引き止める権利はない」村長は言った。「だが、いつでも戻ってきてくれ。ウィロウ村の門は常に開かれている」
「ありがとうございます、村長。この村での日々は忘れません」
その後、トーマスの工房へと向かった。彼はアカデミー入学のための準備で忙しそうだったが、私を見ると作業を中断した。
「カイト!どうした?」
「明日、旅立つことにしたんだ」
「そうか」トーマスは少し寂しそうな顔をしたが、すぐに明るく言った。「どこへ行くんだい?」
「南東の塔を調べに行こうと思って」
「あの謎の塔か…」彼は眉をひそめた。「危険だという噂もあるからな。気をつけてくれよ」
「ああ。それと、『ブルーリターン』のメンテナンスを少し見てもらえないかな?長旅になりそうだから」
「もちろん!今すぐやるよ」
トーマスは熱心に武器を点検し、微調整を施した。作業の合間に、彼は王都のアカデミーの話を熱っぽく語った。
「カイト、もし王都に来ることがあったら、アカデミーに寄ってくれよ。きっと面白い研究を見せられるはずだ」
「約束するよ」
武器の調整が終わると、トーマスは小さな袋を私に渡した。
「これは?」
「特別なオイルだ。武器の刃に塗ると、一時的だが切れ味が増す。危険な状況で使ってくれ」
「本当にありがとう、トーマス」
別れ際、彼は私の肩を強く握った。「お互い、夢を追おう」
工房を後にし、次はルーナを訪ねた。彼女は地図工房で新しい地図を描いていた。
「カイトさん!いらっしゃい」彼女は明るく迎えてくれた。
「明日、旅立つことにしたんだ。南東の塔へ」
「そうですか」彼女は驚いた様子だったが、すぐに立ち上がり、作業台の引き出しから別の地図を取り出した。「これを持っていってください」
広げられた地図は、南東地域をより詳細に描いたものだった。
「先日差し上げた地図より詳しいものです。塔の周辺の地形も記録してあります」
「これは本当に助かる。ありがとう、ルーナ」
「気をつけて行ってきてください」彼女は真剣な表情で言った。「あの塔には近づいたことがないのですが、地元の人からは『魔力の渦』があるという話を聞いています」
「魔力の渦?」
「はい。通常の魔法使いが近づくと、魔力が乱れ、制御できなくなるとか」彼女は肩をすくめた。「迷信かもしれませんが…」
「警告ありがとう。注意するよ」
村を回り、挨拶をして回る中、最後にリナの神殿を訪れた。彼女は祈りを捧げている最中だったが、私に気づくとすぐに近づいてきた。
「カイトさん、何かご用でしょうか?」
「明日、村を離れることになってね。挨拶に来たんだ」
「そうですか」彼女は少し悲しそうな表情を見せた。「どちらへ?」
「南東の塔へ」
その瞬間、リナの表情が変わった。驚きと恐れが混じったような表情だ。
「あの塔…」彼女の声が小さくなった。「どうして?」
「何か知っているの?」
彼女は周りを見回してから、低い声で言った。「私の師から聞いた話です。あの塔は昔、魔法研究所だったと」
「魔法研究所?」
「はい。しかし、ある実験の失敗で、塔は『魔力の嵐』に包まれ、近づく者を拒むようになったと」彼女は不安そうに続けた。「でも最近、塔に光が灯るのを見たという噂も…」
「誰かがいるってことか」
「わかりません」彼女は首を振った。「でも、もし行かれるなら、これを」
リナは小さな水晶のペンダントを私に渡した。
「これは?」
「神殿の守護水晶です。魔力の乱れから多少は守ってくれるでしょう」
「ありがとう、リナ」
彼女は小さく頭を下げた。「どうか、無事に」
夕方、アイラの家に戻ると、彼女は旅の準備を整えていた。食料や薬草、衣類など、必要なものが丁寧に袋に詰められていた。
「これだけあれば、1週間くらいは大丈夫よ」彼女は言った。
「こんなにまで…本当にありがとう」
「当然のことよ」彼女は微笑んだが、その目には寂しさが宿っていた。
夕食の後、二人で暖炉の前に座った。静かな炎の音だけが部屋に響いていた。
「カイト」彼女が静かに言った。「約束してくれるかしら」
「何を?」
「無理はしないで。危険を感じたら、すぐに引き返して」
「ああ、約束するよ」
