弐八ノ舞
集合場所の研修室は受験生各々定められたテーブルの席についていた。室内は殺気とまでは言わないが、大気中の酸素がなにか別の物質に入れ替わっているのではないかと、疑問に思うような重い空気に包まれていた。
受験者の顔は、一次試験通過者十人。昨日見た顔の他に、新顔が三人並んでいた。中学生名人の土肥原勝、ジュニア天蓋の一年上の山下帯刀、二次試験は一次免除者小中のアマチュア棋戦で名を馳せた猛者が集結していた。無論その中には小学生名人最年少タイ、そして連覇を果たした伏見真改もいる。
俺は受付で受験票を職員に見せ、席に足を運ぶと、伏見が軽く手を振って俺を呼び寄せた。
「さっきはごめんなさい」
「あぁ、いいよ。ニシ女流はどうだった?」
「うん、どうやら天羽2級に異常なほど敵対心があるみたいで……なだめておいたからもう大丈夫と思うよ」
「因縁があるみたいだな」
「年も近いし……奨励会に入ったのも同じ時期みたいで」
「なるほど……」
「まぁ」と、少しトーンを落としたというか、微かに硬質なトーンで「僕たちも同期になるんだよね」
伏見は、さも当然のように口にする。俺は苦笑して反応する。
「お前はともかく、俺はそんな自信ないぜ」
「大丈夫、きっとね」
俺はその彼の自信に恐怖というか、力の差を感じた。奨励会の受験をあれほど悩んでいたというのに、この試験を目の前にしてこの落ち着きと深層からにじみ出てくる余裕というか、胆力には脱帽だ。
――こいつは本番に強いんだよ……いつもな
おおよそ男とは思えない風貌の彼だが、事、対局になると恐ろしいほどの集中力と度胸を見せる。鉄の心臓が軽やかに脈動しているのだろう、妙に顔色がいい。
「一局だけならまだしも、三局中一勝だからね」
「俺に言わせりゃ、たった三局だ。まぁ、まずは筆記試験だけどな」
そんなやり取りをしていると、奨励会幹事の試験管理官が入室してくる。俺は伏見に視線を向ける。
「さぁ、二次試験開始だ。とりあえず、互いにベストを尽くそうぜ」
「うん、健闘を」と、伏見は言って手を差し出す。俺は彼と握手すると自分の席に戻った。
二次試験の最初は、作文で「将棋と自分」というテーマだった。いつも考えていることをツラツラと書く。しかし、頭はすでに対局のことで、脳内の思考リソースは占められていて、作文の文法はやや乱れ気味だった。どうやら受験者は皆、俺と同じように心ここにあらずだった。
作文が終わると奨励会幹事の林康夫七段の指示で奨励会員たちが部屋に入室し、受験生の後ろのテーブル席についた。
一次試験通過者と同数の奨励会員十名。中には以前アマチュア棋戦で対局した人間の顔もあった。その中で一際異彩を放つ人間が二人いた。
一人は制服を着た線の細い男だった。華奢な伏見よりも更に細い体、顔の血色があまりよくなく色白というよりは青白い顔。若干長めのくせ毛でフレームのない眼鏡の奥から覗く視線は、まるで深層を見抜くかのようなX線でも照射しているのではないか、と思うような理知的な眼光だった。歩く動作はゆったりとしていたが、全て動きは最短距離、最小の動作で済まそうという意図が感じられた。
――乙葉の……
乙葉の弟弟子、田村晴信奨励会5級、現在奨励会でも台風の目として注目されている電脳戦士。ソフト研究を至上とし、異彩を放つ綿密な指し回しと徹底した研究効率手順で好成績を納め、身体的な問題で出遅れたものの、順当に三段に昇段できる潜在能力があると評されている。どうやら向こうも乙葉に聞かされたのか、俺のことを知っている風で、他の受験生を見渡す中で、俺を見る時間が若干長かった。
変わってもう一人も制服を着た少年だ。シャツの裾はスラックスに入っているものの全体的にルーズなサイズのようで、スラックスを腰で履いていた。どこか気だるく居心地の悪そうに鋭い視線を周囲に向け、漂う空気は刺々しかった。将棋、特奨励会は儀礼品行に厳しい点があるが、それに逆行するような反抗心というのだろうか、彼からはそんな意思が感じられ、おおよそ将棋を嗜んでいる風には見えなかった。
――あっちは噂に聞く、傾奇者か……
