第7話 迷い家とハウスキーパー
ねえ、知ってる?
都内には、“迷い家”って呼ばれる部屋があるんだって。
引っ越した覚えもないのに、ある日ふと、間取りが変わってる。
壁紙が違ったり、家具の位置が微妙にズレてたり。
でも、気づかないふりをして住んでると——
その家には、“マヨイ”が現れる。
マヨイは、迷い家専門のハウスキーパー。
誰にも気づかれずに、静かに家事をこなしてくれるんだ。
洗濯、掃除、ゴミ出し。完璧に。無言で、黙々と。
でもね、「ありがとう」って言うとダメなんだ。
マヨイも、君も、そこから出られなくなるって噂。
*
最初はありがたかった。
疲れて帰っても、部屋は整ってる。
洗い物が減ってて、ベッドも綺麗にシーツが伸びてた。
でもある日、引き出しを開けたら、知らないタオルが整然と並んでた。
鏡を見ると、そこにもうひとつの気配が映ってた。
怖くて、思わず「ありがとう」と言ってしまった。
それが、決定的だった。
その晩、部屋に異変が起きた。
カーテンが風もないのに揺れ、棚の食器がきれいに整列していた。
ゴミ箱の中身が空になり、冷蔵庫のドアがわずかに開いていた。
ただの偶然とは思えなかった。
玄関を開けようとした瞬間、背中に視線を感じて振り返る。
洗面台の鏡に、白いエプロン姿の女性が立っていた。
顔は見えなかった。ただ、じっと、こちらを見ていた。
――マヨイが、本格的に“仕事に入った”のだ。
部屋の空気が変わった。
まるで、自分が雇用主になったような、重く静かな圧力。
もう、簡単には“外”には戻れないと、直感でわかった。
*
久遠の店を訪れたのは、都内に一人暮らしを始めたばかりの女性だった。
「部屋から出られない気がするんです。玄関も開くのに……どこにも行けない」
久遠は静かに言う。
「それは、迷い家だ。マヨイのいる場所に“ありがとう”と言ってしまったんだね」
「……語れば、マヨイは記録されて、去るだろう。
でも代償として、彼女はその家で一生働くことになる」
「それでも、あの子を……自由にしてあげたいです」
*
その夜、彼女は部屋に帰り、鏡に向かって言った。
「今まで、ありがとう。おつかれさま」
翌朝、部屋は元通りだった。
狭くて、ちょっと散らかってて、でもちゃんと“自分の部屋”だった。
マヨイは、いなかった。
*
「迷い家って、言葉だけで抜け出せるんすか?」
チカゲが訊く。
「言葉で縛られた怪異は、言葉で解けることもある」
久遠は、静かに答えた。
「“ありがとう”って、そんなに重たいんすかね……」
「それでも欲しいんだよ。誰かに必要とされた証だからね」
今日の怪異は、記録された。
それは、迷い続けた末に、誰かに報われたハウスキーパーだったのかもしれない。
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