6. そのバンドは札幌を出て

 私は目を見開く。視力はまだ残っていた。静かに立ち上がったハルヒを、呆然として見つめる。

「ラ、ラ、ララララ、ラ、ラ」

 ハルヒは凍りかけの鼻声で歌い始めた。

 歩き始める。足音でリズムを取る。とん、とん。とん、とん。

 

 私は思い出す。

 2009年。私が北海道大学に入学したころ、そのバンドは札幌を出て、エレクトロ・ダンス風のサウンドと独特の世界観で、爆発的に売れ始める。北海道出身ということで、大学時代にやたらと流行った。これは最初期の曲。

「サカナクションの『ネイティブダンサー』だ」

 私は呟く。ハルヒはうなずいた。

「ラ、ラ、ララララ、ラ、ラ」

 歌は止まらない。ただ左右の足で足踏みをするだけの、簡単な踊り。


 私は立ち上がった。

 驚いた。まだ、立ち上がれたのか。

 私たちは一緒に、ゆっくりと足踏みを始めた。右、左。右、左。

「温かいでしょ」

 ハルヒは自漫げに言う。自分を励ますように。

「温かい」

 私も言った。嘘かもしれない。でも、体が動いていることはわかる。

 私たちは凍りついたのどで、何度も何度も歌う。

 足踏み。足踏み。

「ラ、ラ、ララララ、ラ、ラ」

 踊るように。まだ体が動く。温かい。

「ラ、ラ、ララララ、ラ、ラ」

 足踏み。足踏み。

 この歌が、札幌に届くように。

 

 夜明けは来なかった。

 ハルヒと私は、小さく歌っている。何ループ歌っただろうか。

 とうとう二人は足踏みをやめた。足が文字通り棒になって、太ももから下が動かなくなり、よろけるように倒れ込む。

「ダメだったねえ。先生」

 ハルヒは寝転がって呟く。唇も凍りかけている。

「先生。いま、何時かな」

「何時だろうねえ」

「先生、12時間、ってないかなあ」

「そうかねえ。太陽が昇らないねえ」

 二人の吐息の水蒸気がたちどころに凍って、さらさらと白く輝く。それも、少しずつ透明になってきた。肺が体温を失い始めている。


 あれほど泣いちゃダメだと言ったのに、二人ともまつ毛がガビガビに凍っている。 

「先生、いつ、か……」

 それ以上は、ハルヒの口は動かなかい。

 でも、何を言いたかったか、私にはわかった。

(いつか氷河期を倒して、天蓋の外に出ようね)

 6年間、繰り返し言ってきた合言葉。ハルヒは私と顔を見合わせて、小さく笑いあう。

「うん」

 終わりだ。ゆっくりと目をつむる。

 最期に目に浮かんだのは、タンチョウの姿だった。


 *


 夢を見た。 札幌に早春の朝日が昇る夢だ。

 大学のキャンパス、雪景色。

 かすみのかかった春の青空を、鮮やかなシルエットの鶴が舞う。あれはタンチョウ。


「ラ、ラ、ララララ、ラ、ラ」

 男性の歌声。私は驚いて後ろを振り返る。

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