第12話:浜辺の朝と謎の訪問者

 朝日が昇り、砂浜を金色に染める頃、神代遼は木陰で目を覚ました。昨晩の「恋の実り祭り」での出来事が、鮮明に蘇ってくる。祭りで折ったフラグの数々、ラティアとの会話、そして何より、浜辺に現れた謎の光と小舟の影。


「ああ……頭が痛い」


 遼は額を押さえながら起き上がった。昨日の祭りで得た18ポイントは、彼の左腕の腕輪に青く光っている。


『おはよう、よく眠れた?』


 アフロネアの明るい声が、彼の頭の中に響いた。まるで昨晩の異常事態など何もなかったかのような調子だ。


「あれは何だったんだ? 昨日の光と小舟は」


『さあ、何のことかしら?』


 女神の声には、意地悪な茶化しがあった。明らかに知っているのに、わざと教えようとしない。


「教えてくれないなら、いいよ」


 遼は伸びをしながら立ち上がり、砂を払った。キャンプに戻る前に、少し浜辺を歩きたい気分だった。昨晩、フローラと目撃した謎の現象が気になる。あの場所に行けば、何か分かるかもしれない。


 浜辺を歩き始めると、潮風が心地よく頬を撫でた。波の音だけが響く静寂の中、遼は昨日の出来事を整理しようとしていた。


『心配しなくていいわよ』


 突然、アフロネアの声が響く。


『ラティアの記憶は少し調整しておいたから』


「えっ?」


『あなたが彼女を傷つけた記憶よ。少し和らげておいたの』


 その言葉に、遼の胸に罪悪感が広がった。ラティアの気持ちを踏みにじる形で「嫌い」と言わせた記憶が蘇る。


「勝手に人の記憶をいじらないでくれ」


『あら、感謝するかと思ったのに』


 アフロネアの声には不満が滲んでいた。しかし遼は、記憶操作という行為に不快感を覚えた。それは確かに「優しさ」かもしれないが、同時に相手の人格を侵す行為でもある。


 浜辺を進んでいくと、遼は足を止めた。波打ち際に何かが流れ着いている。よく見ると、それは小さな木製の舟だった。昨晩、彼とフローラが遠くに見た光の中の物体と同じものだ。


「あれは……」


 遼は慎重に近づいた。小舟は波に揺られ、砂浜に半分埋まっている。シンプルな造りだが、どこか異質な雰囲気を漂わせていた。そして、その中に横たわっていたのは一人の少女だった。


