第7話 赤い屋根の家

 ど、どうしよう……。

 わたしはあの赤い古ぼけたベンチに、男の子と並んで座っていた。

 それも、痛いくらいの視線が顔に突き刺さってくる。

 なに、なんなのこの状況。どうしたらいいの⁉︎男の子はずっとわたしを見てるし!

 男の子をちらりと見ると、目が合った。

「こんにちは!」

「こ、こんにちは……」

「お姉ちゃんに助けてもらいたいの!」

「それはさっき聞いたよ。急に、わたしになにを頼むって言うの?」

 わたしはしどろもどろにこたえる。

「え!お願い聞いてくれるの⁉︎」

「そうじゃないよ、話の内容を聞いてから決める。困っているのなら、なんとかしなきゃいけないし……」

「お姉ちゃん……いい人だね!」

 その子はうれしそうに、にこっと笑った。

「ぼく、颯太。うちに帰りたいんだけど、道がわからなくなっちゃってさ、すっごく困ってたの」

「迷子なんだ」

「そう!」

 颯太くんは大きな声で返事をした。

 迷子にしては元気だな……。

「どうやっていつも帰ってたのよ」

「放課後にこの公園でよく遊ぶお姉ちゃんが、学校に連れてってくれるの。そしたら、お母さんが学校まで迎えに来てくれるから」

「なんでお母さんが来るまで、学校で待てないの?」

「遊んでくれるお姉ちゃんは、ここにいつもいるんだもん」

 キラキラとした笑顔で話していた颯太くんだったけど、途端に悲しそうに眉をひそめた。

「でもね、もう来ないんだ、その子」

「え?」

「ずっとずっと待ってたけど、もう来ない。だから、もういいんだ。ぼく、家へ帰りたい。早くみんなに会いたいの。……お姉ちゃん、お願い」

 淡々とした口調で、諦めたような悲しい表情で、わたしをじっと見つめていた。

「ま、迷子くらいなら、なんとかしてあげられるかも」

「ほんと⁉︎」

「うん、でも……早く帰らなきゃね」

 わたしは携帯電話を開く。時間は五時前。

「なんで?」

「え、なんでって……それはほら、えっと……悪さをするもの……?が、出るから」

 颯太くんは、きょとんとした目でわたしを見ている。

 へ、変なこと言った人みたいになっちゃった?普通に、暗くなると危ないからって言えばよかった。最近ゆうれいにばっかり会ってるから……。

「それって、ゆうれい?」

「え?」

「ゆうれい怖い?」

 颯太くんは眉を寄せてわたしを見る。

 あ、もしかして、怖がらせちゃった……?

「だっ、大丈夫だよ。ゆうれいは怖くないし、いざとなったらわたし、ゆうれいを成仏させてあげられるから!」

 慌てて手を振って早口に言うと、颯太くんは目をキラキラと輝かせた。

「お姉ちゃん、成仏させられるの⁉︎すげー‼︎」

 す、素直!

 わたしは恥ずかしくなって、もういいこの話終わり!と言った。

 颯太くんの純粋な目からすいと視線をそらした、そのとき、颯太くんのポケットから紙切れがはみ出していることに気づいた。

「なに?それ」

「これ?家の前で撮った写真だよ」

 そう言ってポケットから取り出したのは、くしゃくしゃになった一枚の写真。

 そこにはきれいなショートヘアの女の人と、メガネをかけた男の人、ポニーテールの女の子と颯太くんが、赤い屋根の家の玄関前でピースをしている姿が映っていた。

「これ、ぼくが小学校の入学式に行く前、家の前で撮ったんだ。せっかくだから、みんなで撮ろうよってぼくがおねだりして」

 メガネをかけているのがお父さん、ショートヘアの人がお母さん、ポニーテールの人がお姉ちゃん、と颯太くんはそれぞれ指さして教えてくれた。

 よく見るとなるほど、みんな正装してる。

「なんで、写真なんて持ち歩いてるの?」

「うーん、家に帰ったらみんながいるけど、学校じゃ一人でしょ?みんながいるから大丈夫だって、これを見て思い出すの。ぼくのお守りなんだ」

 颯太くんは、やわらかいまなざしで写真を見つめていた。

 なのに、どことなくさみしそうに見えたのは、わたしの気のせい?

