第6話 夢をたどる

 夕方、カァカァと鳴くカラス。

 暗闇に染まりつつある遊具たち。

 古ぼけた赤いベンチに、わたしは男の子と並んで座っていた。

 その子はあいかわらずうつむいて、握った写真を見つめている。

 写真はくしゃくしゃで、なにが映っているのかわからない。

 わたしはそんな男の子を、ぼんやりと見ていた。

 ――ここに長くいちゃいけない――

 心が叫ぶ。

 わたしははっとして立ち上がった。けど、そんなわたしの制服の裾を、その子が掴んだ。

「ねぇ――」

 その子がなにか言いかけたそのとき、テレビの電源が切れたように、あたりは真っ暗闇に包まれた。

 ――わたしは目が覚めた。

 全身に鳥肌が立ち、冷や汗が背中を伝った。

 わたしはミサンガのない手首を、握りしめていた。

    *

 昼休み、別棟の屋上、塔屋の日陰。

 そこで、わたしはお弁当を食べていた。

 実は今日から、お弁当は別棟の屋上で食べることにしたんだ。理由は単純、一緒に食べる友だちがいないから。わいわいおしゃべりしながら食べてるグループのそばで、一人黙々と食べてるなんて虚しいだけだし……。

「ミサンガは作れた?」

 となりに座っている朔夜先輩は言う。

「いえ、昨日は課題して、祖父の日記読んで……それだけで十時過ぎちゃったんで、すぐ寝ました」

 だし巻き卵を一口食べて、眠い目をこする。

「夜更かしはしてないのに、眠たそうね」

 お弁当を食べるわたしをじーっと見つめて、先輩は言う。

 わたしは、ウインナーを口に運んでいた手を一瞬止めた。

「……昨日は、よく眠れなかっただけですよ」

 ただの夢だ。

 夕方の公園、徐々に、男の子に近づいていく夢……。

 思い出したのは、最近読んだホラー小説。

 その小説も、毎日のくり返される夢の中で、徐々に知らない女の人に近づいていく。それで近づきすぎた主人公はとうとう……死んでしまったんじゃなかったっけ。

 わたしはぶるりと身震いした。

 いやいや、あれは小説の中の話。わたしのはただの夢よ。

 空を眺めていた先輩はそんなわたしには気づかずに、話し始める。

「ゆうれいのことなんだけど、いつもと同じ時間に現れるとすれば、四時半くらいだと思うわ。授業が終わったら学校の校門集合で、一緒に花野原公園へ行きましょ」

「わかりました」

 最後のプチトマトを口に放り込むと、お弁当の蓋を閉じ、手ぬぐいで包みながら答えた。

 

 校門に行くと、先輩がなびく長い髪を押さえつけながらたたずんでいた。

「朔夜先輩、お待たせしました」

「待ってないよ。今来たところ」

 先輩はその高嶺の花っぽさには見合わずに、無邪気に笑う。

 あいかわらず、笑うと別人みたいだ。

 歩き出した先輩のとなりに並ぶと、駆け足で行きましょう、とわたしは言った。

「そんなに急がなくても大丈夫よ。せっかちねぇ」

「先輩はマイペースすぎます」

 負けじとわたしも言い返す。

 二人、あれやこれやと言い合っていたら、あっという間に花野原公園についた。

 広い原っぱの周囲には、青々と茂った桜の木。

 先輩によると、この公園、休日は家族であふれかえるけど、平日はさみしいくらい人がいないらしい。今もしーんと静かだ。

「ゆうれいが現れるまで、木の陰に隠れてましょ」

 先輩が指さす木の陰に移動すると、さっそく作戦会議を始めた。

「今回のゆうれいは、前に成仏させた学校のゆうれいの、比にならないくらい大きいの。涼風さんの背丈じゃ、背中まで届かないわ」

「そ、そんなに大きいんですか」

 先輩はうなずく。

「大きな憎しみと、この世に残っていた年月が長ければ長いほど、ゆうれいは大きくなるの。でも、考えがある」

 先輩は人差し指を口元にあて、秘密の話をするように話し出した。

 先輩の作戦はこうだ。

 まず、わたしと朔夜先輩があの原っぱの中心にある、大きな桜の木の下に立ってゆうれいを誘う。ゆうれいをうまく誘えたら、わたしたちは木の裏に隠れる。そしてわたしが木に登る。ゆうれいが木の真下に来たのを確認すると、わたしが降りながら……というより落ちながら、ゆうれいの背中に触れて『もう大丈夫』と言う。最後、先輩は落ちてきたわたしを支える。

 ……って、無理でしょ!

「ほんとにそれ、するんですか⁉︎落ちるなんて恐ろしすぎるし、なによりわたし、運動神経最悪で、木なんて登れませんけど!」

「じゃあこうしましょ。わたしが先に木へ登ってあなたを引っ張り上げるわ。そしてわたしがまた先に降りる。木へ登るのも、落ちるのも大丈夫よ。だってわたしが支えるから」

 先輩は胸を張って、まかせなさい、と誇らしげに言った。

 どっから来るんだその自信!

