第26話:ラティアの反抗作戦
凛とした朝の空気が、決意を静かに包み込む。
ラティア・ブランシュの青い瞳は、今日という日に特別な光を宿していた。
剣を握る手に込められた思いは、ただの稽古を超えた何かだった。練習場の静寂を切り裂く一振りごとに、彼女の内なる声が紡がれる。
「もう、誰にも折られたくない」
その言葉は、剣先から放たれる決意の閃光のようだった。
彼女は立ち止まり、深く息を吐いた。プラチナブロンドの髪が朝日を受けて輝き、その表情には高潔さと共に、どこか危うい企みの色も混じっていた。
「神代に、私の気持ちを折る許可は与えない」
彼女の口元に、珍しい微笑みが浮かんだ。それは完璧なる淑女の仮面の下に潜む、小悪魔的な決意の表れだった。
鞘に収められた剣を手に、ラティアは練習場を後にした。今日という日の行方を、彼女自身の手で切り開くために。
***
一方、神代遼は湖のほとりで、朝の静寂を楽しんでいた。昨日のフローラとの出来事が、まだ彼の心に余韻を残している。
「アフロネア、起きてる?」
『ええ、もちろんよ。神に眠りはないわ』
女神の声は、朝の霧のように彼の意識に浮かび上がった。
「昨日のこと、フローラが今日また話をしたいって言ってたんだけど」
『あら、どうするつもり?』
アフロネアの声には、好奇心と共に、何かしら警戒するような調子も混じっていた。
「正直に向き合おうと思う。彼女の気持ちも、僕の気持ちも」
『崇高ね』
女神の言葉には、皮肉めいた調子が混じっていた。
遼が返答しようとした瞬間、背後から澄んだ声が響いた。
「おはよう、神代」
振り返ると、ラティアが立っていた。普段より整えられた制服に身を包み、その姿はより一層気高く見えた。
「ラティア、おはよう。珍しいね、こんな朝早くから」
「ええ、今日は特別な日だから」
彼女の言葉には、何か意味深な響きがあった。
「特別?」
「ええ。あなたのために用意したの」
ラティアが差し出したのは、小さな箱だった。美しい木製の箱には、精緻な彫刻が施されている。
「これは?」
「開けてみて」
遼が箱を開けると、中には小さなブローチが入っていた。青い石で作られたそれは、まるでラティアの瞳の色を映したかのようだった。
「綺麗だけど……なぜ?」
「貴族の家では、特別な人にこういったものを贈る習慣があるの」
彼女の言葉に、遼は戸惑いを隠せなかった。
『まあまあ、大胆ね』
アフロネアの声には、面白そうな調子があった。
「ラティア、これは……」
「受け取って」
彼女の青い瞳には、揺るぎない意志が宿っていた。
遼は慎重にブローチを手に取った。それは予想以上に重く、何か特別な意味を持ちそうだった。
「ありがとう。でも、何か特別な意味があるの?」
「ええ。これは"心の盾"と呼ばれるもの。私の気持ちを——守るための」
彼女の言葉には、通常の贈り物を超えた意味が込められていた。
「守る?」
「神代、あなたが何をしているか、私には分かるわ」
ラティアの声は静かだったが、その瞳には鋭い光があった。
「何を……?」
「私の気持ちを"折る"こと。何度も何度も」
彼女の言葉に、遼は息を呑んだ。彼女が気づいているとは。
「どうして分かったんだ?」
「ここが教えてくれたの」
彼女は自分の胸に手を当てた。
「心は覚えているわ。記憶は消せても、感情は残る」
彼女の洞察は鋭かった。神々の力をもってしても、心の最も深い部分までは変えられないということだ。
「そして今日、私は宣言するわ」
ラティアは一歩前に進み、遼の胸にブローチを差し込んだ。
「もう折られたくない。このブローチは私の意志の象徴。これを身につけている限り、あなたは私の感情を折ることができないわ」
彼女の宣言には、子供じみた決意と共に、どこか可愛らしさもあった。
『ふふふ、まるでおまじないね』