「それで、この家を探してほしいの」

「でもこれじゃあ赤い屋根っていうのと、玄関前しかわからないじゃん。もっとなにか特徴はない?近所になにか目印がある、とかさ」

 うーんと颯太くんは暗闇に染まりつつある空を見上げると、あ!と言った。

「近所に、ネコの駄菓子屋さんがあるよ」

 ネコの駄菓子屋さん?聞いたことない。ってそりゃそうだ、わたしは引っ越してきたばかりなんだから。

 すると、公園の外の歩道を、数人の小学生が歩いていくのが見えた。

「お姉ちゃん、あの子たちにネコの駄菓子屋さんの場所、聞いてきて」

「え?」

「早く!」

 颯太くんはすごい剣幕ではやし立てる。

 えぇ、急に話しかけるなんてわたし苦手だよ。

 迷っているわたしに、今でも颯太くんは早く早く、と急かしている。

 わたしはしぶしぶ立ち上がると、小学生に駆け寄った。

「ねぇ、きみたち。ネコの駄菓子屋さんって、どこにあるか知ってる?」

 いきなりたずねたわたしに目を丸くしつつも、みんなで顔を見合わせ、あそこだよな?と話し合う。

「中央小学校の裏門近くだよ。行ったら大きな看板でシロクマ屋って書いてるからすぐわかるよ」

「え?ネコの駄菓子屋じゃないの?」

「それは、ネコがたくさんいるから、みんなそう言ってるだけ」

 シロクマだかネコだか……。

「わかった、ありがとう」

 帰っていく小学生たちに手を振って、颯太くんの元へ戻る。

「中央小学校の裏だって。行こう」

 中央小学校だったら、チョコの散歩コースの一つだ。

 わたしは夜になってしまう前にと、颯太君を連れ出した。

 

