第一章【宮村鈴音】第二節


 「君が死にたくてたまらない理由、その答えを探しているんだろう?」

 その言葉が、色をなくしたあたしの心のパレットに“死”という名の色を塗った。

 じんわりと染みこんでいくその色は、見えないはずなのに、確かに内側を変えていた。


 ──数日が経った。

 でも、あたしの毎日は何ひとつ変わっていない。

 朝、無理に体を起こして、嫌いな制服を着て、意味のない授業に身を置く。

 誰にも話しかけられず、話しかけようとも思わず、ただ時間が過ぎていく。


 ——それがずっと続けばいいと思ってた。


 けれど、心の奥で何かがわずかに動いていた。

 “あの男”の言葉が、体に、心のどこかにこびりついて離れない。


 今日もまた、人気ひとけのない放課後の教室にあたしはひとり。

 音もなく、誰にも干渉されない場所。

 でも、ここはもう“孤独”とは違っていた。


 「来たの?」


 問いかけると、何の足音もなく、空気が揺れた。

 教卓のそばの空間に、ふわりと黒い影が現れる。


 「来てほしかった?」


 彼の声は、相変わらず無色透明で、なのに耳の奥で深く鳴る。


 「……別に」


 あたしは答えながらも、窓から目を逸らさない。

 彼を見てしまうと、またなにか“見透かされる”気がして怖かった。


 彼は空いた椅子を引いて座る。静かな、まるでそこが定位置かのような仕草。


 「じゃあ、今日も話そう。君の“死にたい理由”について」


 「そんなの……無いよ」


 そう答えたあたしの声は、意図せず少し震えていた。


 「じゃあ、君は理由もなく死にたいと思ってるのかい?」


 「……そう。何もないのに、苦しいの。誰かに何かされたわけでもない。家庭も壊れてないし、友達がいないことに絶望してるわけでもない。ただ……生きてるのが、意味わかんなくなる。朝が来るのがうんざりで、息するのもめんどくさくて。でも死ぬ勇気もないし、結局今日も生きてる。——それが一番しんどいの」


 彼はうなずくでもなく、否定するでもなく、ただそれを聞いていた。

 誰にも届かなかった言葉が、彼の前ではぽろぽろこぼれていく。


 「それでも、君の中には“何か”があるんだ」


 「何かって、なに⋯?」


 「たとえば、孤独の形。悲しみの温度。怒りの音。それらに名前がないだけで、確かに君の中にある」


 「……面倒くさい言い方するんだね」


 「そうかもしれない。でも、君はそれを誰かに伝えたかったんじゃないか?」


 言葉が詰まる。否定したいのに、言えなかった。


 「……あなたって何なの?」


 沈黙の中で、あたしは初めて彼を真正面から見た。

 黒い制服のようなコート。透けそうなほど白い肌。人間とは少しだけ“何かが違う”顔。


 「……もしかして、死神?」


 その瞬間、彼はふっと笑った。

 それは皮肉でも優しさでもない、まるで“肯定”のような笑みだった。


 「そうだよ。僕は“死”の側から来た者だ」


 あたしの胸がぎゅっと掴まれたような気がした。


 「……ほんとに?」


「ほんとさ。 この世界には、生を見守る者もいれば、死を見届ける者もいる。 僕は後者。君みたいな子の“終わり方”を、見つけに来た」


 「ナヴィエルって呼ばれてる。いわゆる“死神”だけど、鎌も黒い羽も持ってないけどね」

 

 「……ナヴィエル?」

 

 「うん。それが、僕の名前」


 「不思議な名前…⋯ナヴィエルはあたしを殺すために?」


 彼は首を振る。


 「いや、違う。君がどう“死にたいのか”を選ばせるためだよ。そして、その先にある“答え”を一緒に探すために」


 「……答えなんて、ないでしょ」


 「それでも、君は知りたいと思ってる。“なんで死にたいんだろう”って。本当は、君自身がその理由を知りたくてたまらない。違う?」


 あたしは、返事ができなかった。


 「死にたい」という感情の奥に、そんな“欲求”があるなんて思ってなかった。

 ただ、終わらせたいだけだと思っていた。

 でも──確かに、どこかで「これがいつ終わるのか」「なぜこうなったのか」を、あたしはずっと考えてた。


 「じゃあ……それを探すのが、あなたの“仕事”?」


 「うん。君の死に方を、ただの“衝動”で終わらせないこと。それが、僕の役割だ」


 彼は静かに立ち上がる。

 そして、黒いコートの裾を揺らして窓辺へと向かう。


 「明日も来るよ。君がその気なら——少しずつ、理由を話してくれればいい」


 「……なんで、あたしなんかに構うの?」


 「君の心のパレットに、まだ描ける色がある気がするんだ。それを君がみつけたくなったら、一緒に探してみよう」


 窓の外、落ち葉が一枚、風に乗って跳ね上がった。

 ナヴィエルの姿は、まるでその風と一緒に、空気に溶けるように消えていった。


 残された教室で、あたしはぽつりとつぶやいた。


 「……死神なんかに、救われたくないのに」


 でもその声には、どこかほんの少しだけ、温度があった。


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