第11話:恋の実り祭り、ただし実るのは誰?

 朝日が海面を黄金色に染め始めたとき、神代遼の腕輪が突然大きく震えた。眠りから覚めた彼の目の前には、青白く輝くディスプレイが浮かび上がっている。


『今日は特別ボーナスデー! 折れたフラグ1つにつき、通常の3倍ポイント!』


 メッセージと共に、腕輪にはキラキラとしたエフェクトが流れた。アフロネアの「特別サービス」らしい。


「朝からこれか……」


 遼は溜息をつきながら、一晩を過ごした岩場から身を起こした。背中の痛みはまだ残っているが、何とか動けそうだ。昨夜眠りにつく前、海岸線に見えた青い光の正体が気になるが、今日はそれどころではない。祭りへの不安が遼の頭を占めていた。


「なぜいきなり3倍なんだ?」


『太っ腫でしょう? 特別な日なんだから、特別なボーナスも当然よ』


 アフロネアの声が嬉しそうに響く。しかし、その「太っ腫」さこそが遼の不安を掻き立てた。普段は渋々ポイントを与える女神が、急に気前良くなるのは何か企みがあるとしか思えない。


 キャンプに近づくと、すでに活気に満ちた声が聞こえてきた。祭りの準備は前日に続き、早朝から進められているようだ。


 ラティアとフローラを中心とした料理班は、大きな鍋で何かを煮込んでいる。フルーツを切る者、貝殻やビーズで飾りを作る者、即席のステージを組み立てる者——島の限られた資源を最大限に活用して、生徒たちは祭りを作り上げようとしていた。


「神代、おはよう!」


 レオンが手を振りながら近づいてきた。彼の表情は爽やかで、祭りへの期待に満ちている。


「おはよう。もう準備は順調みたいだな」


「ああ、皆張り切ってる。こんな状況でも、祭りくらい楽しまなきゃな」


 レオンの言葉には、無人島での厳しい現実を忘れたいという願いも垣間見える。神の干渉に気づかない彼らにとって、この祭りは純粋な慰めなのだ。


「神代! そこで何をぼんやりしてるの?」


 ラティアの声に振り返ると、彼女はエプロン姿で両手を腰に当て、不満げな表情を浮かべていた。


「手伝ってよ。あなたも島の一員でしょ」


「わかった、何をすればいい?」


「これを配って」


 ラティアは木の実と蜂蜜のような甘い液体で作られた、色鮮やかなドリンクが入った容器を数個手渡した。


「準備している皆に配って。パワーが出るわよ」


 遼は言われた通り、キャンプ中を回って飲み物を配り始めた。一口飲んだ生徒たちの反応は様々だ。微笑む者、顔を赤らめる者、急に陽気になる者——そして、その度に腕輪が微かに震える。どうやらこの飲み物には、何か特別な成分が含まれているようだ。


 フローラにドリンクを渡すと、彼女は微笑んでお礼を言った。


「ありがとう、神代さん。試飲してみてください」


 遼も一口飲んでみると、甘く爽やかな味が広がり、不思議な心地よさが体を包み込んだ。まるで全身がふわりと軽くなったような感覚だ。


「これは……何が入ってるんだ?」


「島の奥で見つけた特別な実と、薬草のブレンドです。恋の実り祭りにぴったりでしょう?」


 フローラの言葉に、遼は一瞬ひるんだ。「恋の実り」という名の通り、これは恋愛感情を活性化させる成分なのではないか。


『ふふふ、そうよ。この島に生えている実は、面白い効果があるの。恋愛ホルモンを活性化させるのよ』


 アフロネアの声が、からかうように響く。


「レオン、このドリンク、何か変じゃないか?」


 遼はレオンに警告しようとしたが、彼はすでに一杯飲み干していた。


「うん? 特に問題ないと思うが……美味しいじゃないか」


 レオンの頬は少し赤みを帯び、いつもより表情が柔らかくなっている。効果はすでに現れ始めているようだ。


「恋の実り祭りだから……この実には恋愛感情を活性化させる成分があるのかもしれないな」


 レオンは冗談めかして言ったが、それは真実だった。


 正午頃になると、祭りは本格的に始まった。キャンプの中央に設けられた即席のステージでは、即興の音楽隊が貝殻や木の実、皮を張った太鼓などで演奏を始めた。生徒たちは輪になって踊り、笑い声が島中に響き渡る。