 中央小学校の裏門へ回ると、小学生たちが言っていた通り、シロクマ屋と大きく書かれた看板がかかった、二階建ての小さな家があった。

「ここの近所なんだよね?」

「うん」

 颯太くんはきょろきょろと、自ら進んで探し始める。

 わたしはまた颯太くんが迷子にならないように、ぴったり後ろへくっついて進む。

 少し歩くと、住宅街に入った。

 新築の家が立ち並ぶ中を進むと、あ!と颯太くんが声を上げた。

「あった!」

 颯太くんがうれしそうに走り出す。

 その向かう先を見て、わたしは思わず立ちつくした。

 古い一軒家、だった。

 赤い屋根の塗装は剥がれ落ち、白い壁は黒く汚れてひびが入っていた。庭も荒れ果て、今の時期だときれいに咲いているであろうアジサイが枯れていた。

 ほんとに、ここに人が住んでるの?まるでそうは見えない。

「お姉ちゃん、なにしてるの?早く!」

「う、うん……」

 おそるおそる颯太くんの元まで歩む。

 颯太くんはわたしが来るのを待ってから、インターホンを押した。

 ピンポンの音は鳴らなかった。

「ねぇ、颯太くん。家、まちがえてるんじゃ……」

「はーい」

 ガチャリと扉が開いた。

 驚いて見ると、そこに立っていたのは、写真で見たショートヘアのきれいな女の人、颯太くんのお母さんだった。

「あら颯太!帰ってきたのね!心配したのよ」

「ごめんなさい、ママ」

 颯太くんが泣きそうな声であやまると、お母さんの胸に抱きついた。

 しょうがないわねぇ、とお母さんは颯太くんの頭をやさしくなで、わたしを見る。

「あなたは?」

「あの、わたしは……」

「お姉ちゃんだよ!ぼくがうちに帰るのを助けてくれたの!」

 お母さんは口に手を当て、颯太くんとわたしを交互に見る。

「まぁ!ありがとうございます。この子、まだ一人で学校から帰ってこられないの。あなたが助けてくれなかったら、一生迷子のままだったかもしれないわ」

 そんな大げさなことは!と、わたしは顔の前で手を振る。

「大したこと、してないです」

「いいえ、本当にありがとう」

 お母さんは深々と頭を下げた。

 どうしよう、とわたしがあわあわしていると……颯太くんがねぇねぇ、と言って、わたしの制服の裾を掴んだ。

「お姉ちゃん、うちでゆっくりしていってよ。お礼がしたいな」

「えぇっ、いいよ、そんな気を使わなくて」

「ねぇ、お母さんもそう思うでしょー?」

 颯太くんはわたしの言葉は無視して、お母さんを振り向く。

「そうね、なにかお礼がしたいわ」

「ね!だから遊ぼ!」

 おいおい、遊ぶのが目的か。

「でも今日はもう遅いわ。早く帰った方がいい。だから日を改めて、お礼をさせてもらえないかしら」

 そう言って、お母さんはやさしくほほ笑む。

 颯太くんはじっと、うるうるした瞳でわたしを見ていた。

 う、その目はずるいよ!

「……じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」

「やったー!じゃあ明日来てね!」

「あ、明日?」

「そう!お昼からね!」

 颯太くんはうれしそうに、何度も飛び跳ねた。

 しょ、しょうがないなぁ……。

「お名前は?」

 お母さんが聞いた。

「あ、晴海です。涼風晴海」

「じゃあハル姉ちゃんだ!」

 と颯太くん。

「それでは涼風さん、気を付けて、明日また来てね」

 わたしが建物の影に消えてなくなるまで、二人は手を振っていた。

 ただ迷子の子を、家に届けただけなんだけどな……。

    *

 次の日、わたしは荒れ果てた赤い屋根の家、そのインターホンの前にいた。

 左腕に掲げたスーパの袋をちらりと見て、インターホンを鳴らす。

 音はしなかったけど、すぐに中からバタバタと走る音が聞こえ、乱暴に扉が開かれた。

 ひょっこりと顔を出したのは、颯太くんだ。

「いらっしゃい、ハル姉ちゃん!」

 目をキラキラと輝かせ、入って入ってとわたしを急かす。

「おじゃましまぁす……わぁ、すごい」

 外装があんなに廃屋みたいなのに、中は驚くほどきれいだった。

 壁は清潔な白色で、観葉植物や壁に吊るされたドライフラワーが玄関にリビングを色とりどりと飾っている。外は真夏並みの暑さなのに、ここはクーラーが効いているのか、ひんやりとちょうどいい冷たさだった。

「いらっしゃい、涼風さん」

 リビングに足を踏み入れたわたしを、お母さんが出迎えた。

「こんにちは。植物が好きなんですか?」

「ええ、わたしの趣味よ。庭にもたくさん花を植えたくてね、アジサイを植えたの」

 あの枯れ果てたアジサイを思い出す。

「涼風さん知ってる?アジサイの花言葉。家族団欒というらしいわ。だから、はじめに植えるならアジサイだって決めてたの」

 アジサイはとっくに汚くなり、花も咲かないだろうに。

 枯れたアジサイと、アジサイについて笑顔で語るお母さんとは、なんだかいびつな温度差があった。

 わたしがあいまいな返事を返していると、階段の上からだれかが下りてくる足音がした。

 下りてきたのは、颯太くんよりもわずかに背の高い女の子と、メガネをかけた男の人だった。

 その顔を見て、颯太くんの持っていた写真で見た、お姉さんとお父さんだとわかった。

「こんにちは、話は聞いてるよ。颯太を助けてくれたってね」

 ありがとう、とお父さんはにこやかに笑った。

「いえいえ、大したことはしてないです」

 わたしは慌てて手を振った。あれ、このやりとり、昨日もしたような……?

