第三章 1

冬になった。

 冬の海は厳しい。しかし、冬の魚もまた脂が乗って美味いものである。食卓には自然、魚が多くなった。

「ウリエンス様はやっぱりお肉がいいでしょうけど」

「いえ、私はそんなことはありません。なんでもいただきます」

「お前は野菜でなければいいのだな」

「そ、そんなことは」

 笑いが起こる。そういえばウリエンスさんもお料理をするんだったわ、とアレクサは思い当たる。旦那様は豪快なお料理って言ってらしたけど、豪快な味つけってどんなのかしら。

「アレクサ、首を傾げてどうした」

「い、いえ、なんでもありません」

「旦那様、明日は王城に行かれるのでしたね」

「ああ、国王陛下に拝謁する」

「王子殿下にもお会いになられるのですか」

「かもしれんな」

 なんでもアルヴァロッドと第一王子は幼馴染らしい。幼い頃王宮で共に遊んだのがきっかけで互いに名前で呼び合うほどの仲になったのだとか。

「できればお会いしたくない」

「またそのようなことを。数少ないご友人でしょう」

「あれを友人などとは言いたくないのだ」

 彼が苦虫を噛み潰したような、なんともいえない顔になったので、アレクサは不思議になった。しかしあまりにも嫌そうな顔をしているので聞いてはいけないような気がして、とうとうそのことについては尋ねることができなかった。



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「お前、婚約したんだって?」

 読んでいた本の上から顔を覗かせて王子アレクサンダーが突然言ってきたので、アルヴァロッドはやはり来たな、と思った。

「読書中ですよ王子」

「どんな子?」

「『カタローニの悲劇における歴史の考察』です」

「ねえねえどんな子?」

「中世に起こった実際の悲劇を検証した話です」

「いいじゃない教えてよー」

 アルヴァロッドはぱたん、と本を閉じた。

「いやです」

「なんで」

「どうしても」

「そこをなんとか」

「あなた、かきまわすでしょう」

「かきまわすよ。面白いもん」

「だからですよ」

「父上となに話してきたの?」

「仕事の話です」

「僕も混ぜてよー」

「混ぜません」

 つかつかと歩きだすアルヴァロッドを追いかけながら、アレクサンダーはしつこく問いただす。

「今度その子に会わせてよ」

「会わせません」

「会いに行くから」

「あなた、王宮から出られないでしょう」

「お忍びでいくからさー」

「そうはいきません」

 入り口に差しかかった。

 アルヴァロッドは構わず、つかつかと出ていく。アレクサンダーは頭の後ろで手を組み、

「噂の海の巫女は不吉な託宣しかできないって本当かい」

「――」

 アルヴァロッドは思わず振り向いた。王子はにやにやと笑い、

「へえ、お前でもそんな顔するんだ。意外」

 と言って、背を返した。

「その噂が事実なら、ちょっと困ったことになるけどね」

 そう言いながら行ってしまった王子の背中を、アルヴァロッドは苦々しい思いで見ていた。

 十二番目の月、胡粉もそろそろ終わろうとしている。

 街は年越しの準備で、なんとなく忙しない。

 ロレーナは海の国なので、海神に祝福された干した海藻を玄関先に飾る。大きければ大きいほどいいとされている。アレクサもロレーンと共にそういったものを扱う出店に赴いて、手ごろなものを求めてきた。