 遼の腕輪は絶え間なく震えていた。フラグが次々と立っているのだ。通常の3倍ポイント——それならば、今日は多くのポイントを稼げるチャンスだった。


『ほら、フラグの嵐よ! どこから折っていく?』


 アフロネアの声に、遼は周囲を見渡した。確かに、至る所にフラグの兆候が見える。ペアで踊る生徒たち、料理を分け合う二人組、木陰で語り合うカップル——島全体が恋の気配に包まれていた。


 遼は最初のターゲットを見つけた。キャンプの片隅で、技術班の男子生徒が緊張した面持ちで医療班の女子生徒に話しかけようとしている。明らかな告白の前兆だ。


 彼は二人に近づき、自然な流れを装って会話に割り込んだ。


「やあ、二人とも。祭りを楽しんでる?」


「あ、神代。ちょ、ちょうど良かった。実は……」


 男子生徒は何か言いかけたが、遼はわざと話を逸らした。


「実はさ、向こうで君を探してる人がいたんだ」


「え? 誰が?」


「別の技術班の……そこの彼」


 遼は適当に別の男子生徒を指さした。彼は困惑した表情で遼を見たが、遼は目配せで「付き合ってくれ」と伝える。


「何か緊急の相談があるって。ちょっと行ってみたら?」


 結局、告白しようとしていた男子生徒は渋々その場を離れた。医療班の女子生徒も、何か言いたげな表情だったが、別の友人に呼ばれて離れていった。


 腕輪が「フラグ崩壊」の信号を発し、ポイントが3増加した。


『上手いわね。でもなんだか卑怯な感じもするわ』


 アフロネアの声に、遼は内心で呻いた。そもそも彼女が仕掛けた状況なのに、その手法を批判されるいわれはない。


 祭りが進むにつれ、遼は次々とフラグを折っていった。ペアダンスでカップルになりそうな二人の間に割り込み、わざと足を踏む。「告白の木」と名付けられた大きな木の下に座るラティアの隣に座り、「蚊がいる」と言って追い立てる。特別な料理を交換しようとするカップルの間に入り、わざと皿を落とす。


 様々な方法でフラグを折る度に、腕輪のポイントは着実に増えていった。しかし、その一方で、遼の心には虚しさも芽生え始めていた。


 祭りが佳境を迎えた頃、遼は一息つくために木陰に座っていた。汗を拭きながら腕輪を確認すると、ポイントは「18」になっていた。5つのフラグを折り、それぞれ3ポイントを得たことになる。


『かなり稼いだわね。でも、まだまだよ』


 アフロネアの声に、遼は溜息をついた。


「これ以上は……」


『あら、疲れたの? でも、まだ特別な展開が待ってるわよ』


 その言葉に、遼は不安を覚えた。何が起きるというのか。答えはすぐに明らかになった。


 遼が休んでいた木陰から少し離れた場所で、レオンとフローラが話し込んでいるのが見えた。二人は楽しそうに笑い合っている。その光景を、ラティアが不機嫌そうな表情で見つめていた。


