第27話:食料争奪! 謎の宝箱

 森の真ん中で、神は時々悪戯心を抱く。

 その日の朝、神代遼はそう痛感していた。


「緊急会議だ! 集まってくれ!」


 レオンの声がキャンプに響き渡り、皆が中央の広場に集まっていく。遼も慌ててテントを出て、仲間たちの輪に加わった。


「どうしたんだ?」


 彼の問いに、レオンの表情は厳しく引き締まっていた。


「貯蔵庫が——空になっている」


 その言葉に、一同から驚きの声があがった。皆の眼差しは、キャンプの端にある食料貯蔵庫へと向けられる。そこには確かに、昨日まで積み上げられていた食料が一切なかった。


「盗まれたのか?」


「それとも獣の仕業?」


 混乱が広がる中、フローラが静かに声を上げた。


「足跡も荒らされた様子もないんです。まるで……消えたみたい」


 彼女の言葉に、不吉な沈黙が降りた。


『楽しい朝ね』


 アフロネアの声が、遼の頭の中で弾むように響いた。彼はすぐに察した。


「これは君の仕業か?」


『自然現象よ』


 女神の声には、明らかに嘘をついている子供のような調子があった。


「自然現象で食料が消えるなんてあり得ない」


『神域では何でも起こりうるのよ。それに、たまには飢餓感も良い経験でしょ?』


 アフロネアの言葉に、遼はため息をついた。これは明らかに女神の退屈凌ぎだった。


「皆、落ち着いてくれ」


 レオンが全員の注目を集める。


「原因はともかく、今やるべきことは食料の確保だ。我々は三つのチームに分かれて食料調達に向かう」


 彼の計画は単純明快だった。魚を捕るチーム、果実を集めるチーム、そして狩りを行うチーム。三つの方向から食料を集め、日没までに帰還する。


「神代、お前は果実チームを率いてくれ」


 レオンの指示に、遼は頷いた。突然の危機に、彼らの結束は強まっていた。


 分担が決まり、それぞれが必要な道具を集め始めたとき、突然キャンプの外れから声が聞こえた。


「大変です! 皆さん!」


 駆けてきたのは医療班のエリオットだった。彼は息を切らせながら、重要な情報を伝えた。


「森の北にある洞窟の前に、昨日までなかった箱が置かれています。しかも、鎖で固められていて……」


「箱?」


「はい、宝箱のような……」


 彼の言葉に、キャンプ内に新たな騒めきが広がった。


『おや、宝箱ですって?』


 アフロネアの声には、明らかに演技じみた驚きがあった。


「やはり君の仕業だな」


『神の試練と思えば? 食料と宝箱、どちらを優先するか。それが問題ね』


 女神の言葉には、実験者のような冷静さと、子供のような悪戯心が混ざっていた。


 レオンは新しい状況に迅速に対応した。


「神代、君はエリオットと共に宝箱を調査してくれ。その中に食料があるかもしれない」


「了解した」


「私も行きます」


 声を上げたのはセリアだった。彼女の眼差しには、この出来事の背後に神々の干渉を感じ取る鋭さがあった。


「いや、セリアは果実チームを率いてくれ」


 レオンの判断は迅速だった。


「もし宝箱に重要なものがあっても、我々は食料なしでは生き延びられない。並行して進めるべきだ」


「分かりました」


 セリアは静かに同意した。彼女の視線が遼と交わり、何かを伝えようとしている。「神々の干渉に気をつけて」という無言のメッセージが感じられた。


 準備を整え、各チームが出発する中、フローラが遼に近づいた。


「気をつけてくださいね」


 彼女の優しい言葉には、純粋な心配と共に、昨日の未完の会話の余韻も感じられた。


「ああ、日没までには戻るよ」


 遼は彼女に微笑みかけ、エリオットと共に北へ向かった。


 ***


 森の奥深く、木々が織りなす緑のトンネルを進んでいく。


「洞窟はこの先です」


 エリオットの案内で、二人は細い獣道を進んでいた。周囲の景色は次第に変わり、木々が少なくなって岩場が増えてきた。


『楽しそうね。宝探しよ!』


 アフロネアの声には、何か企んでいる響きがあった。


「これも君のゲームの一部なのか?」


『人生そのものがゲームよ。ルールを知るか否かの違いだけ』


 女神の哲学めいた言葉に、遼は内心で苦笑した。


「ここです!」


 エリオットの声に、遼は前方に注目した。小さな洞窟の入り口が見え、その前には確かに一つの箱が置かれていた。青銅のような金属で作られた古めかしい宝箱は、分厚い鎖で何重にも巻かれている。