「それとも、ほかに方法がある?」

 先輩はじーっとわたしを見つめている。

 あるなら早く言え。

 そう急かしているような、じとっとした目だった。

 ず、ずるい……けど、なにもいい案は思い浮かばない……。

 視線に負けて、わたしは降参、と両手を上げた。

「よし、決まりね」

 先輩はうれしそうにガッツポーズ。

 やっぱりこの人、強引だ。

 嫌味の一つでも言ってやろうと口を開きかけたそのとき、背後でどしんと地響きがした。

 見ると、それは巨大なゆうれいだった。

 三メートルほどある。

 真っ黒な刈り上げた短い髪、のっぺらぼうの顔、真っ黒な体。

 前見たゆうれいの体には文字が浮かび上がり、その色で肌は薄暗くなっていた。けど、このゆうれいの体は完全な黒だ。

 先輩の言っていた言葉を思い出す。

 この世に残っていた年月が長ければ長いほど、大きくなると。そして、きっと、大きくなると体の暗さも増すんだ。

「来週の試合はしっかりしなきゃなぁ……楽しみだなぁ……楽しみだなあぁぁ……」

 試合……?

 そういえば、黒くてよく見えないけど、ユニフォームを着ているように見える。

 この子にも、思い残したことがあったのか。

 わたしは唇をかみしめた。

「行くわよ」

 先輩がわたしの背中を軽くたたく。

「はい」

 ほかの木々に隠れながら、目的の大きな木まで移動し、先輩はいともたやすく登っていった。

 先輩、華奢で運動できなさそうなのに、そんな軽々と登れるなんて、意外……。

 木の上から、先輩が指でオッケーのサインを作ってみせた。

 それを確認し、わたしは木の正面に立つ。

「おーい!わたしはここよ!」

 すると、ゆうれいはわたしを振り返って。

 ……あ、目が合った。

 ゆうれいはのっぺらぼうなのに、直感的にそう感じた。

 途端、ゆうれいはわたしに猛突進。

 その様子にびくっと一瞬怯んだけど、頬をたたいて自分を叱咤し、木の裏へ回る。

 見上げると、先輩が手を差し出していた。

 わたしは手を伸ばし、そして――……ぴたりと止まった。

 わたしはその手を握れずにいる。

 高い。思っていたより、高い。先輩は精一杯、手を伸ばしてくれてる。手には届く、でも……先輩はほんとに、わたしを支えきれる?

 怖くなって、伸ばしかけていた腕を引っ込めた。

「涼風さん?」

「朔夜先輩、ごめんなさい、わたし……」

 そのとき、視界に黒い影がぬっと入ってきた。

 冷や汗が、全身からどっとあふれ出したのがわかった。

 見ると、あのゆうれいが、わたしを見下ろしていて……。

 まずい……!

 逃げようと走り出したけど、足がもつれて、わたしは思いきり転んでしまった。

 すると、わたしの足に巻き付く黒い手。

 あっ……。

 焦りが波のように押し寄せてきた、そのとき、ゆうれいにフラッシュがたかれた。

 ゆうれいは顔を手で覆って後ずさる。

「朔夜先輩……」

 先輩がスマホをゆうれいに向けて立っていたんだ。

「走るわよ、涼風さん」

 先輩は力いっぱいわたしを引っ張り立たせる。

「ほら、しっかりして!」

 その声ではっと我に返って、よろよろと走り出す。先輩は今もわたしの腕を抱え込んで引っ張ってくれてる。

 そして、原っぱを取り囲む木の陰へ二人一緒に隠れた。

 つまり、最初のスタート地点だ。

 二人、静かに息を整えた。

「ごめんなさい、先輩のこと……信じきってなかったんです、わたし」

「それは」

 先輩がなにか言いかけたのをさえぎって、わたしは言った。

「でも、もう大丈夫です!」

 その言葉に先輩は一瞬目を丸くしたけど、すぐに顔を伏せ、

「……そう」

 と、聞こえるか聞こえないかの声でつぶやいた。

「朔夜先輩、もう一回、やりましょう」

 先輩はわたしをまっすぐに見つめ、大きくうなずいた。

「わかったわ」

 ゆうれいが目的の木から離れたのを確認すると、さっきと同じように、隠れながらその木の下まで進む。

 先輩が先に登ったのを確認すると、わたしは木の正面に立つ。

「おーい、わたしはここよ!」

 その声にすぐさまゆうれいは振り向き、わたしに向かってくる。

 今度は怯まなかった。

 木の裏へ回り、木を見上げる。

 先輩がわたしに向かって手を伸ばしていた。

 わたしは、一呼吸おいて、その冷たい手を握った。すると、ものすごい力で上へ引っ張り上げられる。

 そしてあっという間に、木の上へたどり着いた。

 こんな簡単に登れるなんて……先輩、そんな細い体のどこに、人一人引っ張り上げるようなパワーがあるんですか……?