「お姉ちゃんが、颯くんの言ってたハル姉ちゃん?」

 女の子が、お父さんの後ろに隠れながら言う。

「そうだよ」

 わたしはその子の目線に合わせて屈んで、怖がらせないようにやさしく言った。

 すると、女の子はそっか、と言ってお父さんの陰に隠れるのをやめ、前に出てきてくれた。

「あたし、香織」

「そう、香織ちゃん、よろしくね」

 わたしは手を差しだしたけど、まだ恥ずかしいのか、香織ちゃんは差し出しかけていた手を引っ込め、またお父さんの後ろに隠れる。

「ごめんなさい、この子人見知りで」

 お母さんが申し訳なさそうに言う。

「いえ、わたしも人見知りだったので、わかります」

 お母さんはまたごめんね、と言った。

「ねぇねぇ!ハル姉ちゃん早くこっち来てよ~」

 見ると、颯太くんが大きなダイニングテーブルに着いて、手招きしていた。

「しょうがないな、ちょっと待って!」

「えぇ~、早く!」

 わたしと颯太くんの会話を聞いて、三人ともくすくすと笑ってる。

 わたしは颯太くんの元へ歩み寄ると、あ!と思い出して、三人を振り返った。

「これ、スーパーで適当にお菓子買ってきたんです。よかったらどうぞ」

 お礼に、と家に呼ばれたけど、なにも持って行かないのは気が引けた。

 だからって菓子折りじゃ余計気を使うだろうと思って、ここに来る前スーパーへ寄ったんだ。

 まぁなにより、お菓子は、颯太くんが喜ぶと思って。

「まぁ!気を使わなくてよかったのに。でもありがとう、ちょうだいするわね」

 お母さんは袋を受け取ると、台所へ入っていった。

「ハル姉ちゃん、ほらここ座って!」

 颯太くんは自分の前の席を指さす。

 わたしはそこに座ると、颯太くんがこれ混ぜて、とトランプを渡してきた。

「ぼく、混ぜるの苦手なんだよ」

「なんのゲームをするの?」

「ババ抜き!みんなでするんだよ。ほら、パパ、ママ、香織も!」

 颯太くんが手招きし、お父さんは颯太くんのとなりへ。香織ちゃんはわたしのとなりへ着いた。

 お母さんはガラスコップに入れたお茶を人数分と、わたしが今日買ってきたお菓子を皿にのせて持ってきてくれた。

 そしてお母さんは、そばにあった丸椅子を、ダイニングテーブルの横につけて座った。

 香織ちゃんは、ゲームをするうちにだんだん緊張も解けてきたらしく、わたしにも笑いかけてくれる。

「やったー!ぼくが勝った!じゃあ次、七並べね」

「はいはい」

 よくしゃべる颯太くんに合わせてたら、ひどく喉が渇いた。お母さんに入れてもらったお茶を飲んだけど、薄すぎなのか味がしない。

 颯太くんはというと、わたしが勝ったら怒るし、手を抜いたら怒るしで、わたしを困らせた。

 でも、居心地は悪くなかった。

 むしろ、だれかの家でゲームをして遊ぶのなんて今までしたことなかったから、うれしかったし……。

 わたしはしみじみと思う。

 まるで、二人の幼い弟たちができたみたいだ……。

 わたしはつい、お姉さんを気取ってしまう。

 みんな温かくて、家は笑い声に満ちていた。

「あ、もうこんな時間」

 携帯電話を開くと、四時半になっていた。

 昨日は帰るのが遅くなって、お母さんは顔を真っ赤にして待っていた。

 一生懸命、迷子の子どもを家に送っていたと説明して納得してくれたけど、連絡をしろと結局怒られた。

「わたし、もう帰るね」

 颯太くんは、えぇ~と声を上げたけど、お母さんが「颯太、わがまま言わない」と、ぴしゃりと言った。

 結局、皿に盛ったお菓子は減っていない。

 食べていたのは、わたしだけだったみたいだ。みんなが好きなお菓子じゃなかったらしい。

「それじゃあね、颯太くん」

「うーん、ハル姉ちゃん、また明日も来る?」

「え?」

「明日も遊びに来てよ!」

 颯太くんが、ぱあっと顔を明るくして言った。

「そうねぇ、涼風さんが良ければだけど」

 お母さんまで!

 お父さん、香織ちゃんもとなりでうんうんとうなずいてる。

 わたしはよっぽど、颯太くんになつかれたみたいだ。

 わたしも楽しかったし、みんなも歓迎してくれるのなら……明日も遊びに来てもいいのかな?

 こんなふうにまた招かれて、悪い気はしない。

「わかった、また明日も、同じ時間で遊びに来ます」

「やったー!」

 颯太くんは、ぴょんぴょん飛び跳ねて大喜び。

 大げさだなぁとわたしが笑うと、みんなも笑った。

 みんなが見送る中、わたしは玄関に立った。

 帰ろうかとドアノブに手をかけたとき、お母さんが言った。

「今度からは、なにかわたしたちのために買ってこようとか気を使わなくていいから、自分のために食べ物や飲み物を、持ってきてね」

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