第五章 3
王城に帰った時、アルヴァロッドはおかしな光景を見た。
金髪の女が王子アレクサンダーに執拗にせまり、それを彼がいかにも嫌そうな顔をして相手をしているところをである。
王子は、博愛主義というほどではないが女性には一律紳士的である。また、嫌いな相手にもそれを態度に出さず礼を尽くす。
あんな性格ではあるが、王室に生まれた人間としての教育が徹底しているからだ。
だから、誰か他人に対しておよそそんな態度はいっさい出すことはない。アルヴァロッドですら、アレクサンダーのそんな表情を見たのは幼少のみぎりである。
だから、彼がそんな態度に出ていることを不審に思ったし、また彼をそこまでさせる女にも興味を抱いた。かといって二人に割って入るのもいただけないし、王子にあれは誰ですかと尋ねるのも憚れるような気がしたので、仕方なしに彼は夕食の折り、
「ローレン。王子と見慣れない金髪の女性が話しているのを見たが、あれはどなただ。ずいぶんと親しげだったが」
と聞いた。すると、
「ああ、あれは殿下の婚約者候補様でございますよ」
とローレンが返答した。
「ほう……」
「リィラ様とおっしゃって、伯爵家のご令嬢なんだそうです。愛らしいお方ですよ。殿下にぞっこんで、毎日のように殿下とお話されているようです」
「殿下もすてきな方ですから、女性にはもてるんでしょうね」
「ええ、それはもう」
「……」
と、アレクサとローレンが会話に花を咲かせている間も、アルヴァロッドはなにか違和感を感じていた。
ただの愛らしい女が、あそこまで王子に不快感を露わにさせるものなのか……?
「ねえそうでしょう旦那様」
「ん? あ、ああ」
アレクサに同意を求められて、はっとする。なにか、嫌な予感がした。
翌日、王子を探して会いに行った。
元より、王城は小さい頃から出歩いている。
自分の屋敷のように知った場所であった。
行き交う召し使いたちに王子の居場所を尋ねて回ると、どうやら中庭にいるらしいということがわかったので、早足でそこへ向かった。
中庭で人影を見つけて、ああいた、そこにいましたかと声をかけそうになって、苛立ったアレクサンダーの声に、アルヴァロッドは思わず立ち竦んだ。
「君もたいがい懲りないね。いらないって言ってるだろ」
「そうおっしゃらずに一口だけ」
「嫌だね。君の作ったものなんか、なにが入ってるかわかりゃしない。毒ならともかく、髪を入れられそうで気味が悪い。食べたきゃまず、自分で食べなよ」
「そうですか? では」
なんだなんだ。どうしたんだ。
物陰からそっと窺うと、王子とこの間の女性がテーブルを囲っていて、女性が菓子を食べているようである。王子はそれを、じっと見つめている。
女性がそれをゆっくりと口に運んで咀嚼し、ごくんと飲み込むのを見て、王子は、
「……ふん」
「いかがでございますか。これで、わたくしが毒など盛っていないとわかっていただけましたか」
「僕は毒なんか恐くないよ。僕が嫌なのは君自身だ」
「まあ」
女性はこれは意外とでも言いたげに大袈裟にのけぞって見せると、大きな声で笑い出した。
「殿下ったら、ご冗談がお上手ですのね」
「もういいから、あっち行けよ」
「ですから、一口だけでも召し上がって」
「嫌だったら」
「そんなことおっしゃらないで」
なんだあの女……まるでめげていないぞ。
これはどうやら、助け船を出した方がよさそうだと判断したアルヴァロッドは、時機を見てそこから出ていった。
「王子」
「ほら、あーん」
「アルヴァ」
アレクサンダーは辟易していた顔から一転、ぱっと輝く天使のような表情になって飛び上がるように彼を迎えた。
「やあやあやあやあ我が親友。どうしたのこんなところで。それよりいいところに来た。 あっちでお茶を飲もうそうしよう」
「殿下、お友達ですの。わたくしに紹介してくださらない」
王子は少し不満げな顔の女を放って中庭から出ていこうとした。
「王子、この方は?」
「あ、ああ。そうだな。紹介しておこう。こちら、リィラ・レテルバーク嬢だ。リィラ、彼はアルヴァロッド・フォン・ウィグムンド公爵。僕の親友だ」
「ごきげんよう」
「はじめまして」
にっこりと微笑む様は、とても先ほどまで強引に菓子を王子に勧めていた女性と同一人物とは思えない。しかし、確かに彼女がそのひとなのだ。
「さあ行こう」
「あ、殿下」
リィラの制止も聞かずに、王子は中庭から出ていった。彼はしきりに後ろからリィラが追いかけて来ないかと気にしながら、早足で廊下を歩いた。
「助かったよ。来てくれなかったらなにをしでかすかわからなかった。あのままだったらきっと、僕テーブルをひっくり返してたよ」
「お戯れを」
「本気だよ。僕、一回見ちゃったんだ」
「なにをです」
王子は立ち止まって、辺りに誰もいないのを確認すると、そっとアルヴァロッドに耳打ちした。
それを聞いたアルヴァロッドは目を見開いて、
「まさか。あんなに愛らしげな女性が、そんなことを」
「そのまさかなんだよ。ひとは見かけによらないって言うだろ。とにかく、その日以来僕はあの女の持って来るものは口にしないって決めてるんだ。おぞましいったらありゃしない」
ぶるぶると身を震わせて、王子は歩きだした。
「僕の部屋に行こう。あそこならあの女はやって来ないから」
部屋に着くと、王子はやれやれと息をついてそこに座った。そしてアルヴァロッドにも椅子を勧めると、
「あの女が来てからというものの、気が休まらないよ。追い出そうとしても出ていかないんだもの」
「陛下はなんといっておいでなのです」
「お前の婚約者候補だ。お前の裁量でなんとかしなさい。って」
「相変わらずの放任主義ですなあ」
「感心してる場合じゃないよ。とにかく、なんとかしないと僕の宮廷生活がめちゃくちゃになっちゃう。お前も協力しておくれよ」
「それはやぶさかではありませんが……」
アルヴァロッドはなにかに気がついて、こんなことを尋ねた。
「……あの女性がここに来たのは、いつ頃ですか」
「ん? そうね、三か月くらい前かな」
「……ほう」
というと、自分たちが逃亡していた時分からということになる。無論、彼はその間もあの山小屋に来てくれたり、なにくれとなく世話を焼いてくれていたわけだ。
自分のことだけでも精一杯だったというのに、アレクサとアルヴァロッドのためにあれこれとやってくれていたのだ。
これは、王子が友だということを抜きにしても、助けてやらねばなるまい。
「王子」
「ん?」
アルヴァロッドはアレクサンダーに目を移した。
「手を貸しましょう」
「――」
「なんでも言ってください。できる限りのことは、します」
「どういう風の吹き回し?」
王子はちょっと驚いたようにその明るい青の瞳を見開いてアルヴァロッドを見ると、彼が立ち上がるのを茫然と見つめていた。
「あの女を、追い出しましょう」
「え、う、うん」
「二人でやれば、恐いものなんてありません」
「そ、そうだね」
彼のあまりの勢いに少し圧倒されつつも、王子は味方ができて幾分ほっとして、そうしてその日の夜は過ぎていった。
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