黒島翔奨励会5級、独特の棋風とルーズな風体から傾奇者と呼ばれている会員だ。彼のことはネットと将棋帝国で評判を知っていた。新無頼流という定跡を省みない力戦と終盤力に注目を集める奨励会員だ。試験では全勝で奨励会入りを決めた。入会早々注目を集めたが、やや失速し連敗が続き、1シーズン目からいきなり降級点を貰うものの、直後に6連勝で5級昇級を決めた。
「それでは、これより今年度新鋭棋士奨励会入会試験、二日目二次試験の対局試験を行います」
奨励会幹事の言葉に受験者の視線が幹事に集まる。
「対局試験は各々三局、受験者と奨励会5、6級の会員による対局となります。受験者は三局中1勝で合格基準を満たし、先程の作文試験の内容と総合的に判断し、合否を決定。一勝に満たなかった受験者は合格基準を満たさないと判断し不合格となります。かわって奨励会員はこの試験対局を例会対局扱いとし、勝敗の結果については昇級段規定に基づくものとして扱われます。
この時点で質問のある方は?」
特に会場に反応はない。
「よろしいですか、それでは詳細な対局説明をします。対局は4階の対局室、山城、長門の間にて行います。持ち時間は各々60分、切れますと一手60秒未満となります。受験者対5級奨励会員の対局のみ、手合い割り上手後手を適用し、それ以外の対局は振り駒で先後をきめて決めてください。それでは続いて対戦表を確認いたします」
背後のホワイトボードに模造紙で書かれた対局表を院の職員がマグネットを使って張り出した。俺は瞬時に目を走らせ自分の対局相手を確認する。
――真顔でか……?
俺の場合は悪い予感というものだけは当たるらしい。本来ならば、強ければ強い相手の方がいいと嘯いて、強がる気概があればいいのだけれども、楽して勝ちたいと思うのは当然の思いだ。だが、現実は楽に勝たしてはくれない。人生というものはよくよくできているな。と、感じる。
乙葉の忠告を受けて、正直心中で当たりたくないな、と微かに感じたものの名前がバッチリ対戦相手に入っている。
一局目は無頼流黒島5級、二局目に電脳戦士田村5級、三局目は一昨年のジャパンカップ覇者だった辛坊6級。三人中6級が一人。他の受験者は殆どが6級が2人というのに、ついていない。
合格後ならばいくらでも戦ってやるというのに、こうあとがない時に強敵と当たるのは根本的に運の悪さが影響しているのかもしれない。反対に伏見は一局目に電脳戦士田村との対局、残りは6級奨励会員で、俺が知る限り名の通った強豪会員ではなさそうだ。
伏見はくじの引きが以前からよいと思っていた。歴代の強豪棋士も総当たりのリーグ戦はともかく、運がある程度左右するトーナメント方式の位置について絶妙なバランスがとれた場所が回ってくることが多かった。伏見もそういうくじ運というのがあるらしい。反対に俺は嫌だ嫌だと思っいるからか、今まで出場したアマ大会でも強豪が集まるブロックなぞに放り込まれて、そこを勝ち抜けても伏見という化け物が待ち構えていて、入賞は何度もあれども準優勝の二番が最高記録で結局一番になることはなかった。
幹事の説明を受けた後、全員で対局室に移動を開始する。受験生は皆緊張した面持ちで、翻って奨励会員は自身の昇級に関わる対局であり、また格下の受験生相手ではボーナス対局と感じているのかも知れない、表情は厳しいながらも何処か楽観的な雰囲気を微かに感じた。
対局開始時間の10時半までに対局室に入るように指示され、移動する者たちで2階のエレベータホールはちょっとした混雑になった。
俺はホールで伏見と顔を合わし目礼だけで互いの検討を祈る。伏見もすでに対局前ということで、いつも通り涼しげな顔をしていたが、氷のカミソリのような鋭く冷利な闘気が周囲ににじみ出ていた。
――さすがに滾る闘志は抑えきれないか……
俺は意識して呼吸を深く腹式呼吸を繰り返し、闘志……ではなく浮つく心を抑える。よく言う、頭脳は冷静に心は熱くだ。
俺は混雑を避け、階段を使って4階を目指す。
心臓の鼓動を感じながら階段に足を掛け、数々の名局とドラマを生んだ将棋院の四階の対局室に足を進める。俺の第一局は長門の間、新無頼流、黒亀奨励会5級。