「何だこれは……」


 遼が近づくと、箱からは微かに煌めく光が漏れているのが見えた。これは間違いなく普通の箱ではない。


「神代さん、鍵があります」


 エリオットが指さす先には、箱の側面に小さな鍵穴があった。しかし鍵はどこにも見当たらない。


「どうすれば開くんだろう」


『それが謎解きの面白いところよ』


 アフロネアの声には、子供のような興奮があった。


 二人は箱を慎重に調べ始めた。表面には奇妙な文様が刻まれ、鎖の一部には古い文字らしきものが見える。


「これは……何語だろう?」


 エリオットが不思議そうに首を傾げる。


『古代神語よ。"真実の心を示せ"と書いてあるわ』


「真実の心?」


『そう。鍵は物理的なものじゃなくて、感情のことかもしれないわね』


 アフロネアの示唆には、試練を与える者としての声色があった。


「どういう意味だ……」


 遼が考え込んでいると、洞窟の奥から微かな音が聞こえてきた。


「誰かいるのかな?」


 エリオットの問いに、遼は箱から離れて警戒の姿勢を取った。


「調べてみよう」


 二人は慎重に洞窟の中へと足を踏み入れた。暗闇に目が慣れてくると、洞窟は思ったより広く、奥へと続いていることが分かった。


「足跡がありますね」


 エリオットの指摘に、遼は床を見た。確かに、小さな足跡が奥へと伸びている。


「誰かが先に来ているのか」


 二人は足跡を辿って進むと、洞窟の奥で驚くべき光景に出会った。壁一面に古代の壁画が描かれ、中央には石でできた祭壇のようなものがあった。そしてその上には——


「鍵だ!」


 祭壇の上には小さな青銅の鍵が置かれていた。しかし、そこに到達するには、床に描かれた円の上を歩かなければならないようだった。


「この円は何だろう……」


 エリオットが不思議そうに見つめる中、遼は慎重に一歩踏み出した。すると——


「わっ!」


 円の中に足を踏み入れた瞬間、遼の胸の辺りが熱くなり、腕輪が青く光り始めた。


『心の円よ。踏み入れた者の本心を映し出す仕組みね』


 アフロネアの説明に、遼は驚きを隠せなかった。


「本心を?」


『そう。今、あなたの心の中にある最も強い感情が、この空間に映し出されるはずよ』


 その言葉通り、遼の周りの空気が揺らぎ始め、光の粒子が集まって形を結んでいく。それはまるで、三次元の映像のようだった。


 現れたのは——フローラの笑顔と、アフロネアの姿だった。二つの映像が交互に表れては消え、遼の心の中の葛藤を視覚化していたのだ。


「こ、これは……!」


 遼の動揺を横目に、エリオットは驚きの声を上げた。


「神代さん、すごい! 何かの魔法ですか?」


「いや、これは……」


 遼は説明に窮した。自分の心の内を、こんな形で晒すことになるとは思っていなかった。


『面白いわね。あなたの心には二人の女性が住んでいるのね』


 アフロネアの声には、意外にも少し複雑な調子が混じっていた。


 気まずさを感じながらも、遼は前に進み、祭壇へと向かった。映像は彼を追いかけるように移動し、心の内を照らし続ける。


「これが"真実の心を示せ"ということか……」


 祭壇に到達し、遼は鍵を手に取った。それは意外に軽く、手のひらにすっぽりと収まる小さなものだった。


「行こう、エリオット」


「はい!」


 洞窟を出ると、宝箱は相変わらず鎖で巻かれていた。遼は鍵穴に鍵を差し込み、ゆっくりと回した。


 カチリという音と共に、鎖が自ら解け始め、箱の蓋が少し持ち上がった。中からは金色の光が漏れ出している。


「開いた……」


 二人は緊張しながら蓋を完全に開けた。そこには——


「食料だ!」


 箱の中は様々な保存食で満たされていた。干し肉、乾燥果実、穀物の袋など、少なくとも一週間分のキャンプ全体の食料がぎっしりと詰まっていた。


「これが消えた食料なのかな?」


 エリオットの推測に、遼は頷いた。どうやら女神の仕掛けたゲームの結末はこれだったようだ。


『正解! 宝探し成功おめでとう!』


 アフロネアの声には、純粋な喜びがあった。


「こんな手の込んだことをして、一体何が目的なんだ?」


『退屈しのぎに決まってるでしょ? それに、あなたの心の内を見たかったのよ』


 女神の告白には、意外な正直さがあった。


「心の内を?」


『私とフローラ……興味深いわね』


 彼女の声には、何か新たな感情の色が混じっていた。嫉妬? それとも単なる好奇心?


「とにかく、キャンプに戻ろう」


 遼は話題を変え、エリオットと共に箱を運び始めた。想像以上に重く、二人がかりでようやく動かせるほどだった。


 ***


 キャンプへの帰路は長く感じられた。重い箱を交代で運びながら、遼は考え込んでいた。洞窟で映し出された自分の心の内……。フローラへの気持ちとアフロネアへの感情が交錯する様子は、彼自身にとっても新たな発見だった。