「それと…」彼女はポケットから小さな革の袋を取り出した。「これを持っていって」
中には青い花びらの乾燥したものが入っていた。
「ブルームヒール?」
「ええ。特別な方法で乾燥させたの。傷を負ったら、水で溶かして傷口に当てて。急速に治癒を促進するわ」
「君の大切な薬草を…」
「あなたに必要になるかもしれないもの」彼女はそっと私の手を握った。「それと、これは私の気持ち」
静かな夜、私たちは言葉以上のものを分かち合った。それが最後になるかもしれないという思いが、より一層深い感情を込めさせた。
***
翌朝、夜明けと共に私は出発の準備を整えた。アイラは黙って私の装備を確認し、最後のアドバイスをくれた。
「南東に進む時は、この季節、太陽を右肩に感じる向きよ」
「わかった」
「水源は地図に記されているけど、念のため水筒は満タンにしておいて」
「ありがとう」
玄関に立ったとき、彼女は最後に私をしっかりと抱きしめた。
「気をつけて。そして…」彼女は少し躊躇った後、「もし可能なら、戻ってきて」
「できる限り」
別れは短く、しかし深い感情が込められていた。振り返ると、彼女は家の前に立ち、手を振っていた。その姿を心に刻み、私は村の南東の門へと向かった。
門では早朝にもかかわらず、村長とトーマス、そしてガルドが待っていた。
「見送りに来てくれたのか」
「無事を祈るためにな」村長が言った。
ガルドは短く、しかし力強くアドバイスをくれた。「獣に気をつけろ。特に夜は」
トーマスは私の旅装束を最後に確認し、「ブルーリターン」が腰にしっかりと固定されているか確かめた。
「また会おう、みんな。本当にありがとう」
最後の挨拶を交わし、私は村を後にした。南東へと伸びる細い道を進みながら、時折振り返ると、村の輪郭が朝日に照らされて輝いていた。やがて、道は森へと続き、村の姿は木々に隠れて見えなくなった。
ルーナの地図によれば、南東15キロメートルの旅は、正確に進めば一日で到達できる距離だった。しかし、途中の地形や障害物によっては、もう少し時間がかかるかもしれない。
森の中の小道をしばらく進むと、徐々に開けた場所へと出た。起伏のある草原地帯で、遠くには低い丘が連なっている。地図では、その丘を越えたあたりに塔があるとされていた。
昼頃、小さな流れで休憩をとりながら、私は石を取り出してシステム画面を確認した。
『ステータス』
『名前:カイト』
『レベル:2』(いつの間にかレベルが上がっていた)
『HP:120/120』(増加している)
『MP:65/65』(これも増加)
『体力:12』
『知力:13』
『魔力:10』
『敏捷:11』
『運:15』
グレイハウンド退治の経験が、何らかの形でステータスに反映されているようだった。特に、【現実改変(微小)】に関連する魔力が上昇しているのは興味深い。
さらに、『クエスト』メニューを確認すると、メインクエストが更新されていた。
『メインクエスト:能力の探求』
『内容:特異能力の起源と限界を探り、この世界での自分の役割を見出せ』
『報酬:未定(探求の深さにより変動)』
『期限:なし』
観察者との会話の影響だろうか。クエストの方向性が変化している。
昼食後、再び歩き始めた私は、丘に近づくにつれて奇妙な感覚を覚え始めた。空気がわずかに振動しているような、静電気を感じるような異様な感じだ。
【鑑定】能力を使って周囲を調査すると、通常より詳細な情報が得られるようになっていた。
『対象:周辺空間』
『状態:魔力密度の上昇傾向』
『特徴:不規則な魔力の流れ。通常の魔法回路に影響を与える可能性あり』
『危険度:中程度(接近するほど上昇)』
リナの言っていた「魔力の嵐」とは、このことだろうか。
丘を登り始めると、その感覚はさらに強まった。石から発せられる青い光も、わずかに不安定に点滅し始める。何かが干渉しているようだ。
「これは…」
丘の頂に立った時、その光景に息を飲んだ。眼下の小さな谷間に、灰色の石で作られた塔がそびえ立っていたのだ。