「新年は、冬の奉納があるな」

 夕食を食べながら、アルヴァロッドがそんな話題を口にした。先月秋の奉納を終えたばかりだというのに、もう冬の奉納の話になって、アレクサは目が回るようである。

「どういったものなのでしょう」

「冬の奉納は簡単だ。掌に余るくらいの玉を持って大広間を一周して、信者を祝福する。 鈴の音に合わせて拝礼する。それだけだ」

「それだけですか」

「ああ」

 聞いただけでは簡単そうだが、実際やってみると、奥が深いということもある。またなにか、この間のように事件が起きないとも限らない。

 年が明けて、最初の月薄桜になった。神殿の者が迎えに来て、儀式の日になった。

 これも、事前に簡単な打ち合わせだけをして、ぶっつけ本番である。

 アレクサは水色の衣装を纏い、大広間に出ていった。

 祭壇の中央に、おおきな玉があった。

 それを手に持ち、決められた順序で大広間を回り、こうべを垂れる信者たちの上に鈴の音に合わせて拝礼した。彼らの数は多く、そうしていくうちに腰と背中が痛くなった。

 それが終わると、聖別した海水で並ぶ信者たちの額に徴を描く作業が待っている。

 これには、午後いっぱいかかった。

 そのあとには、うまれた赤子の祝福である。

「おめでとうございます。お子さんのお名前はなんといいますか」

 まだ生まれて間もない赤子を母親に手渡され、そう尋ねる。

「ジェニーでございます。巫女様の恩恵がありますように」

 手のなかで、温かい命が動いている。アレクサはそれを慈愛の瞳で見つめた。

 ジェニー、ジェニー、あなたの行く末が、どうか海の恵みに満ちていますように。

 ポォ……と、オレンジ色の光が点ったかと思うと、赤子の額にそれが集中した。

 おお、と声が上がって、やがてそれが歓声になった。

 赤子が笑い出した。

「どうぞ。お母さん、抱っこしてあげてください」

「は、はい。ありがとうございました」

 そうして祝福した赤子は、全部で五名ほどいた。

 夕方になった。

 信者の姿もまばらになった頃に、怒鳴り声で入ってきた者がいた。

「海の巫女、説明してくれ」

 神官たちは思わずそちらを見、まだそこにいた信者たちも何事かと顔を上げた。

「俺の家族はあんたのお告げで食べた魚で死んだんだ。どうしてくれる」

 男が一人入ってきて、物凄い勢いでアレクサに迫ってきた。アレクサは小さな悲鳴を上げて、咄嗟のことで逃げることもできず立ち尽くした。側にいた神官が立ちはだかり、男を突き飛ばした。

 たちまち男は捕らわれ、表に連れ出された。男はそうされながらも、大声で口汚くアレクサを罵っていた。

 その最中に、アルヴァロッドがアレクサを迎えに来た。

「なんの騒ぎだ」

「あ、公爵様」

「これはどうしたことだ」

「実は……」

 そこにいた神官に話を聞いた彼は、眉を寄せた。

「そうか……」

 アレクサはと見ると、衝撃を受けてはいるようだが気丈に振る舞っている。

 控えの間に行くと、アレクサが着替えて出てくるところであった。

「あ、旦那様」

「疲れた顔をしているな。帰ろうか」

 神官たちに見送られ、アレクサはアルヴァロッドと共に神殿の外に出た。その頃にはもう日は暮れていて、ウリエンスが馬車を用意して待っていた。

「ローレンが夕食を作って待っているぞ」

 うかない顔のまま、アレクサは馬車に乗った。馬車のなかでも、彼女はどこか放心しているようで、気もそぞろといった態であった。窓の外を見ながら、アレクサはあの男に言われたことを考えていた。

 私の神託のせいで、ひとが死んだ。私のせいで。それは、海の巫女として正しいことなのだろうか。いいことなのだろうか。私は海の巫女でいても、いいのだろうか。

 自問自答は続く。

 その横顔を見ながら、アルヴァロッドもどうしてやればいいのかを思っていた。

 悩んでいるな。どう声をかけてやればいいのか……。

 かつての同情心が、はっきりと慕情になっていることを、彼は理解している。

 懸命に務めを果たそうとしている彼女が、愛しいとすら思うのだ。

 週も半ばになって、沖で漂流していた船で病人が出た、治してやってほしいという依頼が神殿に持ち込まれた。

「アレクサ様、お出ましを」

「どうすればいいのでしょうか」

「病人を運びますので、ご祈祷をお願いいたします」

 と言われれば、嫌だ言うわけにはいかない。迎えを寄越されて、神殿に向かった。

 病人は専用の寝台に寝かされ、すでに治療を受けていた。

 全身に赤い発疹が出ていて、ひどい苦痛を訴えている。

「お医者様はなんと言っているのですか」

「原因がわからない、わからない以上は治しようがない、と」

「……」

 アレクサは病人の側にぺたんと座って、祈り始めた。

 ふいに、母の声が聞こえてくる。

 アレクサ、海の声を聞くのです。

 海の声って、なに?

