第5話

# 第5話 『隣村との交渉』


翌朝、鳥のさえずりで目が覚めた。窓から差し込む朝日が部屋を明るく照らしている。今日は隣村との交渉の日だ。


身支度を整えて階下に降りると、アイラがすでに朝食の準備をしていた。


「おはようございます、カイトさん。よく眠れましたか?」


「ああ、久しぶりに安心して眠れたよ。おはよう、アイラ」


テーブルには温かいパンと卵料理、そして果物が並べられていた。


「今日は交渉があるんですよね。頑張ってください」アイラは優しく微笑んだ。


「ありがとう。終わったら薬草集めも手伝うからね」


朝食を終えると、約束の時間に村の広場へ向かった。村長と数人の村人がすでに馬車の準備をしていた。


「おお、カイト!来てくれたか」村長が手を振った。


「おはようございます、村長」


「今日はよろしく頼むぞ。マリンレイク村の長老は頑固でな。いつも我々は損をしている気がするんだ」


村長は交渉の内容を詳しく説明してくれた。ウィロウ村の野菜や穀物、特に薬草と、マリンレイク村の鉄製品や魚を交換する取引だという。


「では出発しよう。マリンレイク村まで馬車で約1時間だ」


私たちは二台の馬車に分乗した。一台目には村長と年配の村人たち、二台目には私と若い村人たち数名が乗った。


「初めまして、カイトさん。私はトーマスです」


隣に座った若い男性が自己紹介してきた。20代前半といったところか、屈強な体つきだが、眼差しは優しい。


「村長から聞きました。交渉を手伝ってくれるそうですね」


「ああ、できる限りは」


「実は私、来月から王都のアカデミーに行くことになっているんです」トーマスは少し誇らしげに言った。


「アカデミー?」


「魔法技術を学ぶ学校です。この村から選ばれたのは10年ぶりなんですよ」


彼は嬉しそうに説明を続けた。王国では魔法と科学が融合した技術が発展しており、地方から優秀な若者がアカデミーに招かれるのだという。


「それはすごいな。どんな魔法を学ぶんだ?」


「私は鍛造魔法に興味があります。金属に魔力を込めて特殊な性質を持たせる技術です」


彼の話を聞いているうちに、もう一人の同乗者が会話に加わった。


「こんにちは、私はルーナです」


彼女は年の頃なら20代半ばといったところだろうか。シルバーがかった髪と紫がかった瞳が印象的な女性だ。


「ルーナさんは地図作りの仕事をしているんです」トーマスが補足した。


「地図作り?」


「ええ、この地域の詳細な地図を作成しています」彼女は微笑んだ。「今回の交渉ではマリンレイク村の最新情報も集めたいと思って」


「地図は冒険に欠かせないものですね」


「冒険家なんですか?」ルーナの目が輝いた。


「いや、まだ旅を始めたばかりだから。でも、これから色々な場所を見てみたいとは思っているよ」


「それなら、いつか私の地図が役に立つかもしれませんね」


会話が弾む中、馬車は森の中の道を進んでいった。やがて木々の間から湖の青い輝きが見え始めた。


「あれがマリンレイク湖です」トーマスが指さした。「村はその湖畔にあります」


湖に沿って進むと、やがてマリンレイク村が見えてきた。ウィロウ村より少し大きく、石造りの建物も多い。湖には小さな船が浮かび、村の入口には鍛冶屋から立ち上る煙が見えた。


村の広場に到着すると、マリンレイク村の村人たちが出迎えてくれた。村長たちは挨拶を交わし、交渉の場所である村の集会所へと向かった。


集会所に入ると、中央に大きなテーブルが置かれ、その周りにマリンレイク村の長老と幹部たちが座っていた。


「ようこそ、ウィロウ村の皆さん」マリンレイク村の長老が挨拶した。彼は白髪の老人で、鋭い目つきをしている。


我々も席に着き、交渉が始まった。村長が今回の交換品目とその数量について説明を始める。


「今回は上質な冬小麦と薬草、特に貴村で需要の高いフェバーリーフを多めに持ってきました」


マリンレイク村の長老は冷静に聞いていたが、その表情から満足していないことが伺える。


「それに対して我々は鉄製の農具と調理器具、それに湖の魚の干物を提供します」


提示された交換比率を聞いて、ウィロウ村の村長が眉をひそめた。それは明らかに我々に不利な条件だった。


ここで村長が私に目配せした。出番のようだ。


「失礼します」私は立ち上がった。「北からの旅人で、この度ウィロウ村にお世話になっているカイトと申します」


マリンレイク村の人々は私を興味深げに見つめた。


「ひとつ質問よろしいでしょうか。フェバーリーフの効能はご存知ですか?」


「もちろんだ。熱を下げる薬草だ」長老が答えた。


「はい、しかも非常に効果的です。この地域では他に代替品がなく、冬の疫病シーズンには欠かせないものと聞いています」


ここで【言霊の術】を使い始めた。言葉に少しずつ力を込める。


「このフェバーリーフは、ウィロウ村の特殊な土壌でしか育たず、しかも収穫のタイミングが非常に繊細です。村人たちは何年もの経験と知識を基に、最高品質のものだけを選別しています」


