第5話 夕暮れ時の友だち

「じゃあ今日から毎日、ミサンガ作りがんばります」

「徹夜しちゃダメよ」

「はいはい」

 玄関前で、去っていく朔夜先輩の背中に手を振る。

 すると、先輩は振り返ってわたしを見た。

「涼風さん、明日も昼休みに別棟の屋上へ来てくれる?これからゆうれいを成仏させることについて、話し合わなきゃ」

「わかりました」

「それじゃあ明日」

「はい、明日」

 わたしは家の中に入ると、扉を閉め、靴を脱いで自室に戻る。

 椅子にどっかりと腰を下ろすと、今日の課題をしようとそばにあったスクールバッグを開ける。

 ……あれ?

 明日提出の美術プリント、それがバッグに入ってない。

 入念に何度もバッグの中を確認して、わたしはため息をついた。

 やらなきゃいけないのに、学校に置きっぱなしだ……。

 わたしは家を出ると、急いで学校へ向かい、走り出した。

 

 別棟一階、美術室の扉に手をかけると、開いた。

 よかった、やっぱり美術部員が部活してると思って、鍵を取りに職員室へは寄らなかったんだ。

 でも、教室内を見回して、わたしは首を傾げる。中には生徒は一人もいない。

 ……いや、違う。

 窓側の後ろ、机がどかされている場所に、イーゼルにのせた大きなキャンバスが後ろ向きに見える。そして、そのキャンバスの陰から、わずかに肩が覗いてるんだ。

 扉を閉めると、肩をびくりとさせ、一人の女子生徒がキャンバスからひょっこりと顔を覗かせる。

 黒いパーカー、ショートボブの赤茶けた髪に、丸い顔、鼻の上にはそばかすがのっていて……。

 じっと見てしまったことに、恥ずかしくなって目をそらした。

 人、いたんだ……。

 わたしは慌てて、今日使っていた席まで移動する。でも、机の上にプリントはない。

 てっきり、プリントは机の上へ広げたままだと思ってた。最後にこの美術室使ったの、わたしのクラスだし。

 わたしは机の中にごそごそと手を突っ込む。

「ない……」

 先生から、新しくプリントもらわなきゃ。

 きびすを返して職員室へ向かおうとした、そのとき。

「あぁ、あのプリント、きみの忘れ物だったんだ」

 明るい声でそう言うと、黒いパーカーのその子は教卓に歩み寄り、中から課題のプリントを取り出した。

「ごめんね、勝手に入れちゃってた」

「いえ、ありがとうございます!」

 わたしはその子の元まで駆け寄ると、差し出されたプリントを受け取り、頭を下げた。

 ちょっと安心、先生に話しかけるの、勇気いるから苦手なんだ。

「……よっぽど見つかってうれしいんだね」

「はい?」

「目がキラキラしてるよ?」

 え?

 わたしは目をぱちくり。

「いや、それはただの目の錯覚ですよ」

 はっきりと言い切ったわたしの言葉に、その子は顔をくしゃっとさせて、声に出して笑った。

「きみ、とってもかわいくて面白い!ねぇねぇ、よかったらわたしに名前、教えてくれない?わたしはあかり。あ、ナンパじゃないからね?」

「わかってますよ」

 つられて、わたしまで笑ってしまう。

「涼風晴海です。一年生です」

「はるみちゃんかぁ、いい名前だね。どんな漢字を書くの?」

 あかりさんは教壇を回って、黒板の前に立つと、手招きする。そばまで行くと、水色のチョークを渡された。

 わたしは黒板に小さく名前を書いた。

 あかりさんも漢字で『明莉』とピンクのチョークで書く。

「明莉さんは何年生ですか?」

「二年生。わたし美術部なの。だからね、放課後はほとんどここで絵を描いてるんだ」

 でも、この美術室では明莉先輩が一人だ。ほかの部員はどこだろう?

 きょろきょろとしていたわたしを見て、先輩はくすっと笑う。

「この学校、美術室が二つあるでしょ?もう一つは二階にさ。そっちのほうが画材もそろってるし、広いから、部活は二階の美術室って感じになってる。だけど、わたしはこの一階の美術室の雰囲気が好きだから」