塔の高さは30メートルほどで、円筒形の本体の上部に複数の尖塔が冠されている。一見、古い建築物のようだが、不思議と風化の跡が少ない。そして最も奇妙なのは、塔の周囲を取り巻く淡い青紫色の光の膜だった。
「魔力のバリアか…」
【鑑定】を使って塔を調べようとしたが、情報が断片的にしか表示されなかった。
『対象:不明の塔』
『年代:推定200年以上前』
『状態:*&%#@...(判読不能)』
『特徴:高密度の魔力場...#%&*...研究施設の可能性...』
干渉が強すぎて、完全な情報が得られないようだ。しかし、リナの言っていた「魔法研究所」という情報は正しいようだ。
丘を下り、塔に近づくにつれ、空気の振動はさらに強まった。腕輪に組み込まれた石の反応も不安定になり、時折強く光ったかと思えば、次の瞬間には暗くなる。
塔の周囲には何も生えておらず、直径約50メートルの円形の不毛地帯が広がっていた。その外縁に立つと、肌がピリピリとするような感覚を覚えた。
バリアの前で立ち止まり、どうやって中に入るか考える。直接触れるのは危険そうだ。【現実改変(微小)】を使って穴を開けられるかもしれないが、大きな干渉は観察者の注意を引きそうだ。
そのとき、石が突然強く輝き、私の腕輪からメッセージが表示された。
『転移者認証プロトコル起動』
『近接転移者シグネチャ検出』
『警告:安定性低下...干渉パターン検出』
「転移者認証?」
まるで呼応するかのように、塔のバリアに小さな波紋が走った。そして、私のいる方向に向かって、バリアが薄く、透明になっていく。
「通れということか…」
慎重に一歩を踏み出す。バリアを通過する瞬間、全身が電気を通したような痺れを感じたが、痛みはなかった。
バリアの内側に入ると、外とは異なる空気を感じた。より重く、より濃密な魔力を帯びた空気だ。しかし奇妙なことに、ここでは石の反応が安定し始めた。
塔の入口は重厚な鉄の扉だったが、近づくと、それも自動的に開いていった。中を覗くと、薄暗い階段室が見える。
「罠かもしれないが…行くしかないか」
深呼吸をして、腰の「ブルーリターン」を確認した後、私は塔の中へと足を踏み入れた。
扉の内側は、想像していたような古びた廃墟ではなかった。石造りの内部は、不思議と清潔に保たれている。壁に沿って魔法の灯りが並び、薄い青白い光で内部を照らしていた。
「誰かが住んでいるのか?」
階段を上り始めると、塔の構造が見えてきた。螺旋階段が中央を貫き、各階に部屋が配置されている。一階は広いホールになっていて、壁には見慣れない文字や図形が刻まれていた。
「魔法の研究所…これが200年前の技術か」
二階に上がると、そこは書庫のようだった。棚には古い巻物や本が並んでいる。いくつかを手に取ってみたが、言語が理解できなかった。
さらに上がっていくと、三階は実験室らしき部屋だった。奇妙な形をした装置や、未知の物体が置かれている。【鑑定】を使おうとしたが、ここでもやはり情報は断片的だった。
四階、五階と上がるにつれ、塔の空気が変わっていくのを感じた。より現代的な要素が増え、特に五階は誰かが実際に生活している形跡があった。簡素なベッド、机、そして食事の跡。
「ここに住んでいる者がいる…」
最上階である六階の入口の前で立ち止まった。扉の向こうから、かすかに人の気配を感じる。
深呼吸をして、扉をノックした。
一瞬の静寂の後、低い男性の声が聞こえた。
「入れ」
扉を開けると、そこは広い円形の部屋だった。天井は高く、周囲の壁には大きな窓が設けられ、遠くまで見渡せるようになっている。部屋の中央には大きな魔法陣が床に描かれ、その周りに様々な装置が配置されていた。
そして、窓際に一人の男が立っていた。
背が高く、筋肉質な体つき。40代前後に見える顔には傷跡があり、長い黒髪を後ろで結んでいる。彼は黒と赤の装束を身につけ、腰には大きな剣を下げていた。
「やっと来たか…転移者よ」
彼の冷たい目が私を見据えた。観察者の情報通り、この男も転移者のようだ。
「あなたは…」
「名乗るほどの間柄ではない」彼は素っ気なく言った。「まずは実力を見せてもらおう」