私の言葉を聞きながら、マリンレイク村の人々の表情が微妙に変化していくのがわかった。特に医療担当らしき年配の女性が頷いているのが見えた。


「また、今年は例年より収穫量が少なく、他の村々からの需要も高まっています。しかし、長年の友好関係を重視して、マリンレイク村には最優先で分けていただいています」


長老が僅かに眉を動かした。


「それに対して、マリンレイク村の鉄製品の品質は王国内でも高く評価されていると聞いています。特に湖の水を使った鍛造技術は特別なものですよね?」


これは先ほどトーマスから聞いた話を織り交ぜている。長老の村への敬意を示すことで、警戒を解く狙いだ。


「確かにその通りだ」長老は少し胸を張った。「我々の技術は代々受け継がれてきた誇りだ」


「その素晴らしい技術と、ウィロウ村の農業技術が公平に評価されることが、両村の長期的な繁栄につながるのではないでしょうか」


さらに【言霊の術】を強め、公平さや相互尊重の念を言葉に込めた。部屋の空気が少しずつ変わっていくのを感じる。


「私が見るに、現在提示されている交換比率では、フェバーリーフの価値が正当に評価されていないように思います。特に今年は収穫量が限られている状況を考えると…」


そこで医療担当の女性が口を開いた。「長老、彼の言うことはもっともです。昨年の冬、フェバーリーフのおかげで多くの命が救われました」


長老はしばらく考え込んだ後、ゆっくりと頷いた。


「確かにその通りかもしれん。では、フェバーリーフについては再評価しよう」


これをきっかけに、交渉は一気に進展した。私は時折【言霊の術】を使いながら、両村にとって公平な取引になるよう調整を図った。最終的には、ウィロウ村が提供する薬草の価値を適正に評価した上で、マリンレイク村からは高品質の鉄製農具と、通常より多めの干し魚、さらに村では珍しい鉱石のサンプルをボーナスとして受け取ることで合意した。


「これで話がついたな」長老は満足げに言った。「久しぶりに実りある交渉だった」


ウィロウ村の村長も喜んでいる。「カイト、君のおかげだ。本当にありがとう」


交渉が終わり、両村の人々が交流会を始める中、私は集会所の外に出て一息ついた。【言霊の術】を頻繁に使ったせいか、少し頭が疲れている。


「素晴らしい交渉術でしたね」


振り返ると、そこには先ほどまで会議に同席していなかった男性が立っていた。30代半ばといったところか、洗練された服装と物腰が印象的だ。


「ありがとうございます。あなたは?」


「失礼しました。私はレイモンド・バートン。王都から来た商人です」


彼は丁寧に頭を下げた。


「カイトです。北からの旅人で…」


「ええ、聞いていました」彼は微笑んだ。「あなたのような交渉術を持つ人は珍しい。特に…言葉の使い方が実に興味深い」


彼の言い方に、何か含みがあるように感じた。もしかして【言霊の術】に気づいているのか?


「普通の交渉術ですよ。以前、商売をしていたので」


「そうですか?」彼は意味深な笑みを浮かべた。「私は人の『才能』を見つけるのが得意でして。あなたには特別な才能を感じます」


警戒心が芽生えたが、同時に興味も湧いた。


「実は、私は王都の商業ギルドに所属しています。その中で、特殊な才能を持つ人材を探しているんです」


「特殊な才能?」


「そう…例えば、人の心を動かす力とか」彼は意味ありげに言った。「もし興味があれば、王都で会いましょう。このカードを」


彼は小さな名刺を差し出した。上質な紙に金色の文字で名前と所在地が記されている。


「ちなみに」彼は声を低くした。「王都には、あなたのような『特別な』人が集まる場所があります。きっと興味深い出会いがあるでしょう」


彼が何を知っているのか、あるいは勘づいているのかはわからない。だが、王都に転移者についての情報があるかもしれないという可能性は魅力的だった。


「考えておきます。ありがとう」


彼はもう一度微笑み、人々の集まりの中へと戻っていった。


名刺をポケットにしまいながら、考えた。「王都か…いずれは行くべき場所かもしれないな」


その時、ルーナが近づいてきた。


「カイトさん、素晴らしい交渉でした!村長もとても喜んでいますよ」


「ありがとう。でも、両村が満足する結果になってよかった」


「私も収穫がありました」彼女は嬉しそうに言った。「マリンレイク村の最新情報をたくさん集められました。そう、これを見てください」


彼女は小さな革の筒から羊皮紙を取り出し、広げた。それは精密に描かれた地図で、ウィロウ村からマリンレイク村、さらにその周辺の地域が詳細に記されていた。


「これ、素晴らしいですね」私は感心して言った。


「ええ、まだ完成ではないんですが。実は…」彼女は少し躊躇ってから続けた。「私、来月から周辺の山域の調査に行くんです。もしよかったら、その前に地図の複製をお渡しできますよ」


「本当に?それは助かります」


「ウィロウ村に戻ったら、工房に来てください。ちょうどトーマスも王都に行く前に特別な鉄製品を作るそうなので、一緒に来るといいかもしれません」


こうして、予想外の出会いと新たな繋がりを得た交渉の日は終わった。帰りの馬車では、村長から何度も感謝され、村の評議会への参加も提案された。


ウィロウ村に戻ると、アイラが広場で待っていた。


「どうでしたか?」彼女は期待に満ちた表情で尋ねた。


「上手くいったよ。思った以上にいい条件で交渉がまとまった」


彼女は喜んで小さく拍手した。「良かったですね。村のみんなが喜びます」


「それに、いくつか面白い出会いもありましたよ」


「出会い?」


「ああ、王都の商人とか、地図作りの女性とか。この世界のことをもっと知るきっかけになりそうだ」


アイラは少し寂しそうな表情を見せたが、すぐに笑顔に戻った。


「約束通り、薬草集めを手伝ってくれますか?」


「もちろん。準備はできてる?」


「はい、すぐに出発できます」


私たちは森へと向かいながら、今日の出来事について話した。交渉の成功、王都の商人との奇妙な会話、そしてこれから広がるかもしれない可能性について。


異世界での私の冒険は、少しずつ形を変えながら、確実に前に進んでいた。

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