第3話:修学旅行先は神の孤島でした
天井を見つめながら、神代遼は自分の状況を受け入れようとしていた。
柔らかい寝具の感触、窓から差し込む朝日の暖かさ——それらはすべて現実味を帯びていたが、昨日の「女神との会話」も同様に鮮明に記憶に残っていた。夢ではなかったのだろう。彼はゆっくりと腕を上げ、そこにある金色の腕輪を確認した。《フラグブレイク・ギフト》——恋愛フラグを折ることでポイントを獲得し、女神からのギフトを受け取るための装置だ。
「おーい、遼! 起きているのか?」
ドアをノックする声に、遼は我に返った。声の主は間違いなく男だった。どこか懐かしさを感じる声。しかし、そんなはずはない。
「ああ、ちょっと待ってくれ」
遼は身支度を整え、ドアを開けた。そこには、ダリウス・テラムーンという若者が立っていた。彼の赤褐色の髪は朝日に輝き、好奇心に満ちた翠の瞳が遼を見つめていた。彼も遼自身も、いつの間にか見慣れない学生服を着ていた。
「遅刻するぞ。今日はエルフォニア学園の修学旅行の出発日だろ?」
エルフォニア学園。初めて聞く名だが、不思議と脳裏に情報が浮かび上がってくる。そう、ここは魔法と神話が共存する異世界の都市エルフォニア。自分はこの学園の生徒として暮らしているのだ——そんな「記憶」が突如として確立された。
「ああ、すまない。すぐに行くよ」
遼は頭を掻きながら返事をした。どうやら女神アフロネアは、遼をこの世界にしっかりと溶け込ませるための準備をしていたらしい。
寮を出て広場に集まった生徒たちの中に交じると、そこには初めて見るはずなのに妙に親しみを感じる顔が多くあった。銀髪のミラベル、紺碧の瞳を持つイヴァン——彼らは皆、この異世界で生まれ育った住人たちだ。彼らは遼のことを昔からの友人として自然に接してくる。彼らの記憶には、遼と過ごした偽りの日々が刻まれているのだろう。
「み、みんな——」
声をかけようとした瞬間、頭の中に声が響いた。
『どう? 異世界の生活は馴染めたかしら? この世界の人たちは皆、あなたのことを知っているわ。彼らの記憶には、あなたがずっと前からいたという情報が組み込まれているの』
アフロネアの声だった。彼女は遼の頭の中に直接語りかけてきたのだ。
『お役立ちよね、この言語交換ギフト。遠くからでも会話できるの』
「なんで僕だけをこんな状況に?」
遼は小声で問いかけた。周囲から見れば、独り言を呟いているように見えるだろう。
『観察には特別な視点が必要なの。あなたは元の世界からの「使い」として、この実験の鍵になるわ。それに、異世界の人たちとの間でフラグも立ちやすいでしょう?』
アフロネアの声には、どこか楽しげな響きがあった。
修学旅行の集合場所には数百人の生徒が集まっていた。男女比は均等で、皆がそれぞれに会話を弾ませている。遼は周囲を見渡し、校門の前に立つ教師たちの姿を確認した。
「皆さん、静かに!」
拡声器を持った教師の声が響き、生徒たちの会話が静まり返る。
「今から修学旅行の出発式を行います。目的地は神話の島、フェリオス島です。三日間の予定ですので、荷物の確認をお願いします」
フェリオス島。その名前に、遼は違和感を覚えた。
『神話の島? そんな島があるのか?』
『ないわよ。私が用意した特別な場所——神域よ』
アフロネアの声が頭の中で響いた。
『そこは物理的に外界から隔絶されている。つまり、脱出不能。生活はあなたが稼ぐポイントとギフトに頼ることになるわ』
遼は息を呑んだ。つまり、この修学旅行は単なる観光ではなく、アフロネアが仕組んだ「実験」なのだ。
出発式が終わり、生徒たちは大型バスに乗り込み始めた。遼も流れに従って席に着く。窓の外を眺めながら、彼は自分の置かれた状況を整理していた。