『あら、女子の嫉妬フラグ。珍しいわね! 折って!』


 アフロネアの声が急に弾んだ。確かに、ラティアの周りには淡いピンク色のオーラのようなものが見える——フラグが立ち始めているのだ。


 遼は躊躇した。ラティアのフラグを折ることは、多くのポイントになるだろう。しかし、彼女の感情を傷つけることにも繋がる。


『何を迷ってるの? これは大きなポイントになるわよ』


 アフロネアの催促に、遼は渋々立ち上がった。ラティアに近づき、何か声をかけようとしたその時——


「神代」


 ラティアの冷たい声に、遼は足を止めた。彼女はまだレオンとフローラを見つめたまま、低い声で言った。


「あなたも、彼らを見て何か思うでしょう?」


「え?」


「レオン先輩とフローラさん。お似合いだと思わない?」


 その言葉に、遼は驚いた。嫉妬ではなく、ラティアは二人を肯定的に見ているようだった。


「見ていて嬉しくなるわ。素敵な二人だもの」


 彼女の表情には、確かに少し寂しさもあったが、それ以上に温かな微笑みが浮かんでいた。これは嫉妬ではなく、友人の幸せを願う気持ちだった。


 腕輪は「フラグ変質」を示す震えを発したが、ポイントは増えなかった。折れたわけではないのだ。


『あら、期待外れね。でも、まだチャンスはあるわ』


 アフロネアの声が響く中、遼はラティアの隣に座った。


「レオンとフローラが親しくなって、本当に嬉しいと思ってるんだな」


「ええ。私、前はレオン先輩のことを……でも、今は違うの。島での生活で、多くのことを学んだわ」


 ラティアの成長に、遼は素直に感心した。彼女の中で何かが変わり、より広い視野で人を見るようになったのだろう。


「それに」


 彼女は小さな声で続けた。


「最近、エリオットのことが気になり始めてるの」


 その告白に、遼は少し驚いた。エリオットは技術班の生徒で、普段はあまり目立たない存在だったが、真面目で誠実な性格の持ち主だ。


「そうなんだ。それは……良かった」


「でも、まだ自分の気持ちがはっきりしないの。だから、今は友達として、みんなの幸せを願うわ」


 その言葉に、遼は微かに微笑んだ。ラティアの中にも、恋の芽は育まれていたのだ。しかし、それは強制的に折るべきものではないように思えた。


 遼がラティアと話している間にも、祭りは最高潮を迎えていた。音楽はより激しくなり、踊りの輪は大きく広がっている。遼もラティアも、その輪に加わることにした。


 踊りの中で、遼はふとフローラの姿を見失った。彼女を探すと、キャンプの端、先日遼が奇妙な光を見た丘の方に向かっているのが見えた。


「フローラ!」


 遼は踊りの輪から抜け出し、彼女を追いかけた。海を見渡せる丘に辿り着くと、フローラは一人、夕焼けに染まる海を見つめていた。


「神代さん」


 彼女は遼の気配に気づき、振り返った。その表情には何か決意のようなものが浮かんでいた。


「一人で何をしてるんだ?」


「少し考え事を。神代さん、あなたは本当は何者なんですか?」


 その突然の質問に、遼は言葉を失った。彼女は何か気づいているのだろうか。


「どういう意味だ?」


「昨日の夜、海の向こうに青い光が見えたんです。そして、あなたがその光に話しかけているように見えました」


 遼は息を呑んだ。フローラは偶然、アフロネアとの会話を目撃していたのだ。


「それに、昨日の北の丘での出来事……あの奇妙な現象は、あなたと関係があるんじゃないかと」


 フローラの洞察力は驚くべきものだった。遼は彼女を過小評価していた。


「フローラ、俺は——」


 説明しようとした瞬間、突然耳をつんざくような音が鳴り響いた。二人が驚いて海の方を見ると、水平線の彼方で、巨大な光の柱が立ち上がっていた。


 青と紫が混じった光の奔流は、まるで海から空へと伸びる橋のようだった。そして、その光の中から、何かが近づいてきた。


「あれは……」


 小さな光の点が、次第に形を持ち始める。遼が目を凝らすと、それは小舟のような形に見えた。そして、その舟は確かに島に向かって進んでいた。


『あら、予想より早く来たわね』


 アフロネアの声が、驚きと共に響いた。


「知り合いか?」


『まあね。意外な客人よ』


 遼とフローラは、海に向かって近づいてくる神秘的な光と小舟を見つめながら、丘に立ち尽くした。祭りの音楽と笑い声が背後から聞こえる中、二人の前には未知の訪問者が姿を現そうとしていた。


「神代さん、あれは……」


 フローラの声には恐れと好奇心が混じっていた。


「わからない。でも、すぐに分かるだろう」


 遼は腕輪の「18」というポイントを確認しながら、海の彼方から近づく小舟を見つめ続けた。祭りは予想外の展開を迎えようとしていた。

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