「雰囲気、ですか」

「そう。教室が広くないからかな。西日が当たって、教室の温度を暖める。ここは冷たくないの。空気が、さみしくないの」

 さっきの明るく弾んだ声とは打って変わって、小さく低い声だった。思わず先輩を見たけど、先輩は鼻歌を交えて黒板に花や鳥などの絵を描いていた。

「一年生なんだよね。部活は?なにをやってるの?」

 先輩は横目にわたしを見ながら言う。

「いや、今のところ、帰宅部です。なにか入りたいとは思ってるんですけど……」

「友だちと決めたりしないの?」

 友だち、と言われて、わたしは固まった。

「……わたし、転校してきたんです。友だちは……いません」

 先輩はあっ、と口を丸く開けた。

「ごめん……」

「いいんです」

 教室に沈黙が下りた。

 ……思い出さないようにしてたんだ。

 花ちゃんや桃花ちゃんは、もうわたしに話しかけてこない。

 わたしは今日一日、教室で孤立していた。

 気まずくなって、顔をそむけたそのとき、先輩は言った。

「わたしも、友だち、いないんだよね」

「えっ」

「あ、でも……小学生低学年のときに、一人、友達はできた気がする。わたしが約束の場所へ、会いに行けなくなっちゃったんだっけ……よく思い出せないけど、それからはもう、友だちは作れてない」

 先輩を見ると、眉をひそめて口元に微笑をたたえながら、わたしを見ていた。

 意外だった。先輩は明るいから、てっきり友だちに囲まれているタイプかと。

「わたし、クラスでは浮いてる方だから……みんな、遠巻きにわたしを見てるんだよねぇ」

「同じです!」

 わたしは理解してくれる人がいることにうれしくなって、矢継ぎ早にたまっていたうっぷんを話していった。

 先輩はチョークを走らせていた手を止め、わたしの目をまっすぐに見つめながら、うんうんとうなずいてくれた。

「最初は話しかけてくれる子もいたんですけど……みんな、転校生が珍しいってだけで、少し話したら飽きて離れていくんです。今はもう、だから一人です」

 けど……。

 今まで経験した、転校先の日々を思い出す。

「それもはじめてじゃないから、慣れました」

「違うでしょ」

 笑ったわたしに、先輩はすかさず言った。

「ほんとは友だちが欲しいって、顔してるよ」

 先輩は真面目な顔で、わたしをじっと見ていた。

 わたしは返す言葉が見つからなくて、目をそらすとくちびるを軽くかんだ。

「だって、友だちになりたいって思っても、その人がわたしから離れていってしまうんですよ。どうしようもないじゃない」

 やっと口から出た言葉は、子どもみたいな言い訳だった。

 それでも先輩はやさしくはにかんで、

「わたし、晴海ちゃんと友だちになりたいな。晴海ちゃんがよければ、だけど」

 急に、そんなことを言った。

 わたしは面食らってしまって、先輩を見る。

 そんなこと言って、あなたも結局、離れてしまうんじゃないの?

 しかしそんな思いとは裏腹に、口では全く別の言葉を発していた。

「……いいんですか?」

 震える声は、たしかにそう言った。

 先輩はうれしそうに笑う。

「もちろん。……でも!」

 先輩がわたしの頭に、ポンッと手を置いた。

「わたし以外にも、友だちを作る努力は怠らないことだよ!お父さんが言うには、転校はこれが最後なんでしょ?なら、もうちょっと、がんばってみない?」

 最後は声を和らげて言った。そして、くしゃくしゃとわたしの頭をなでる。

 口下手なわたしが、友だちを作れるとは思えない。それは今までの経験から明らかだった。でも、先輩の気迫に押されて、わたしはうなずいていた。

 先輩は満足したようににっこりと笑った。

「部活入ったら、人脈、広がるかもよ。なにか気になってる部活とかないの?」

「えと、わたし、運動オンチなので、文芸部なのは確定ですね」

 先輩は黒板に絵を描くのを再開していた。描いていたのは、太陽の下を歩く二人の女の子だった。

「迷ってるなら、美術部に入りなよ」

「えぇ、わたし、絵は好きですけどうまくないです……」

「どれだけうまくても、絵が好きじゃないなら続けられないんだよ。全部、気持ちが絵に表れちゃうからね。まぁ、音楽とかにも同じこと言えるかもしれないけど……なんにしても!」

 そして、先輩はわたしを見た。

「好きな気持ちだけで、十分だと思うな」

 やんわりとした口調で、かみしめるように言った。

 わたしは、絵が下手だから、自然と自分は描かないと遠ざけていた。

 でもそうか。好きな気持ち、か……。

 そんなふうに考えたことは、なかったな。

「……じゃあ、美術部、考えてみます」

 先輩はポンポンとうれしそうに、わたしの背中を叩いた。

 先輩の笑顔、話し方に言葉は、わたしの緊張を簡単にほどく。

 少し話しただけなのに、この空間が居心地よく感じた。

「あのキャンバスには、どんな絵、描いているんですか?」

 ふと思って、キャンバスまで歩き出したわたしを、先輩は回り込み、両手を広げて止めた。

「ダメだよ、完成したら、見せたげる。だから、またここに来てよ」

 明莉先輩は、恥ずかしそうに頬を赤らめ、いたずらっぽく笑った。

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