女神アフロネアの使いとして、恋愛フラグを折ってポイントを稼ぐ。そのポイントでギフトを引き出し、生活を維持する。しかし、モテるほどポイントは減少し、生活が困窮する——そんな矛盾した境遇に置かれている。そして今から、異世界の住人たちと共に脱出不能な孤島へと向かうところだ。
バスが揺れる中、遼は腕輪を見つめた。現在のポイントは「10」と表示されている。この数字の増減が、今後の命運を決めるのだろう。
何時間かのバスの旅の後、一行は港に到着した。そこには大型の船が待機しており、生徒たちはそこに乗り込んでいった。海風が頬を撫でる中、遼は甲板に立ち、遠くに見える島を眺めた。幾重もの緑に覆われた山々、白い砂浜、そして透き通った青い海——どこかで見たような風景だった。
『きれいでしょう? 特別に用意したのよ』
アフロネアの声が再び頭の中に響く。
『あそこで、あなたの仕事が本格的に始まるわ』
船は順調に島に近づいていった。生徒たちの間でも期待と興奮の声が聞こえる。遼だけが、この旅の真の目的を知っている。
そして——
突然、空が暗転した。真昼間だというのに、空が急速に暗くなり、雲が渦巻き始めた。船が大きく揺れ、乗客たちから悲鳴が上がる。
「み、皆さん落ち着いてください!」
教師たちが必死に声をかけるが、次の瞬間、閃光が全員を包み込んだ。
意識が戻った時、遼は砂浜に横たわっていた。全身が濡れていて、服は砂だらけだ。ゆっくりと起き上がると、同じように砂浜に倒れている生徒たちの姿が見える。船の姿はなく、遠くには嵐の形跡もない。穏やかな青空が広がっているだけだ。
「何があったんだ……?」
遼が呟くと、頭の中にアフロネアの笑い声が響いた。
『転移よ。もっとドラマチックに入島した方が面白いでしょう?』
女神は明らかに楽しんでいた。
『さあ、ようこそ私の神域へ。ここからが本当の始まりよ』
遼はゆっくりと立ち上がり、周囲を見回した。砂浜の先には鬱蒼とした森が広がり、遠くには山の稜線も見える。確かに美しい島だが、そこには明らかな違和感があった。何かがおかしい。
徐々に他の生徒たちも意識を取り戻し、混乱と恐怖の声が上がり始めた。
「大丈夫か?」
遼は近くで倒れていたダリウスに声をかけた。彼はよろよろと起き上がり、周囲を見回した。
「な、何が起きたんだ? 船は? 先生たちは?」
教師らしき姿も見える。皆が無事のようだった。しかし、誰もが混乱していた。そんな中、一人の教師が大声で皆を集めようとしていた。
「皆さん! こちらに集まってください! 点呼を取ります!」
生徒たちは徐々に教師の周りに集まり始めた。遼も流れに従って移動する中、ふと視線を感じて振り返った。
砂浜の端に、一人の少女が立っていた。プラチナブロンドの巻き髪を風になびかせ、青い瞳で遼をじっと見つめている。その姿は他の生徒たちとは明らかに異なる雰囲気を醸し出していた。
その瞬間、遼の腕輪が微かに輝いた。ディスプレイには「フラグ検知」という文字が浮かび上がる。
『あらあら、もう始まってるわね』
アフロネアの声が頭の中で甘く響いた。
『彼女はラティア・ブランシュ。貴族の血筋を引く優等生よ。見たところ……あなたに興味を持ったみたいね』
遼は少女——ラティアを見つめ返した。彼女は突然視線をそらし、鼻を高くして背を向けた。まるで「見てなんかいない」と言わんばかりの仕草だった。
『典型的なツンデレね。さあ、どうする? 最初のフラグが立ったわよ』
遼は静かに息を吐いた。今はそれどころではない。皆が無事かどうかを確認し、この状況を把握することが先決だ。
しかし、女神の言葉は現実味を帯びていた。逃げ場のない孤島で、恋愛フラグを折ってポイントを稼がなければ生き延びられない——そんな過酷な「ゲーム」が、今まさに始まろうとしていた。
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