「見て」

 先輩がわたしの耳元でささやく。そっと下を指さした。

 指さす先は真下にいるゆうれい。

 ゆうれいはわたしの姿が突然見えなくなって、きょろきょろとあたりを見回していた。

「行くわよ」

 先輩が太い木の枝にぶら下がり、軽やかにゆうれいの真後ろへ着地した。

 よし、わたしも!

 先輩と同じように木の枝にぶら下がり、ゆうれいの背中に狙いを定め……勢いよく跳んだ。

 落ちていく中、ゆうれいの背中に手を伸ばし……。

「もう大丈夫だよ」

 わたしはゆうれいの冷たい背中に触れた。

 途端、真っ白に包まれる風景。

 その大きなゆうれいは、わたしと同じ背丈の男の子に変わっていた。

 ユニフォームを着た男の子。

 その子の背中も、空気も暖かく……。

 その子は、振り向いて、おだやかな顔でほほ笑んだ。

 次に目を開けたときには、あたりはさっきまでの花野原公園に戻っていた。

「涼風さん……」

 下から、苦しそうな先輩の声が聞こえる。

「うわぁ!ごめんなさい!」

 わたしは立ち上がると、慌てて退いた。

「大丈夫?涼風さん」

「先輩が下敷きになってくれたおかげで、わたしは無傷ですけど……先輩は大丈夫ですか?」

「よかった。わたしは大丈夫よ。それよりも」

 先輩は制服についた草や汚れを手で払うと、立ち上がり、わたしをじっと見つめる。

「またぼーっとしてた。はじめてゆうれいを成仏させたときも、そんな顔してたわ」

 そんな顔って、どんな顔?

 つい、わたしは自分のほっぺたを両手で包み込む。

「……背中に手を触れて、大丈夫って言った瞬間、ほんとに一瞬なんですけど……ゆうれいが、生前の姿に戻るように見えるんです」

 先輩は、そのアーモンド型の大きな目を丸くして、わたしを見る。

「そうなの。わたしには、見えなかったわ。……彼らは……なにか言ってた?」

 憎しみをつぶやいたんじゃないかと、先輩は不安なんだろう。

 うつむいて、小さな声でささやいたから。

「いえ、みんな、おだやかな顔で消えていきます」

「そう……」

 その言葉を聞いて、先輩は少し安心したように頬を緩ませた。

「それじゃあ帰りましょう、先輩」

「そうね。あ、でも……」

 先輩は考え込むようにあごに手を当てる。

「わたし、今すぐ学校へ帰らなきゃ。悪いけど、家まで送ってあげられないわ」

「大丈夫ですよ。なにか用事ですか?」

「そんなところ。ごめんなさいね。涼風さんはできるだけ早く家に帰って、夜は外に出ないこと」

 まるでお母さんだな。

「また明日……は土曜日か。学校は休みよね。じゃあ月曜日、昼休みに別棟屋上へまた来て」

 月曜日……。

「……わかりました」

    *

 わたしはいつもだったらまっすぐ進む道を、少し迷った結果……右に曲がった。

 この道を進むと、夢で見る公園があるんだ。

 歩くスピードはだんだん速くなり、息が上がってくる。

 カァカァと鳴くカラスが、わたしを急かす。

 さっき先輩と、月曜日にまた会う約束をして、ふと、湧いてきた気持ち。

 今日、明日、明後日……また、夢を見るのだろうか。

 夕方、暗闇に染まりつつある公園、写真を見つめた男の子、その子に日に日に近づいていき、そして、とうとうとなりまで来てしまった夢。

 今日、また同じ夢を見てしまったら、どうなるのか……。

 確認したい。ただの夢だと証明したい。

 公園の入り口まで来て、わたしは息をのんだ。

 生い茂った雑草の中に設置された、古ぼけた赤いベンチに、男の子がこちらに背を向けて座っていた。

 半袖の赤いシャツ、くせっ毛の髪。その手に握られているのは写真のようなもの……。

 急激に、心臓の脈が速くなるのを感じ取った。

 早く立ち去らなきゃと焦る反面……その子のことに見入って、体は動かない。

 だって、その子の丸い背中は、どこまでもさみしげに孤立していたから。

「ねぇ……」

 思わず口を突いて出た言葉。

 はっとなって、口を覆う。

 なんで今、話しかけようとしたんだ。

 男の子はびくりと肩を震わして、振り向いた。

 焼けた肌に、つぶらな瞳、その目はしっかりとわたしをとらえていた。

 やっちゃった……。

 とっさに顔をそらし、きびすを返す。けど、制服の裾が勢いよく後ろに引っ張られた。

 見ると、その男の子がわたしにしがみついていて。

「ねぇ、お願い!ぼくを助けて!」

 今にも泣きそうに、茶色い瞳はうるんでいた。

 ど、どうしよう……。

 急な展開に、わたしは立ちつくすばかりだった。

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