言葉の終わらないうちに、彼は一瞬で距離を詰め、剣を抜いていた。その速さに反応する間もなく、私は辛うじて身をかわしたが、頬に浅い切り傷を負った。
「反応は悪くない」彼は剣を構えなおした。「だが、それだけでは生き残れんぞ、転移者」
もう一度の攻撃が繰り出される前に、私は「ブルーリターン」を手に取り、【システム干渉】を発動させた。青い光が武器を包み込む。
「ほう…」男の目に興味の色が浮かんだ。「その武器は普通ではないな。自分で作ったのか?」
返事をする間もなく、彼の次の攻撃が来た。今度は正面からの力強い一撃だ。私はブレードを投げた。青い軌跡を描いて飛ぶブレードは、男の剣と交差し、火花を散らした。
「なるほど、遠距離攻撃型か!」
彼は身をひるがえし、私のブレードをかわしながら、別の角度から接近してきた。しかし、「ブルーリターン」は軌道を変え、彼を追いかける。男は驚いた表情を一瞬見せたが、剣を振るって弾き返した。
「面白い武器だ」
ブレードが私の手元に戻る。次の瞬間、彼は右手を突き出し、赤い光の弾を放った。
「これはどうだ!」
反射的に【現実改変(微小)】を使い、飛んでくる魔力の弾の方向を少しだけ変えた。弾は私の横を通り過ぎ、後方の壁に命中して小さな爆発を起こした。
「おお?」男の表情が変わった。「その能力…現実改変か?」
「…あなたも転移者なんだな」
「ああ」彼は剣を下げた。「ようやく本当の会話ができそうだ」
私も体勢を緩め、ブレードを腰に戻した。しかし、警戒は解かない。
「どうして私を攻撃した?」
「力を試させてもらった」彼は肩をすくめた。「この世界では、力がすべてだからな」
「あなたはこの塔に住んでいるのか?」
「ああ、私の研究の拠点にしている」彼は窓に向かって歩きながら言った。「来い、話そう」
窓の近くのテーブルに案内され、椅子に座る。男は向かいの席に腰を下ろした。
「私はレオンと呼ばれている」彼は自己紹介した。「元軍人だ。この世界に来て約2年になる」
「カイトだ。元営業マンで…来てまだ2週間ほどだ」
「なるほど、新参者か」レオンは頷いた。「しかし、その程度の期間でブレードの扱いに慣れているとは驚きだ」
「君も『観察者』と接触しているんだな?」私は本題に入った。
「ああ。奴らの『実験』の一部だ」レオンは軽蔑したように言った。「だが、私は奴らの思い通りには動かん」
「どういう意味だ?」
「奴らが望むのは『文明の融合実験』だそうだ。だが私にとっては…この世界征服の機会でしかない」
その言葉に、私は身構えた。「征服?」
「笑うな」彼は真剣な眼差しで言った。「この世界の力のバランスは歪だ。魔法があり、怪物がいる。だが政治はまだ中世レベルだ。進んだ知識と技術を持つ我々転移者が力を持つことは必然だ」
「だが、それは観察者の目的とは違うだろう」
「だからこそ、私は塔に隠れて研究している」彼は言った。「奴らの監視の目を逃れるためにな」
「何を研究しているんだ?」
「転移者の能力の秘密と、この世界の魔法との融合だ」レオンは言った。「私のような戦闘型、お前のような特殊能力型、そしてこの世界固有の魔法。これらを組み合わせれば…」
「無敵の力?」
「その通りだ」
彼の野心に、私は不安を覚えた。だが同時に、彼の知識に興味も抱いた。
「他の転移者のことも知っているのか?」
「ああ、いくつかのグループがある」レオンは言った。「王都近くには『黄金の鍵亭』と呼ばれる、転移者が集まる場所があるらしい。それから、南方の砂漠地帯には『技術者集団』とでも呼ぶべき転移者のギルドがあると聞く」
「あなたはどのグループにも属していないのか?」
「私は独立派だ」彼は言った。「いずれ自分の勢力を築く」
窓から見える夕暮れの景色に目をやり、彼は続けた。
「しかし、お前のような『特異性』を持つ転移者には興味がある。協力して欲しい」
「どういう協力だ?」
「塔を研究拠点として使ってほしい」彼は言った。「特に、お前の『現実改変』の能力は貴重だ。私の戦闘能力と組み合わせれば…」
私は躊躇した。彼の野心は危険に思えたが、彼の知識は価値があるかもしれない。
「考えさせてほしい」