 銀色の髪を持ち、純白の装いをした少女。彼女は静かに目を閉じ、眠っているように見えた。


「おい! 大丈夫か?」


 遼は小舟に駆け寄り、少女の肩を優しく揺すった。彼女はゆっくりと目を開け、紫がかった青い瞳で遼を見上げた。


「あなたが……神代遼さん?」


 その言葉に、遼は驚きのあまり一歩後ずさった。この少女は、自分の名前を知っている。


 少女はゆっくりと起き上がり、小舟から降りた。彼女の動きには不思議な優雅さがあった。


「初めまして。私はセリア・フィーン。あなたのような人がいると聞いて、この島にやって来ました」


「俺のような人って……何のことだ?」


 セリアは微笑んだ。その笑顔には、穏やかながらも何か意図があるように見えた。


「ユーノス様の使いとして」


 彼女が腕を上げると、そこには遼のものと似て非なる腕輪が光っていた。しかし彼女の腕輪は青ではなく、虹色に輝いていた。


『なっ!? ユーノスめ、私の島に手を出すなんて!』


 アフロネアの声が激高した。彼女の怒りは、遼の頭の中で嵐のように渦巻いている。


「ユーノス? それは誰だ?」


 遼の問いに、セリアは不思議そうな表情をした。彼女はアフロネアの声を聞いていないようだ。


「ユーノス様は、恋愛を司る神です。恋愛肯定派の神として、人々の心に愛を育む存在」


 その説明に、アフロネアの怒りはさらに高まった。


『恋愛肯定派ですって!? 笑わせないで! 恋愛なんて幻想に過ぎないのに!』


 遼は頭の中の叫び声に眉をひそめながらも、セリアに向き直った。


「つまり、君もアフロ……じゃなくて、神の使いということか?」


 セリアは静かに頷いた。


「はい。ただ私の役目は、あなたとは違います。私は恋愛フラグを立てることでポイントを得ています」


 その言葉に、遼は衝撃を受けた。フラグを折る自分とは正反対の存在。それが目の前の少女だった。


「フラグを……立てる?」


「はい。人々の間に恋を芽生えさせ、恋愛を成就させることが私の使命です。それによって魂が浄化され、救いに近づくと信じています」


 セリアの言葉には、強い信念が感じられた。彼女は本気で恋愛の力を信じているようだ。


『あなたに近付こうとしてるわ! 警戒して!』


 アフロネアの警告に、遼は少し身構えた。確かにセリアは彼に一歩近づこうとしていた。


「そんなに警戒しなくても。悪意はありません」


 セリアの穏やかな声に、遼は少し緊張を解いた。しかし油断はできない。彼女は自分とは対立する立場の人間なのだ。


「どうして俺を探していたんだ?」


「同じ使いとして、一度お会いしたかったのです。フラグを折るという珍しい役目を持つ方が、どんな人なのか」


 セリアの言葉には好奇心が滲んでいた。彼女は遼の腕にある青い腕輪に視線を向けた。


「その腕輪、ユーノス様から聞いていました。私のとは違う光を放つのですね」


 遼は自分の腕輪を見つめた。確かに彼女のものとは異なる、シンプルな青い光を放っている。


 二人が話をしている間も、アフロネアの声は遼の頭の中で警戒を促していた。


『あまり近づかないで。使いの間の接触は危険なの』


「そんなに心配することないだろ」


 遼は思わず声に出して答えてしまった。


『心配じゃないわよ! ただ……使いの間の接触は危険なのよ』


 セリアは不思議そうな表情で遼を見つめていた。


「誰かと話していますか?」


「ああ、すまない。少し独り言」


 遼は誤魔化しながら、セリアを観察した。彼女は確かに優雅で聡明な雰囲気を持っていた。敵対する立場にありながら、不思議と敵意は感じられない。しかし、そんな穏やかな雰囲気に警戒する必要があるのかもしれない。


「キャンプに案内しましょうか? 他の皆さんにもご挨拶したいです」


 セリアの提案に、遼は迷った。彼女をキャンプに連れて行くべきか。しかし、どうせ彼女は島に来た以上、いずれは他の生徒たちとも接触するだろう。


「わかった。俺が案内する」


 遼の言葉に、セリアは優雅に微笑んだ。二人は並んで砂浜を歩き出した。


「アフロネア様とユーノス様は姉弟神なのですよ」


 セリアの突然の言葉に、遼は驚いた。アフロネアにはそんな関係者がいたのか。


「それは知らなかった」


「考え方は正反対なんです。アフロネア様は恋愛懐疑派で、ユーノス様は恋愛肯定派。だから私たち使いも対立する役割を持っています」


「姉弟の神の代理戦争というわけか」


『失礼ね! これは神聖な実験よ!』


 アフロネアの声に、遼は小さくため息をついた。


「神聖な実験なら、なぜこんな無人島で?」


『……退屈だったのよ』


 アフロネアの答えは、子供のような正直さだった。


「あなたの神様も、時々わがままなんですか?」


 セリアの質問に、遼は思わず笑みを浮かべた。


「ああ、それはもう……」


 セリアも笑った。その笑顔には真実の温かさがあった。


「ユーノス様も気分屋で……」


 二人は神々の扱いにくさについて、共感するように小さく笑い合った。敵対する立場でありながら、不思議な連帯感が芽生えていた。


『本当に気をつけなさいよ? 彼女はあなたの敵なのよ』


 アフロネアの警告は、妙に焦りを含んでいた。遼はセリアを見つめながら考えた。彼女は敵なのだろうか。それとも同じ運命を背負った仲間なのだろうか。


「キャンプに着いたら、どう説明する?」


「漂流者として紹介していただければ。島の外からやってきた旅人として」


 セリアの提案は実に自然なものだった。遼は頷き、二人は歩みを進めた。朝陽が高く昇り、新たな一日が始まろうとしていた。


 遼の頭の中で、アフロネアの不満げな声がぶつぶつと続いていたが、今は目の前の謎の少女——セリア・フィーンという名の対立者について知ることが先決だった。彼女が島にもたらす変化、そして二人の関係性が、これからどう展開していくのか。


 島の風が優しく二人の髪を揺らし、キャンプへと続く道を照らしていた。

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