アフロネアの声には笑いが含まれていた。しかし、次の瞬間、奇妙なことが起きた。
遼の腕輪が微かに震え、ブローチが青く光り始めたのだ。
「え?」
二人が驚いた表情で見つめる中、ブローチは一瞬強く光った後、普通の装飾品に戻った。
『これは……面白いわ』
アフロネアの声には、科学者のような好奇心が込められていた。
「何が起きたの?」
ラティアの問いに、遼は首を振った。
「分からない。でも、何か特別なものなのは確かだ」
『彼女の"意志"がギフトと干渉したのかもしれないわね』
アフロネアの説明に、遼は内心で驚いた。人間の意志が神の力に影響を与えるなんて。
「ともかく、これが私の反抗の証よ」
ラティアはそう言って、凛として立っていた。彼女の姿には、新たな強さが宿っているように見えた。
「分かった。君の気持ちは尊重する」
遼の言葉に、彼女は少し驚いたような表情を見せた。それは予想外の反応だったようだ。
「本当に? そんなに簡単に?」
「ああ。君の意志は重要だ。無理に折るつもりはない」
その答えに、ラティアは少し拍子抜けしたような顔をした。
「でも……私は長い作戦計画を立てたのに」
「作戦?」
「ええ。あなたの"フラグ折り"能力への対抗策を——」
彼女は少し恥ずかしそうに言葉を中断した。
『まるで子供のゲームね』
アフロネアの声には、優しい笑いが含まれていた。
「その作戦とやらを聞かせてもらえないか?」
遼の問いに、ラティアは少し躊躇った後、小さな声で答えた。
「毎日違う魔法のアクセサリーを身につけて、あなたの能力をかく乱する。今日はブローチ、明日はイヤリング、その次はペンダント……」
その子供じみた計画に、遼は思わず笑みを浮かべた。
「なるほど。大がかりな作戦だったんだな」
「笑わないで! 真剣なのよ」
ラティアの頬が赤く染まる。普段の高慢な態度からは想像できない、可愛らしい一面だった。
「ごめん、笑うつもりはなかったんだ」
遼は真剣な表情で言った。
「君の気持ちは伝わった。僕は尊重するよ」
その言葉に、ラティアの表情が柔らかくなった。
「ありがとう……」
彼女の小さな言葉には、予想外の展開への戸惑いが混じっていた。
***
その日の昼過ぎ、ラティアは森の小道を一人で歩いていた。彼女の計画は予想外の方向に進んでしまった。神代がそう簡単に認めるとは思っていなかったのだ。
「これでは拍子抜けだわ」
彼女のつぶやきには、複雑な感情が込められていた。実は彼女の「作戦」はまだ続きがあったのだ。ブローチはただの序章に過ぎなかった。
森の奥に用意されていたのは、小さな"儀式"の場だった。彼女が昨日から準備していた秘密の場所。木々に囲まれた小さな空間には、石が円形に並べられ、中央には青い花が散りばめられていた。
「無駄になってしまったわ」
彼女が落胆していると、突然後ろから声がした。
「何が無駄になったんだ?」
振り返ると、レオンが立っていた。彼の存在に、ラティアは驚きを隠せなかった。
「レオン! なぜここに?」
「偶然だ。パトロール中に君の姿を見かけてね」
彼の目が、円形に並べられた石に向けられる。
「なにやら秘密の儀式でもあるのか?」
「そ、そんなことないわ!」
彼女の否定は少し激しすぎた。レオンはにやりと笑った。
「そうか。ならこの花々の輪は何のためだ?」
「これは……」
言い訳を考えあぐねるラティアの様子に、レオンは優しく笑った。
「気にするな。秘密は秘密として尊重しよう」
彼の紳士的な態度に、ラティアは安堵のため息をついた。
「ありがとう」
「だが、一つだけ聞いてもいいか?」
「何かしら?」
「これは誰かのためのものだろう?」
レオンの問いには、何か意味深な調子があった。ラティアは一瞬躊躇った後、静かに頷いた。
「ええ。大切な人のため」
「そうか……」