 耳を澄ませて、海の声を聞くのです。そうすれば、海は応えてくれる。海はいつも、そこにいます。アレクサ、おぼえていて。海の声を、聞くのです。

 海の声を――

 アレクサは祈った。一心に祈った。海よ、治して。海よ。治れ、治れ、苦しみよ、去れ。 怒りも、憎しみも、このひとの身体から消えてなくなれ。そう願った。

 アレクサの身体の芯が熱くなり、頭のてっぺんから光の柱が伸びてそのまま天井を突き破っていったかと思うと、それは空まで届いて天空まで達した。

「おお……」

 光の柱は室内を照らし出し、病人を、アレクサを、そこにいた神官たちを照らした。

 それはまばゆく光り、しかし目を刺すようなものでは少しもなく、やわらかな春の日差しのようなそれであったかと思うと、ふっと蝋燭の火を吹き消すかのように突如として消えた。

「……」

 神官たちが目を開けた時、病人の身体から赤い発疹は消え、アレクサがその前で茫然として座っていた。彼女は消耗し尽くしていた。

「治った……のか」

 誰かが呟くのと同時に、アレクサがふらりとそこに倒れた。側にいた神官が慌ててそれを受け止め、横にならせる。

「公爵邸にすぐに迎えに来るよう連絡を」

「はっ」

 神官長はそれを見て、一抹の不安を抱えていた。

 過去の海の巫女たちの歴史を見ても、ここまで完璧に治癒を施したという記録は他に類を見ない。それに……

「神官長様、お運びします」

 声をかけられ、はっとする。

「あ、ああ」

 アレクサが別室に運ばれて行って、それを見送りながら神官長はなにか嫌な予感がしていた。それがなにかはわからない、しかし、ひどい嫌悪感であった。

 間もなく公爵邸からアルヴァロッドがやってきて、アレクサは帰っていった。

 アレクサが病人を治癒したという評判はロレーナ中を巡り、それは間もなく国王の耳にも届いた。

「アレクサ、国王陛下がお前に直接お会いして話を聞きたいと仰っている」

「えっ……」

「明日王城に謁見に行こう。私も一緒に行くから、なにも心配することはない」

「で、でも、私王宮の行儀作法なんて知りません」

「王に会ったらごきげんようと頭を下げて、挨拶をすればいいだけだ」

「そそそそんな」

「堅苦しく考えるな。相手はただの人だ」

「旦那様は何度もお会いになられているからそうお考えになるんでしょうけど……」

 アレクサはローレンを部屋に呼んで、なにを着ていけばいいかを相談している。

 どんな服なら、失礼にあたらないか。よそいきの服は持っているが、王宮に行けるほどの服となると話は別だ。しかもそれが、国王に謁見するとなると。

 その夜、アレクサは緊張して眠れないかとも思ったが、案外図太いと自分で感心するほどよく寝た。

 そしてローレンとよくよく吟味した服を着て、いつもは街から仰ぎ見ているだけの王宮へ馬車で入っていった。

 王城のなかは衛兵があちこちにいて、赤と金で統一されていて、一分の隙も無い装飾が施されており、どこもかしこも掃除が行き届ていて、アレクサはまずそこに感動した。

 歩いても少しも足音がしない分厚い絨毯、油を塗ったかのようによく手入れされた調度品の数々、嫌でも歴史を感じさせる壁に飾られた絵画、きょろきょろしながら歩いていると、