「ああ、急ぐ必要はない」レオンは立ち上がった。「今夜はここに泊まっていけ。部屋は下の階にある」
彼は窓の外を見て、「そろそろ時間だ」と呟いた。
「何の時間だ?」
「観察だ」
夕暮れの空に、突然異様な光が走った。魔力の波紋のようなものが、遠くの空に広がっていく。
「これは…」
「毎日この時間に起こる現象だ」レオンは説明した。「私はこれを『観察波』と呼んでいる。観察者たちがこの世界を監視するときに発生するエネルギーだ」
「観察者の正体について何か知っているのか?」
「彼らは我々が思っているより複雑な存在だ」彼は謎めいた言い方をした。「だが、その話は食事の後にしよう。空腹だろう?」
そう言って、レオンは部屋の片隅にある小さなキッチンスペースへと向かった。彼がこの塔で自給自足の生活を送っているらしいことに驚きながらも、私はこの予想外の出会いを消化しようとしていた。
レオンが簡素な食事を準備する間、私は部屋を観察した。壁には見慣れない文字で書かれた図表や計算式が貼られ、テーブルの上には奇妙な装置が並んでいる。明らかに研究の痕跡だ。
「何を見ている?」レオンが尋ねた。彼はシチューのような料理を二つの皿に盛りつけていた。
「この装置は何だ?」
「転移者のエネルギーパターンを分析する機械だ」彼は皿を持ってテーブルに戻ってきた。「我々の能力は、この世界の魔力とは異なる波長を持っている。その違いを研究している」
食事を始めながら、私は質問を続けた。「観察者について話してくれるんじゃなかったか?」
レオンは一口食べてから、慎重に言葉を選ぶように話し始めた。
「観察者は、宇宙の理解者を自称している。だが実際は、彼ら自身も実験の一部かもしれないと私は考えている」
「どういう意味だ?」
「彼らの言う『文明的融合の実験』。これは表向きの目的だ。だが、観察波を分析すると、彼らの活動は第三者によって監視されているようなパターンを示す」
「観察者の上にも誰かがいる…」私は思わず呟いた。観察者との会話で、彼がある情報について「権限がない」と言っていたことを思い出す。
「その通りだ」レオンは食事を続けながら言った。「そして、彼らが我々に与えたシステムにも、彼らでさえアクセスできない部分があるようだ」
「君は【システム干渉】を使ったことがあるのか?」
「ああ。だが私の適性は低かった。代わりに、これを得た」
彼は手を翳すと、赤い光の球が現れた。先ほどの攻撃と同じエネルギーだ。
「【エネルギー制御】という能力だ。私の戦闘経験と相性が良い」
「他の転移者たちも、それぞれ違う能力を持っているのか?」
「ああ。基本的には元の世界での経験や適性に合わせて能力が発現するようだ。だが、特異性を持つ者は稀だ」
「特異性?」
「通常のシステム能力の枠を超えた力だ」レオンは私をじっと見た。「お前の【現実改変】のような」
「それをどうやって知った?」
「私のシステム石を改造して、他の転移者のシグネチャーを読み取れるようにしたんだ」彼はニヤリと笑った。「お前が塔に近づいた時、すぐにわかった」
レオンはさらに、彼が集めた転移者についての情報を語った。王都の権力者のいくつかは実は転移者だという噂。南方の砂漠で進んだ技術を開発している集団。そして、東の大陸に隠れ住む謎の転移者たち。
「この世界は、転移者たちの静かな争いの場になりつつある」レオンは言った。「そしてその中心には、王国の遺跡に眠るという『転移の核』がある」
「転移の核?」
「観察者たちがこの世界と他の世界を繋ぐために使ったとされる装置だ。伝説では、それを手に入れた者は世界間の移動を自在にできるという」
その情報に、私は息を呑んだ。自由に世界間を移動できるなら…元の世界に戻ることも可能かもしれない。
「その核の場所はわかるのか?」
「情報の断片しかない」レオンは首を振った。「王都の古文書館に手がかりがあるという噂だが…」
話が尽きないまま、夜も更けていった。レオンは私に五階の一室を宿泊場所として提供した。
「明日、もっと話そう。そして…お前の能力も見せてもらいたい」
部屋に一人残された私は、ベッドに腰掛けながら今日の出来事を整理した。レオンという転移者の出現。彼の野心と知識。そして「転移の核」という新たな情報。
