第13話
「シエラ、起きてるか? 入るぞ」
コンコンと叩かれたドアの向こうから聞こえたのは聞きなれた親友の声。今会いたいと思うことのできる数少ない人物の一人だ。
「起きてるよ。どうぞ」
少し乱れた部屋着の胸元を直しつつ、ベッドに座ったままシエラは返答する。
手にしていたタブレット端末をサイドテーブルに置くのと、紙袋を持った客人が扉を開けるのはほぼ同時だった。
「よっ、起きてたか。傷の具合はどうだ?」
軽い口を叩きつつサーシャが部屋に入ってくる。任務時のブレザーとは違う私服姿。正確にはあれだって私服なのだが、それを差し引いてもなんだか今日の彼女は違った雰囲気に見えた。
「流石にいつまでも寝てばっかりってわけにもいかないからね、怪我だってもうあんまり痛くは無いし」
部屋着越しに体に巻いたコルセットを触りつつシエラは笑う。本当のことを言えば体を動かすとまだ結構痛い。ドロイドにぶん殴られ、金属製の台に叩きつけられていたのだ。完治するのにはまだまだ時間が必要だった。
肋骨二本の骨折に全身の打撲、裂傷、切り傷、火傷。あの商業施設で起こったドロイドとの激闘の傷は、二週間が経過した今なおシエラが病院から出ることのできない理由の一つだ。
細かい切り傷や火傷など、多くは無事に治癒していて、幸い大きな傷跡も残っていない。本当に最近の医療技術は凄いものだな、とシエラは思う。現状に不満があるとすれば、せめて日の当たる部屋に入院させてもらいたかったことくらい。
幸いにもサーシャは軽度の打ち身、切り傷程度で済んだようだが、自分よりも派手にぶん殴られたケイトや、片足を失ったその相棒だっている。文句を言える立場では無いし、そもそも、完治するまで任務を休ませてもらえることや、個室を割り当ててもらえてるだけでも、自分の階級では本来あり得ない好待遇なのだ。
「もらった薬が良く効いてる、だろ? はいはい、それは昨日も聞いたって」
ベット脇に椅子を引っ張ってきつつサーシャが笑う。
自分がちょっとの強がりを言っていることも、きっとサーシャは分かっているのだろう。
ほぼ毎日お昼を過ぎたころに訪ねてくるサーシャ。面会時間の許す限り、他愛のない会話や、退院してからの予定に心を躍らせる。あの事件の前は気にも留めなかったゆっくりとした時間が、今ではなんだかとても尊いものに感じた。
「体の事もそうだけど」
持ってきた紙袋を漁りながらサーシャは言う。
「ウチが気になってるのは……あ、はいこれお土産。いつもの屋台のオーナーから。シエラに渡してくれって」
話しの途中で内容が切り替わり、紙袋から取り出したプラスチックボトルを渡してくるサーシャ。受け取ったボトルには、手書きで小さく『スパコ』と書かれたラベルが貼ってあった。担当区域内の公園にあった屋台でいつもシエラが飲んでいた炭酸入りのコーヒー。例の事件でシエラが負傷したと知ってから、こうして度々サーシャ経由でドリンクを差し入れてくれるのだ。
「ありがと。ここを出たらマスターにもちゃんとお礼を言いに行かないと」
ボトルの蓋を開けると慣れ親しんだコーヒーのさわやかな香りが鼻腔をくすぐる。口に含んだ炭酸の刺激とちょっぴりの苦み。いろんなことが変わってしまった日常の中で数少ない、変わらないでいてくれたものだ。
「残念ながら、しばらくあそこに行くのは止めといたほうがいいと思うぜ」
サーシャの表情が曇る。
「どうして? 何かあったの?」
半分ほど飲んだボトルを閉めるシエラの手が止まった。
「ここんところ、話題になってるみたいなんだよ。”英雄行きつけの店”ってな」
サーシャはサイドテーブルに置かれたタブレットをちらりと見る。
「さっき言いかけた事……。ウチが気にしてるのはお前の体もそうだけど、それ以上に世間のお前に対する評判の方なんだ」
考えないようにしていた複雑な思いが再燃する。
”未知の脅威から市民を救った英雄”、”初めての実戦でドロイドを圧倒した天才”、”商業施設で発砲し、甚大な被害をもたらした危険人物”等々。RPU本部や、都市のお偉いさんたちがある程度は庇ってくれているらしいが、事件から2週間が経った今でも街では彼女の噂で持ち切りだというのだ。入院場所が窓の無い個室だったり、貴重なタブレット端末を特別に貸し出されているのもそういった事情からなのかもしれない。