藺草の香る対局室にはすでに対局準備がなされていた。通常山城、長門の間は戸で仕切られているが、戸は取り払われ、計二十畳の部屋に盤、駒、対局時計が十組、密に並んでいる。
入口の看板に貼りだされていた対局表を確認し、丁度部屋中央に位置する席に座る。各々も指定された席に座り、対局の準備を整える。俺はお師さんから渡された信玄袋の中から扇子と手拭い、そして小さめのペットボトルの水を置く。
正座をし、盤上を無言で見つめ緊張で早まる呼吸を意識していつも通りの速度で保つ。
「よっこいせ」と、盤の前に黒亀奨励会5級が座わる。
俺は視線を黒亀五級に向け、お互いの視線が交差する。黒亀五級の視線から感情を読み取ろうとするが、敵意とは異なる意を感じる。なんなのだろう? 言葉でうまく説明ができない。
視線では推し量ることはできなかったが気怠い体の流れ、何をするのも億劫だといわんばかりのふてぶてしさを感じる。何がそんなに気に入らないのか? 全てが鬱陶しいというオーラが漂っていた。
しかしながら俺も学校ではこんな気分になる。自分にとっては無意味になってしまっている授業。クラスメイトとの距離からくる孤立、問題を理解しながらも解決を放棄した教諭たちに学校という日常の居場所を放棄した俺。俺自身もはや義務教育という義務で通学をしているに過ぎない。同世代の人間と視界を共にできない異分子はただひたすら無意味な日常を繰り返す無価値な日々だった。だからこそ一日中、将棋のことしか考えなかった。それが結局棋力向上に成り立っていたのだと思うため、無価値の日々を価値ある日々に変えることができていたと思う。
しかし、彼は奨励会員だ。厳しい勝負の世界とはいえ、将棋を指しに来ているはずだ。しかし、この態度は一体なんなのだろう?
――将棋を指すのが嫌いなのか?
そうとしか思えない。あるいは……?
黒亀5級はため息を吐くと上位者として駒箱から駒を盤上に広げ、次々と並べていく。確かに駒の並べ方に厳密な規定はない、好きなように並べてよいものだ。しかし、お互いの呼吸や手に合わせて本来は並べていくものだ。少なくとも相手への敬意を持ち、余韻、残心という間を持つことのの重要性はこういった所作でお互い通ずるものである。
所作だけについては、俺には激甘の母もこの点だけは特に厳しく躾られた。茶道や商売上、富裕層相手にする水商売のプロたる母親だけに小さい頃から教育を受けた。それにこの間、茶道を筆頭に教養の固まりのようなお師さんにこの間、改めて一から注意を受けていたため、黒亀五級の態度というか所作は気になるというよりは不快だった。
――無頼流と呼ばれる由縁かよ?
無頼流とはいわば力戦のみで戦う棋風の棋士を総称した呼び方だった。昭和初期、中期に多くの棋士に見られ、つまりは己の才覚と直感で指す。かつてはそういう棋風も不思議でなかった。しかし今の時代、ソフト研究、棋士同士研究は当たり前であり、無頼流は古きよき時代の
棋風として懐かしまれる程度のものになっていた。
しかし、新無頼流と呼ばれる黒亀五段は、詰将棋を得意とし、驚異的な終盤力が持ち味の棋士だ。数える程度の定跡しかしらず、序中盤はアマ初段と言われたが、その脅威的な終盤力で奨励会試験を全勝で突破、出だしは躓いたものの5級昇級六連勝で決めた。
――棋力は恐らく十二分に備えているはずだ。
不快な感情を抱き同時に価値観を共有できる相手とは思えない。しかし、棋力は客観的に観ても十二分に備えている。成績も極端ではあるが、驚異的な爆発力がある。
――今日がその時かどうかはわからないけどな……
互いに駒を並べ終える。すでに他の対局者も駒を並べ終え、各々対局開始お10時半を待つ。黒亀5級はしきりに扇子を開け閉めし、周囲にその苛立ちを拡散しているかに見えた。
――作戦としては下策……?
俺にはこの手の心理戦は無駄と言っていい。が、隣の席の奨励会員は眉をひそめて鬱陶しいという感じだった。
「それでは、時間となりましたので対局を開始してください」と、奨励会幹事が声をかける。
「「「お願いします」」」と、部屋全体に声が響く。
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