システム石を取り出し、メニューを開く。【システム干渉】を使い、より深いレベルの情報にアクセスしようとした。
『隠しメニュー:転移者情報』を開くと、更新された情報が表示された。
『確認転移者:レオン』
『能力特性:戦闘特化型』
『危険度:高』
『観察者評価:「計画外の行動パターン。監視強化推奨」』
さらに新たなサブメニューも見つかった。
『転移者間通信』
試しにそれを選択すると、警告が表示された。
『警告:この機能は実験段階です』
『転移者間の直接通信は観察者の監視対象となります』
『続行しますか?』
観察者の監視を避けるべきか、それとも新たな接続を試みるべきか。今はまだ時期尚早だと判断し、「いいえ」を選んだ。
ベッドに横になりながら、明日どうするべきか考えた。レオンの誘いを受け入れるべきか。彼の野心は危険だが、知識は貴重だ。それとも、村に戻るべきか。
「アイラは心配しているだろうな…」
そして、王都の存在も気になる。転移者が集まる「黄金の鍵亭」と、「転移の核」の手がかりがあるという古文書館。行くべき場所は増えていく。
夜更けまで考えていたが、疲れた体は自然と眠りに落ちていった。
***
「カイト、起きろ」
激しく揺り動かされて目を覚ますと、レオンが緊張した面持ちで立っていた。外はまだ暗い。
「何があった?」
「観察者の特別監視部隊が動いている。おそらく私の研究を察知したか、お前の異常な移動を検知したのだろう」
急いでベッドから飛び起きる。「どうすれば?」
「二手に分かれるんだ」レオンは素早く言った。「私は研究データを持って東へ向かう。お前は南の砂漠地帯へ行け。そこにいる転移者の集団が助けになるはずだ」
「待て、どうして分かれる必要が…」
「奴らの追跡を混乱させるためだ」レオンは小さな巻物を私に渡した。「これは砂漠地帯の地図と、転移者たちの隠れ家への手がかりだ。彼らを見つけたら、私の名を出せ」
「でも…」
「議論している時間はない」レオンは窓から外を見た。「奴らはもうすぐここに来る。さあ、行くんだ」
彼は階段を駆け下り、私も急いで荷物をまとめて後を追った。塔の一階まで降りると、レオンは壁の一部に触れ、隠し通路を開いた。
「ここを通れば、塔の東側に出られる。そこから南に向かうんだ」
「君は本当に信頼できるのか?」私は最後の疑問をぶつけた。
レオンは真剣な表情で私を見た。「転移者同士、助け合うしかないんだ。この世界では、我々は異物なんだからな」
その言葉に、かすかな真実を感じた。彼の野心は危険かもしれないが、同じ境遇の仲間として、この瞬間だけは信頼できる気がした。
「また会えるのか?」
「ああ、必ず」彼は力強く頷いた。「砂漠の集団なら、お前の能力も歓迎するだろう。そして、もし王都に行くことがあれば、『黄金の鍵亭』で聞け。合言葉は『星を越えし者』だ」
最後に彼は小さな結晶を私に渡した。「これは通信結晶だ。危険な時は砕け。私に信号が届く」
急いで別れを告げ、私は隠し通路へと入った。暗い通路を進むこと数分、ついに出口に着いた。外に出ると、塔の東側の森の中だった。夜明け前の薄暗い空の下、南を目指して急ぎ足で進む。
振り返ると、塔の周囲に青白い光の点が複数現れているのが見えた。レオンの言っていた「観察者の特別監視部隊」だろうか。
「急いで距離を取らないと…」
森の中を進みながら、混乱する思考を整理しようとした。突然の展開に戸惑いながらも、新たな目的地である砂漠地帯への道のりを考える。
ルーナの地図によれば、南へ数日の旅だ。そして、王都はその途中にある。そこで「黄金の鍵亭」を訪れるべきか。それとも、直接砂漠を目指すべきか。
そして、アイラとの約束も気になる。無事を伝えるために、一度村に戻るべきだろうか。
「選択の時だな…」
朝日が地平線から顔を出し始める中、私は南へと足を進めた。この世界での冒険は、予想もしなかった方向へと進み始めていた。
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