第8話 目覚め
『最新のAIによる性格分析に応じたジョブ判断を行う古き良き最新のVRMMORPG〈ミラーフロンティア:インフィニティワールド〉へようこそ!』
目覚まし時計が鳴り響く。
腔井トーシキは布団から手を伸ばし、それを止め、カーテンを自分の手で開いた。陽光が差し込む。半開きになったドアの隙間からは、焼けたパンの匂いや、目玉焼きでも母親が作っているのだろう、油が弾ける音が入ってくる。彼は、ハンガーにかかった制服を横目に、ベッドから降りた。
時刻は、七時二十五分。学校には十分間に合うと内心頷いた。
朝食も取り、歯を磨き、着替え、寝癖を整え家を出る。その前に、何となく路線状況をスマートフォンで確認した。遅延はない。天気は今日一日ぐらいは晴れだろう。外の様子を見てそう感じる。
「いってきます」
家族にそう言って、腔井トーシキは学校へ行く。
『ミラーフロンティア:インフィニティワールド』のキラル王国に〈バンダースナッチ〉の発生がアナウンスされ、一週間。腔井トーシキは、あれからゲームにログインしていない。
それどころか、〈ノッカー〉へ話しかけることすらやめた。
あんなもの、なくても人間は生きていける。気づいたのだ。
でも、トーシキは、すれ違う人たちの会話を気にしてしまう。
「なあ〈ノッカー〉、腹減った」
――コンビニでなんか食えばいいだろ。
「なあ〈ノッカー〉、眠い」
――じゃあ、今日は一日家にいろ。
「なあ〈ノッカー〉、仕事さぼる方法ない?」
――会社に連絡して休めばいい。
「なあ〈ノッカー〉、働かないで金、手に入れる方法」
――そんなものあったら誰も苦労はしない。
「なあ〈ノッカー〉、服ほしい」
――買いに行けばいいだろ!
パーソナルAIサポーターなんかに頼る必要のないことばかり。トーシキは歯噛みしながら早歩き。
それが、自分であったこともまた、彼の気を落とす要因だった。
思えば、起きる時間から今日の天気、路線状況、学校までのルート、そのすべてをAIにきいて、従う生活をしていた。それになんの違和感もなく生きてきた。
だって、AIは常に最適解をくれる。間違ったことを言わない。もしも間違っても、それはおれが悪いわけじゃない。機械が間違えたのだ。
今日傘はいらないとAIがいい、それに従ったのに雨が降ったとして、怒る先がある。使えないAIだと罵ればそれで終わり。誰かのせいにできる。
誰もが、逃げているのだ。駅のホームに並ぶ大人、学生、子供。それらを眺めながらトーシキは思う。
『絶対面白い漫画教えて』
『この映画の感想だけ教えて』
『このゲームつまらないって思わない?』
自分の感想からも逃げている。自分も一週間前までそうだったと思うと、なんだかぞっとする。
『なあ〈ノッカー〉、最強装備教えて』
『なあ〈ノッカー〉、いい感じの金策プリーズ』
『なあ〈ノッカー〉、攻略情報』
〈ミラー・オブ・ミラーズ〉で聞いたプレイヤーたちの質問。ゲームの中ですら、失敗を恐れ、勝手に恥を感じ、必死でAIに縋るのだ。
「ゲームだろ、たかが」
思い出し、トーシキはつい独り言つ。洞原マウロに対してもそうだった。
『なんで昨日ログインしなかったんだ?』ログインしなかった、次の日。マウロからトーシキへの第一声。
『飽きた』トーシキはあっさりとそう返した。
『でも、国王だぜ? そんなすぐに辞めたらもったいないだろ』
『いいんだよ、別に。お前もさ、もう少し自分で遊び方、考えたほうがいいと思うよ。ゲームなんだし』
『何の話してるんだ? たかがゲームって、それはそうだけど……』
『そうだろ? まあ、気にするな』
さすがにログを読んだ、とは言わない。通常のチャットログの閲覧権限ぐらいはマウロの〈ノッカー〉が予測するかもしれないが、まさかAIとの会話や脳波まで読み取れるとは思っていまい。あれから、ゲームはやめたものの、学校の友人としてマウロと表面上はうまくやっているはずだ。柊ノリンも、一度だけ心配しに来たが、それだけだった。
「今頃みんな、AIに必死で質問して、〈バンダースナッチ〉を倒そうとしてるのかな」
戦闘力、十兆。戦闘力四千の強化バフォメットでひーひー言ってるプレイヤー達が、勝てる相手ではない。そも、運営AIが用意した最強モンスターは、国王の引退を印象付ける敗北イベント用の敵なのだ。勝てるわけがない。
そう思うと、滑稽であった。今頃、引退者も続出し、もしかしたら王国は空っぽになっているかもしれない。
……そうだとすれば、亡国となりかけているその様ぐらい、見てみるのも面白いとトーシキは思った。空っぽな王都や、折角奪還したのにNPCしかいない町など、ちょっと気になる。
帰ったら、ゼノステイツVR4を起動し、『ミラフ』にログインしてやろうとトーシキは考えた。
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