だがそれはサーシャとて同じだろう。
無意識にサイドテーブルに置いたタブレット端末に視線が向く。
「なんだかいろいろ言われてるみたいで複雑な気分。褒められるのは正直悪い気はしないけど、今人前に出るのはちょっと怖いかな……。サーシャの方こそ大丈夫なの?」
今更、サーシャに感じた違和感の正体にシエラは気付く。
「ウチはお前と違って目立たない容姿だかんな。そりゃあ何回かちょっとやばい時はあったけど、気を付けてれば問題ないさ」
サーシャに感じた違和感の正体。それは彼女の服装が以前よりも地味なのだ。以前から明るい色を好む彼女が、黒やグレーを基調とした地味な服装でまとめている。笑ってごまかしてはいるが、その目の奥に潜む影を見逃すほど、二人は浅い付き合いではない。
「せっかくタブレット貸してもらってんだ。しっかり情報収集して、退院後の事、考えといたほうが良いかもな」
そう言いながら背負っていたカバンを膝の上に置きなおしたサーシャは、シエラ同様貸し出されているタブレットを取り出す。操作する指がたどたどしいのはタッチパネルというものに慣れていないから。個人端末と言えば、ボタンとダイヤルで操作するものだと思っていた二人にとって、画面を触って端末を操作するというのは何とも慣れない不思議な感覚だった。
「ほら見てみろよこれ、”強さの秘訣はカフェインにあり!?英雄が毎日通った屋台のドリンクに、編集部の意見は真っ二つ!”だってさ、バカバカしい」
呆れた表情で新聞記事を流し読むサーシャ。
こんな風な記事を見るのは一体何回目だろうか。貸し出されたタブレットで新聞記事や報道のアーカイブを見れば、どこもかしこも自分たちの話題で持ち切りだ。本当に話題にするべきなのはあのドロイドの方じゃないのか。ゴシップ記事を見るたびにもやもやとした気持ちがシエラを襲う。ベッド脇でタブレットと格闘するサーシャの浮かない表情を見る限り、きっと彼女も同じ思いなのだろう。
「そういえば」
話題を変えようと、気になっていたことをサーシャに訪ねる。
「ケイトちゃんと、バディの子、その後どうなったかサーシャは知ってる?ここに入院したとき、別の施設に運ばれたって事だけは聞いたんだけど……」
恐らく、ケイトの方は命に別状は無いだろう。記憶にある限り、ケイトはシエラよりも一回り小柄だ。小柄、すなわち軽いという事は吹っ飛ばされたときの衝撃もその分軽いはず。それよりも片足を失ったもう一人の方がシエラは気がかりだった。
「あれ?その後の話、オマエは聞いてないのか?」
タブレットから目を離し、サーシャがこちらを向く。
「二人とも、上層の医療施設に送られて治療を受けたらしい。なんでもあの片足……マクミランだったかマクライエンだったか……ちょっと名前は覚えてないが、あいつがそれなりのお家柄らしくてな」
なるほど、とシエラは思った。自分もあの二人も同じRPU隊員なのだ。自分はB層では最上部にあるここで治療を受けたのに、二人は”別”の施設へ運ばれたというのが不思議だったが、それなら合点がいく。
「当初はケイトの方はこっちに運ばれる予定だったらしいけど、マクナントカが一緒にしてくれって強く希望したおかげで、二人とも上層送りだとよ。全く、いいご身分だよな」
不服を言ってるようにも聞こえるが、サーシャは笑っている。彼女もシエラと同様この手の事には慣れっこだ。
ここ、トーキョーでは階層級は絶対。上層の人間が下層の人間より優遇される、なんてことは日常茶飯事。今更気にするだけ無駄なのだ。
「ともあれ、二人とも無事みたいで何よりだよ」
「ま、そうだな。なんたってこのウチが手当てをしてやった上に安全圏まで運んでやったんだ! これで死なれちゃ助けた甲斐が無いってもんだ!」
はっはと声を上げて笑うサーシャはすっかりいつもの調子だ。
今後何がどうなるかはわからない、ならばこのつかの間の安息を楽しんでおくのが良いのかもしれない。シエラはそんなことを思った。
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