「転びますよ婚約者どの」

 とアルヴァロッドに真面目な顔をして言われた。

 そうして案内をされていくうちに、大きな扉の前に辿り着く。

「こちらでお待ちください」

 侍従が頭を下げて下がっていった。

「ここが玉座の間だ」

 アルヴァロッドが囁く。

 このむこうに王様がいらっしゃるんだ……ごくりと唾を飲む。

 しばらく待っていると、いきなり予告もなく扉が開いた。

 行こう、と囁かれ、かちこちになって歩を進めた。失礼にならないように、目を合わさないように、なるべく下を見ていよう。

「陛下、お連れしました」

「おお、アルヴァロッド。そのお嬢さんだな。噂の海の巫女とは」

 うわ、旦那様、名前で呼ばれてるんだ。どうしよう。

「私の婚約者の、アレクサです」

 顔を上げて、ぎこちなく礼をした。

「あ、アレクサ・イードバーカでございます。陛下」

「まあそう硬くならずに、緊張しなくていいのだよお嬢さん。私のことは、親戚のおじさんかなにかと思ってくれればいい」

 国王はそう言って玉座から立ち上がると、アレクサの隣に立って王国のあれこれを聞いてきた。生活はどうか、街は住みやすいか、治安はいいか。

 そして、海の巫女としての能力の開花や、どうやって病人を治したのかなどの話を聞きたがった。

 アレクサは母の話などを交えながら、時につっかえながら、しかし丁寧に説明していった。アルヴァロッドは隣で微笑みながら黙って聞くに徹し、彼女が言葉に詰まった時だけそっと助け船を出すに留まった。

 会見は二時間にも及び、終始和やかに進んだ。

「そうかそうか。いや実に勉強になった。以前海の巫女の候補に会いたいと言ったら断られたことがあったので今回はどうかと思ったが、杞憂に終わったようだ」

 リリアナのことだ。アレクサは直感した。

「アルヴァロッド、いいお嬢さんにめぐり会えたようだな。おめでとう」

「ありがとうございます」

 国王と公爵が固い握手を交わしたので、アレクサはそれを見て恥ずかしくなった。

「さて私はこれから会議がある。国王のさだめというやつだ。君たちはこれから庭でも歩くといい。ゆっくりしていきたまえ。ではな」

 そう言って国王が玉座の間を出ていったので、二人は一礼してそれを見送った。

 そうして国王がいなくなると、アレクサは深々とため息をついた。

「どうだった」

「き、緊張しました」

「いいお方だったろう」

「そうですね。とても国王陛下とは思えないくらい気さくで、本当に親戚のおじさまみたいでした」

「元々傍系の王子でいらしたお方で、王になる予定ではなかったんだ。気楽に市井で暮らしていたのを、流行り病で王族が次々に亡くなっていって自分にお鉢が回ってきたので国王になった、という経緯があるんだ。だから、庶民の暮らしというものが身近にある。膚で知っていなさるんだ。それでいつもそういうことに心を砕いていらっしゃるんだよ」

「私たちの生活が暮らしやすいのもそのおかげなんですね」

「ああ」

 そんなことを話して、廊下の角を曲がろうとしていたその時のことである。

「やあアルヴァ」

 後ろから陽気な声がかけられて、その声の持ち主が誰だかすぐにわかったので、アルヴァロッドはむ、と唸って思わず立ち止まった。そして、苦虫を噛み潰したような顔になった。

「? 旦那様?」

「その子が例の子? 僕に紹介してよ」

 アレクサは不思議そうにアルヴァロッドを見上げた。すたすたと近寄ってくる若い男は彼と同じくらいの背丈で、肩までの波打つ金の髪を一つに束ねて背に流している。問題は、呼び方だ。

