第六章

束の間、日常 Ⅰ

御影堂邸にレーテーの依代が現れて以来。


あれからレーテーがこちらに接近することはなくなった。なくなって、被害者だろう人間の記憶を覗くこともない。…それで心が休まると思うこともなかったし彼女の凶行の恐ろしさも薄れなかったが、少しずつ普通の人間らしい日常を送り始めていた。


もう、この家に来てから1年が経ちそうだ。とても濃密な時間を過ごしたような、とても長かったような、どちらの感覚もある。


濡れた靴が乾ききったのを確認して、それを玄関先に持っていき、並べる。

「…ちゃんと、術式は出せる。よし、です。」

「ちびっこ、外出すんの?超優秀なボディーガード兼師匠が護衛として着いてってあげる。…あー、でもアレがいつ出てくるか分かんないからタナトスもいたほうがいいな。でもそうなるとオネイロス一人で置いてくなんてできないよな…いーや、全員で行こ。…おーい、タナトス!オネイロスも〜!」


ヒュプノスがひょい、とわたしの後ろに顔を出してからタナトス達のいる方角を向いて呼びかける。

「いつもの全員で行くの、楽しいから好きですよ。…睡魔さん、わたし…今日は個人的に行きたい場所があって。いいですか、お付き合い願っても」

「ん、いーよ。何してぇの、ガキ。何なら飯くらいおごるけど。最近お前、結構やってるし」

「え、睡魔さんがデレてる。槍降ってきます?」

「っははははは。永眠させるぞ〜?ガキがよ。」


そんなやり取りをしていると、タナトスとオネイロスがヒュプノスの後ろから各々のタイミングで姿を現す。

「外出か。どこに行く、貴様ら。…外で昼食にするなら今からでも出たほうがいいと思うが」

「にいちゃん、外行くの?…おれ、結構地面を歩くの、うまくなったんだよ。にいちゃんとシオンのおかげ〜…。ふふ。」


穏やかな空気に、思わず目を細める。

「みなさん、お揃いということで。…そうですね、まずわたしの行きたい場所、なんですけど――」




今日来たのは、…プリクラの機体の前。

「…プリ撮るの?マジで?ま〜〜あそうだよね、こんくらいのガキってこういうの好きよね」

「思ったよりいろいろ選べるんだね、かわいー…。外に出てこういう写真撮るの、はじめて」


兄弟のうち下ふたりが液晶を前にして物珍しそうにしているのを見て、私と近い位置にいるタナトスがこちらを向いて話す。

「…お前も、こういった娯楽に触れたいと思うんだな。年相応の少女らしい。」


「…死神さん、わたしはですね。小さいプリクラの画像を高画質化できることを知ったのです、それを知ったわたしが何をするかというと――」


「最高の終わりに際した、思い出作り兼遺影作りをします」

「……遺影。随分と先の話じゃないのか?それは…というかそうじゃないと困る。災厄を退けて貴様の人生全て大団円でそのまま終わり、というわけじゃないんだぞ」


ちょっと呆れたような、困ったような感じで目を伏せたタナトスに対して真顔で返す。

「…死神さんはご存知かもしれませんが、17歳という歳には、いろいろ意味が込められているのです。映画や音楽などでも題材として取り上げられること多々、社会的な意味でも成人と子供の境目。つまり、とんでもなく貴重な瞬間なのです。…記録せずして何をするんだ、じゃないですか。」


彼の心配そうな顔を見て、付け足す。

「それと、遺影については――めちゃくちゃかわいくて騒がしいやつを額に入れられたらいいなと。生きてて楽しかったよって遺したいので…じゃあ、撮りますか。死神さんも、こっちに。」

「…今すぐ死ぬ気がないのなら、いい。こういう現世のものには本当に触れたことがないからな。お前に任せるよ」


それから、約5分後のこと。

男性陣がプリ機で写真を撮るのにおいて身体が大きすぎて苦戦していたが、ヒュプノスのお陰でどうにかなり、今はわたしと同じ撮影画面にどうにか収まっている。

 

「見て、シオン…!レトロ喫茶風のフレームだって、かわいい…。こういう、懐かしい感じのかわいいものもすてきだね」

「ほんとだ、素敵です。クリームソーダの描いてあるやつ、かわいいですね……睡魔さん、何書いてるのかわかんないくらい悪筆なんですけど。お医者さんのカルテみたいになってますよ」

「うるせーな、頭の回転スピードに手が追っつかないの〜!天才だからこれくらいの欠点はあってもいいでしょ、ねっ。アクセントだよコレも。」

「本当に、喧しいな貴様ら……。ふふ。」


目の大きさは弄らず、加工は少しだけ。エフェクトをかけて文字をたくさん描いて、スタンプを貼って……とあれこれしているうちに、画像ができて、受け取り口からシールが出てくる。…ついでに、専用アプリで画像の保存をする。


「…できましたね、最高にめちゃくちゃ騒がしいやつが」

「…なんというか、こう、こそばゆいものだな。生の瞬間が切り取られた写真というものは…」

「え〜!いい感じにかわいいじゃんこれ。端末の裏に貼っつけちゃお。あ、このオネイロスめちゃくちゃかわいいね、夢の神だけある〜!」

「…かわいい。にいちゃんたちと一緒に写真撮るの、おれ、これがはじめてかも。連れてきてもらえてよかったな。ありがと。」


この平穏がいつまで続くかわからない。

本当に、1週間だけかもしれない。


それでも今が楽しくて綺麗なのは、紛れも無い本当だ。


口を開いて、来ると信じている明日の話をする。

   

「…明日も行きたいところがあるんですよ、花屋さんとかに行きたくて」

「お前のことだから…仏花がどうとかそういう話だと思ったけど。違う?造花でボク等の故郷の鎮魂の儀式に使う花とか作ってあげようか〜?」

「…布の造花、かわいいよね。ここにいる全員で作ったら楽しそうだよね、いいな。」

「…故郷ギリシャの鎮魂の儀式で使われていたヘンルーダの花は、再生の象徴とされていたな。お前や、お前を育てた血族が。また違う形で生を受けられることを願って添えたい」




レーテーという災厄を一度鎮めてしまえば、彼等はわたしと一緒にいる理由はもうない。だから一緒にいられるのはきっともう少しだけだけど。

同じものの話ができる人達と一緒のことをしてけらけら笑うこの時間が、この人達がいなくなっても自分の中にはちゃんと残るのが嬉しかった。


明日は、明後日は、その次は。

束の間の時間を刻み込むのは、幸せだと思った。

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