レオンの声には、かすかな落胆が混じっていた。彼はラティアの想いの矛先が自分ではないと感じたのかもしれない。
「その人は、幸運だな」
彼はそう言って立ち去ろうとした。その背中を見て、ラティアは何かを決意したように声を上げた。
「レオン、待って!」
彼が振り返ると、ラティアはブローチを手に持っていた。神代から返してもらったものだった。
「これをあげるわ」
「え? でも、それは——」
「最初から、あなたに渡すつもりだったの」
彼女の言葉に、レオンは混乱の表情を浮かべた。
「どういうことだ?」
「これは"心の盾"。私の気持ちを守ってくれるもの」
彼女は一歩前に進み、レオンの胸にブローチを差し込んだ。
「でも、さっきは"大切な人のため"と言っていたが……」
「ええ、その通りよ」
彼女の青い瞳が、レオンをまっすぐに見つめる。
「その大切な人とは、あなたのこと」
その告白に、レオンの顔に驚きと喜びが交錯した。
「ラティア……」
「私の心は、あなたを選んだの」
彼女の言葉は、風に揺れる花のように柔らかく、でも芯の強いものだった。
レオンはゆっくりと彼女に近づき、静かに彼女の手を取った。
「光栄に思う」
その瞬間、ブローチが再び青く光り始めた。だが今度は、穏やかな光だった。
「これは……」
「私たちの繋がりの証ね」
ラティアの声には、新たな自信が込められていた。
二人の間に流れる静寂は、言葉では表せない何かで満たされていた。
***
夕暮れ時、遼は湖のほとりで石を水面に投げていた。ラティアの反抗と、彼女の新たな選択について考えていたのだ。
「彼女は自分で選んだんだな」
『ええ。自分の心に正直になったのよ』
アフロネアの声には、何か感慨深いものが混じっていた。
「実は、彼女がブローチを返しに来たんだ」
『そうなの?』
「ああ。そして彼女は言った——"私の心は、他の場所を選んだ"と」
『レオンのことね』
アフロネアの声には、既に知っていたかのような調子があった。
「ああ。彼女は彼の元へ向かったよ」
『人の心の選択は美しいものね』
女神の言葉には、単なる観察者を超えた感情が込められていた。
「僕は何もせずに、彼女のフラグは自然と変わった」
『そう。折るのではなく、形を変える——それも一つの方法なのかもしれないわね』
水面に投げた石が、波紋を広げていく。それはまるで、人々の心に広がる感情の波のようだった。
「でも、ラティアの反抗が教えてくれたことがある」
『何かしら?』
「人の心は強い。神の力でさえ、完全に支配することはできないんだ」
その言葉に、アフロネアは静かに同意した。
『そうね。それが人間の美しさであり、時に神々を驚かせるところよ』
遼は湖面に映る夕日を見つめていた。オレンジ色に染まる水面は、今日という日の感情を映し出しているようだった。
その時、彼は遠くの木立の間にラティアとレオンの姿を見つけた。二人は肩を寄せ合い、何かを話している。彼らの周りには、穏やかな雰囲気が漂っていた。
「幸せそうだ」
『ええ、美しいカップルね』
アフロネアの声には、純粋な祝福が込められていた。
「……でも、フローラはどうなるんだろう」
遼のつぶやきに、アフロネアは少し間を置いてから答えた。
『それはまた別の物語ね。彼女とはこれから向き合わなければならないわ』
「ああ。彼女の純粋な気持ちには、真摯に応えなきゃ」
『あなたは成長したわね』
女神の言葉には、純粋な感嘆が込められていた。
夕日が完全に沈むまで、遼は湖のほとりに座っていた。明日という日に向けて、心の準備をしながら。
そして遠くで、ラティアとレオンはブローチの青い光に照らされながら、新たな絆の始まりを静かに祝っていた。
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