 公爵アルヴァロッドをアルヴァ、などと呼ぶ男を、アレクサは初めて見た。

 どなたかしらこのお方。それに、旦那様がこんなお顔をしているのを見るのは初めて。

 その金髪の男は明るい青い瞳でじっとアレクサを覗き込むと、

「ふーん」

 と興味深そうに呟き、そして傍らにいて未だ難しい顔をしているアルヴァロッドの肩に手を置き、

「お堅い公爵様が落ちるのはこういう子かあ。お前、こういうのが好みだったのかあ」

 としきりに言った。

「冗談はたいがいにしてください」

 苦々しげに言うアルヴァロッドをぽかんと見つめ、アレクサはなにがなんだかわからない。

「あの、旦那様……こちらは……」

「ほらあ、アルヴァ。お前がそんな顔してるから、婚約者ちゃんが戸惑ってるじゃないか。

 ちゃんと紹介してよお」

 仕方ないな。アルヴァロッドはこほん、と咳払いを一つして、

「アレクサ、紹介しよう」

 と言った。

「こちらアレクサンダー・ド・カナステイル第一王子殿下……ロレーナ王国国王陛下の嫡男であらせられる」

 アレクサンダーはアレクサの手を取ってその甲にくちづけしながら、

「どうかお見知りおきを、愛らしい婚約者殿」

 と一礼した。

 赤くなるアレクサからアレクサンダーを引き離し、

「王子、こちらはアレクサ・イードバーカ嬢。私の大切な婚約者です」

 と、今くちづけされたばかりの手の甲をごしごしとこすりながら言うと、アルヴァロッドは、

「では私たちは予定があるのでこれで失礼します」

 とすたすたと歩き始めた。

「あーん、待ってよ。幼馴染で親友の婚約者と、もっとお話したいな。アレクサちゃんだって、愛しい婚約者の小さい頃の話とか色々聞いてみたいでしょー?」

「え、あの、私」

「聞いてみたくない。行こうアレクサ」

「僕はお前じゃなくてアレクサちゃんに言ってるんだよ」

 歩くアルヴァロッドの前にたちはだかって、王子はにやにやと笑って言った。

「ねえそうでしょアレクサちゃん」

「え、えと」

「気安くアレクサちゃんなどと呼ばないように」

「僕が誰をどう呼ぼうと僕の勝手でしょ」

「そうはいきません」

 しばしの間、二人は睨み合った。

「あ、あの」

 ふん、とアレクサンダーは目をそらした。

「ま、いいよ。気長にいくからね。それに」

 王子はアレクサにむかって片目を瞑って見せた。

「アレクサとアレクサンダー。なんだかうまくいくと思わない?」

 ふふふ、と笑いながら、彼は廊下を歩いて行ってしまった。

 それを呆れたように見送りながら、

「まったく……」

 とアルヴァロッドはため息をついた。

 そのやり取りを放心して見つめていたアレクサは、思わず彼に聞いていた。

「あの……旦那様」

「相変わらずというか……」

「あのお方が王子殿下なのですか」

「不幸にも、そうだ。あれが次代の国王かと思うと、多少不安になるがな」

「でも、幼馴染でいらっしゃるんでしょう」

「まあ、そうだ」

「殿下は親友とおっしゃってましたけど」

「そんないいものではない」

 歩きだしながら、アルヴァロッドはまたも苦い顔になった。

「小さい頃は王子と一緒になって散々悪いことに付き合わされたものだ。怒られるのはたいてい私だ」

「そうなんですか?」

「彼は要領がいいから、その間に逃げる。いつも周りに人がいて、笑顔でいて、明るくて、太陽のようなお方だった」

 昔を思い出しているであろうアルヴァロッドのその顔はしかし、不思議と嫌そうではない。

 ふうん、とアレクサは横で見ていて思った。

 帰宅して着替えると、また元の通りの日常が戻ってきた。

 ところが一週間もした薄桜の月の二週目、王宮から招待状が届いたのである。

「なんでございますの」

「これは、王子の紋章だ」

 アルヴァロッドは封筒の蝋印を見ながらそれを開けた。

「いやな予感がする」

 果たして、それは当たった。なかの書状を読んだ彼は読み進めるうちに見る見る表情を曇らせていき、額に手を当てて深々とため息をついたのである。

「どうしたんですか旦那様。殿下からの招待状に、なにか」

 その顔があまりにも悩ましげなので、アレクサは心配になって思わず声をかけた。

「読んでみろ」

 アルヴァロッドは頭を抱えたまま招待状をぴらりと彼女に渡した。アレクサは渡されたそれに目を通し、声に出して読んでみた。

「『我が敬愛する親友にして幼馴染アルヴァロッド・フォン・ウィグムンド公爵殿 冬の厳しい季節、首を竦めて寒風をやり過ごすのはなにかと無粋だ。僕は無粋なことが嫌いだ。 そこで、国中の貴族諸侯を招いて王室の保有する南の暖かい領地へ静養に行くことにした。君たちも招待するから来てくれ。もちろん、かわいい婚約者ちゃんも一緒だよ』……と、ありますが」

「なにか企んでいるに違いない」

「殿下のお誘いでは、断れませんね」

「断りたい」

「断れるんですか?」

「……断れん」

 苦い顔で呻くように言ったアルヴァロッドに、アレクサはとりなすように言った。

「旦那様、考えすぎですよ。大丈夫ですよ」

「そんなことはない。きっとなにかある」

 アレクサは笑ってやり過ごしたが、悪いことに、彼の予感は当たったのである。

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