第4話

# 第4話 『アイラとの距離』


目を覚ますと、窓から差し込む夕日の光で部屋が赤く染まっていた。時間を確認すると、アイラが言っていた夕食の時間が近づいている。急いで顔を洗い、身支度を整えた。


「お邪魔します」と声をかけながら階下に降りると、アイラが料理をしている姿が見えた。


「起きましたか。ちょうど夕食の支度が整いました」


彼女は振り返り、微笑んだ。その表情は昼間より柔らかい。台所からは温かい食事の匂いが漂ってくる。


「何か手伝えることはありますか?」


「テーブルを用意していただけますか?奥の棚に皿があります」


言われたとおりに皿とカトラリーを取り出し、小さなテーブルをセットした。アイラは鍋から煮込み料理を取り分け、焼きたてのパンとともにテーブルに運んだ。


「いただきます」


最初の一口で、思わず声が漏れた。「これは美味しい!」


彼女は照れたように目を伏せた。「ありがとうございます。特別なものではありませんが…」


「いや、本当に美味しい。この肉と野菜の煮込み方は絶妙だ」


実際、地球の料理とは異なる香辛料が使われているようだが、その味は見事に調和していた。


「あの、差し支えなければ、カイトさんのことを少し教えていただけませんか?」アイラは遠慮がちに尋ねた。「村長からは北から来た旅人とだけ聞いていて…」


「ああ、もちろん」


この世界での身分設定をすでに「北からの旅人」としたので、それに沿った話をすることにした。


「北の地方で育ちました。家業は…商売です。物を売ったり買ったりする仕事をしていました」


これは嘘ではない。営業という職業は確かに「商売」の一種だ。


「それで旅に出たのは?」


「新しいものを見たかったんです。同じ場所にずっといても、見えるものは限られていますから」


アイラは興味深そうに聞いていた。「旅はどれくらい続けているんですか?」


「実は最近始めたばかりなんです」これも嘘ではない。この世界に来たのは昨日のことだ。


「そうなんですね。初めての旅で大変でしょう」彼女の声には優しさがあった。


「あなたは?ずっとこの村で?」


彼女は小さく頷いた。「生まれてからずっとここです。両親は5年前に病で亡くなり、それから一人で暮らしています」


「大変だったでしょう」


「村の人たちが助けてくれましたから」彼女は微笑んだが、その目には少し寂しさが見えた。


「では、あなたのお仕事は?」


「畑仕事と、村の市場で野菜を売っています。それから、時々薬草も採りに行きます」


話をしているうちに、彼女の緊張が少しずつ解けていくのを感じた。食事が終わると、私は自然に皿を下げて洗い始めた。


「あ、それは私がやりますから!」アイラは慌てた様子で言った。


「いえ、宿を提供してもらっているんですから、これくらいは」


「でも…」


「家事は得意なんですよ」これは大げさだが、一人暮らしの経験はある。「それに、あなたが作ってくれた美味しい食事のお返しに少しでも」


彼女は最初は遠慮していたが、やがて隣に立って一緒に皿を拭き始めた。


「故郷では…どんな生活をしていたんですか?」


「一人で暮らしていました。家事も自分でやっていたので」


「家族は?」


「遠くにいます」これも半分は本当だ。地球にいる家族は、本当に遠くにいる。


皿洗いが終わると、アイラは薪ストーブに火を入れ始めた。夜の冷え込みが厳しくなっているようだ。


「手伝いましょうか?」


「ありがとう。あの棚から薪を持ってきてもらえますか?」


私が薪を運んでいる間に、アイラはストーブの前に小さなベンチを置いた。


「少し暖まりませんか?夜は冷えます」


ストーブの前に二人で腰かけると、心地よい暖かさと木の香りが広がった。窓の外では、村の灯りがぽつぽつと輝き始めている。


「明日は村の仕事を手伝うんですよね?」アイラが尋ねた。


「ええ、村長から隣村との交渉の手伝いを頼まれました」


「隣村との…ああ、マリンレイク村ですね。村長はいつも彼らとの交渉で悩んでいます」


「どんな交渉なんですか?」


「私たちの作物と彼らの鉄製品の交換です。彼らの村は湖の近くにあって、鉱山もあるんです。でも、毎回彼らの頑固な長老との話し合いで、村長は苦労しています」


「なるほど…」これは【言霊の術】が活かせそうだ。


話しているうちに、アイラはストーブの火を見つめながら小さく溜息をついた。


「どうかしましたか?」


「いえ…」彼女は少し躊躇ってから続けた。「ただ、時々、この村の外の世界がどんなものか想像するんです。あなたのように旅をしてみたいと思うことも…」


「行ってみたいところがあるんですか?」


「王国の中心都市…花々が咲き誇る『花の谷』…海…」彼女の目が輝いた。「でも、一人では怖いし、ここに畑もあるし…」


「いつか機会があれば、行けるといいですね」


彼女は小さく微笑んだ。「そうですね…夢物語ですけど」


会話が続くうちに、彼女が持っている薬草の知識についても話が及んだ。アイラは村の周辺で収集できる様々な薬草とその効能について詳しく説明してくれた。


「明日の交渉が終わったら、薬草集めを手伝ってもらえないでしょうか?」彼女は少し恥ずかしそうに尋ねた。「一人より二人の方が効率良く集められますし…」


「喜んで。どんな薬草を探すんですか?」


「ブルームヒールという青い花です。傷の治りを早くする効果があって、村の治療薬に欠かせないんです。でも、少し離れた森の奥に行かないといけなくて…」


「危険なんですか?」


「最近、森で獣の気配が増えていて…」彼女は少し不安そうな表情を見せた。


「なるほど。ぜひ一緒に行きましょう」


彼女は明るい表情になった。「ありがとうございます!」


時間が経つにつれ、アイラとの会話はより自然になっていった。彼女は村での生活や周辺の地理、この地方の文化について話してくれた。そして私は、故郷の話(地球のことを直接は言わず)や旅での見聞を少し脚色して話した。


やがて時計が夜の10時を指し、アイラは小さくあくびをした。


「明日は早いですしね。休みましょうか」


「そうですね。今日はありがとうございました。美味しい食事と暖かい場所を提供してくれて」


立ち上がる際、私が誤って小さな花瓶に肘をぶつけ、瓶が傾いた。咄嗟に手を伸ばすも、アイラも同時に同じ動きをし、私たちの手が重なった。


「あっ…」


一瞬の接触で、彼女の頬が赤く染まるのが見えた。急いで手を離し、彼女は花瓶を元の位置に戻した。


「ごめんなさい」私は素直に謝った。


「いえ…大丈夫です」彼女は少し慌てた様子で言った。「おやすみなさい、カイトさん」


「おやすみなさい、アイラ」


部屋に戻り、ベッドに横になると、今日の出来事を振り返った。アイラという女性は内に秘めた強さと優しさを持っているようだ。そして、彼女の目に見える寂しさ…。


「明日は交渉と薬草集め、か」


新しい一日への期待を胸に、私は目を閉じた。この村での生活は、異世界転移という混乱の後の、意外な平穏さをもたらしてくれた。


だが同時に、心のどこかで、この平穏は長くは続かないだろうという予感もあった。

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