「あの、神代さん」


 エリオットの声に、遼は我に返った。


「なんだ?」


「さっきの洞窟で見えた……あれは何だったんですか?」


 彼の素直な疑問に、遼は言葉を選んだ。


「それは……僕の心が映し出されたものだと思う」


「心が? 緑の服の女の子は、フローラさんでしたよね」


「ああ」


「もう一人の人は誰なんですか? 銀髪の美しい人……」


 その質問に、遼は言葉に詰まった。アフロネアの存在をどう説明すれば良いのか。


「彼女は……僕にとって特別な存在だ」


 その曖昧な答えに、エリオットは深く頷いた。


「神代さんも恋愛で悩んでいるんですね。僕たちと同じで」


 彼の言葉には、共感と安堵が混じっていた。遼はそれ以上否定せず、黙って頷いた。


『恋愛で悩んでいる? 面白い解釈ね』


 アフロネアの声には、意外にも動揺が感じられた。


「違うのか?」


『……それは、あなた自身の答えを見つけることね』


 女神の言葉には、珍しく迷いがあった。


 キャンプが見えてくると、仲間たちが集まってきた。皆、食料を探すために散っており、まだ多くは戻っていなかったようだ。


「神代! 見つけたのか?」


 レオンが魚を数匹持って戻ってきていた。彼の目が箱に留まり、驚きの表情を浮かべる。


「この箱の中に、俺たちの食料がある」


 遼の言葉に、レオンは目を見開いた。


「本当か?」


 箱を開け、中の食料を見せると、レオンは安堵の溜息をついた。


「良かった……皆に知らせよう」


 彼は高い音を鳴らして、仲間たちを呼び戻す合図を送った。


 少しずつ探索隊が戻ってくる中、セリアが果実の籠を抱えて現れた。彼女は箱を見るなり、意味ありげな表情を遼に向けた。


「神々の試練だったのですね」


 彼女の洞察は鋭かった。


「ああ。君にも分かったか」


「はい。これほど完璧に食料を移動させる存在は、神のみです」


 セリアの言葉には、神の使いとしての冷静な分析があった。


「実は、箱を開けるのに試練があってね」


 遼は洞窟での出来事を、心の映像の部分を省略してセリアに説明した。彼女は深い理解を示しながら聞いていた。


「"真実の心を示せ"……興味深い試練です」


 彼女の言葉には、何か自分自身の体験と重ね合わせているような響きがあった。


 次々と戻ってくる仲間たちに、遼は簡単に状況を説明した。皆、驚きながらも食料が戻ったことに安堵していた。


 夕方になり、全員が戻ったキャンプには、今夜の晩餐への期待と、奇妙な冒険への興奮が満ちていた。


 ***


 夜のキャンプは賑やかだった。食料が戻り、さらに各チームが集めた新たな獲物や果実も加わったことで、豪華な夕食が実現したのだ。


「神代、君の発見に感謝する」


 レオンが焚き火を囲む輪の中で言った。


「いやいや、エリオットが箱を見つけたんだ」


 遼は謙虚に答えた。エリオットは照れくさそうに笑っている。


「でも、神代さんが開けたんですから」


 焚き火の明かりが皆の顔を照らし、温かな雰囲気がキャンプ全体を包んでいた。


 食事が進む中、フローラが静かに遼の隣に座った。


「お疲れ様でした」


 彼女の言葉には、優しさと共に、何か言いかけて止まるような躊躇いも感じられた。昨日の続きを話す機会を探っているのかもしれない。


「ありがとう。君はどうだった? 果実集めは」


「はい、たくさん見つかりました。ただ……」


「ただ?」


「とても不思議なことがあったんです」


 フローラの声は小さくなり、周りに聞かれないよう配慮しているようだった。


「何があったの?」


「私たちが果実を集めていると、木々が……囁いたんです」


「囁いた?」


「はい。"心の声を聞け"って」


 フローラの言葉に、遼は驚きを隠せなかった。洞窟での"真実の心を示せ"というメッセージと似ている。


『おや、森も協力してくれたのね』


 アフロネアの声には、予想外の出来事を楽しむような調子があった。


「他の人も聞いたの?」


「いいえ、私だけみたいです。森の民の血を引いている私には、時々そういうことがあるんです」


 彼女の説明には、特別な能力を持つ者としての孤独と誇りが混じっていた。


「そして……私、決めたんです」


「決めた?」


「はい。明日、ちゃんとお話ししたいことがあります」


 フローラの瞳には、決意の光が宿っていた。それは昨日の迷いを超えた、新たな強さだった。


「わかった。明日、時間を作ろう」


 遼の言葉に、彼女は安堵したように微笑んだ。


 焚き火を囲む談笑が続く中、遼はひとり考え込んでいた。洞窟での心の映像、そしてフローラの決意。明日は何かが変わる日になるのかもしれない。


『明日が楽しみね』


 アフロネアの声には、複雑な感情が込められていた。嫉妬? 期待? それとも別の何か?


「君は全て予測済みなんじゃないのか?」


『神にも予測できないことはあるわ。特に、人の心は』


 彼女の言葉には、意外な謙虚さがあった。


「今日の試練も、そのためだったんだな。僕の心を見るため」


『賢いわね。でも……見たことで、私自身も混乱しているのよ』


 アフロネアの告白には、女神らしからぬ弱さが垣間見えた。


 星空の下、キャンプの焚き火は暖かく燃え続けていた。明日という日への期待と不安が、皆の心の中でそれぞれの形で育まれている。


 そして神代遼の心の中では、二つの映像——フローラの純粋な笑顔と、アフロネアの神秘的な佇まい——が交錯し続けていた。

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