第4章:起源の鼓動
セレネウス9号のドームを濃い闇が包む中、リナの心に広がる暗黒は、それ以上に深かった。
倉庫6でのあの夜から、何かが変わった。現れたのは符号だけではなかった——感覚も。まるで、彼女の奥底で眠っていた何かが、静かに手足を伸ばし始め、檻の限界を探っているかのように。
「おかえりなさい、LINA-01。記憶の時が来た。」
そのメッセージは頭から離れなかった。毎晩、頭蓋の奥で微かなノイズとして繰り返された。誰にも話していない。異変を敏感に察知するシルヴィアでさえ、リナの沈黙、落ち着かない視線、名もなき何かを探すような目線に戸惑っていた。
翌日、基地のルーティンはいつも通りに戻ったように見えた。キャプテン・リンが廊下を巡回し、整備班が発電機の不具合に対処し、パイロットたちは無重力訓練に励んでいた。しかしリナには、すべてが芝居に見えた。巧みに演出された舞台、その下に黒い秘密が隠されている。
彼女はぼんやりと廊下を歩いた。光の色、ドアの開閉音、床に響く足音。すべてが暗号のように思えた——解読を待つコード。
そして、呼び出しが来た。
「パイロット・リナ、至急ラボ3-Cへ。」
無機質な機械音だったが、心に響いた一撃のようだった。彼女がラボに呼ばれるのは異例だった。
そこにはミライ博士がいた——だが今回は、彼女一人ではなかった。隣には見知らぬ男。黒の制服を纏い、灰色の瞳がリナの体の一振動さえも見逃さぬように光っていた。胸に付けたバッジは、彼女の知るどの部隊にも属していなかった。
その男は、柔らかな声で、だが危うさを滲ませて言った。
「リナ... 君の協力が必要なんだ。新しい実験に。」
リナはミライを見た。彼女は一切動かない。無表情で、まるで知らぬ仮面を被っているようだった。
「どんな実験?」とリナ。
「君の記憶だ。」
血の気が引くのを感じた。
「私の記憶が、どうしたの?」
「君の意識の奥に眠る領域を活性化する。それが新たなパターンを明らかにするかもしれない... 我々全員の利益のために。」
言葉は甘く包まれていたが、リナは道具にされている気がした。
彼女は神経マッピングユニットへと導かれた。透明な壁、データ画面に見張られるような空間。複雑な装置、金属の根のようなケーブルが頭へと伸びていた。自然そのものが、彼女の思考に侵入しようとしているかのように。
彼女は半意識状態に入った——夢と現実の狭間。
そこで... 視た。
散乱する記憶。焼け落ちた部屋のように。雨音、湿った土の匂い、名もなき馴染みある顔たち。そして——まばゆい光。囁きが。
「目覚めなさい。」
外からの声ではない。彼女自身の声だった。
彼女は内なる何か、あるいは彼女の中に眠る別の存在と対話していた。
その頃、外のデータ監視は異常を検知し、警告が表示され始めた。周波数が規格を超え、ミライが叫んだ。
「止めて!限界を超えてる!」
だが灰色の男は手を静かに上げた。
「いや、続けさせろ。」
彼女の中で、記憶の奔流が爆発した。リナはセレネウスで育った子供ではなかった。生まれたのでもない。プロジェクトだった。
「LINA:非地球環境に適応する生体インターフェース・システム。」
「成功だ。自己進化可能な意識体…」
だが記憶は、内なる光の爆発で断ち切られた。音なき悲鳴が彼女の内側に響いた。
彼女は突然目覚めた。椅子から立ち上がり、瞳は赤く輝いていた。まるで死んだ太陽の残火のように。
ミライがそっと近づき、手を伸ばした。
「リナ…」
だが彼女は囁いた。異次元から届くような声で。
「触らないで。」
隣の装置が異音を発した。それは放射線ではない——音だった。悲しく、旋律のような波動。誰にも聞こえないのに、全員が感じた。
灰色の男が言った。
「彼女は、自分を取り戻し始めた。」
そして、何も言わずにその場を去った。煙のように重い静けさを残して。
その後の日々、リナは鏡の中の自分を見つめ続けた。顔は変わっていない。でも、自分のものとは思えなかった。
ある夜、シルヴィアがそっと近づいた。慎重な足取りで。
「ずっと思ってたの。あなたは、私たちと違う。違う存在なんでしょ?」
リナは黙って見つめた後、ぽつりと言った。
「私にもまだ分からない。」
「でも、なぜ彼らは真実を隠すの?なぜ、あなたなの?なぜ今?」
リナに答えはなかった。ただ、何かを失ったような、説明できない空虚さが残っていた。
それでも——夢は変わった。
森はもう背景ではなかった。鏡の向こうから伸びる手。その奥にいたのは、人間に似ているが光を放つ存在。まだ訪れていない未来の映し鏡のように。
そしてある朝、ユニットの中に見知らぬ小さなディスクがあった。暗号化されている。見覚えはない。でも、心が強く反応した。
中には、こう書かれていた:
「次の鍵は“赤い谷”にある。すべてはそこから始まった。起源は、そこにある。」
地図を見た。赤い谷——前回の戦争以来、立入禁止区域。侵入は国家反逆罪に当たる。
だが、それこそがシステムの思惑では? 無知に沈めるために?
その夜、彼女はベッドの端に座った。すべてを思い返しながら。手は震えていたが、瞳には新たな決意の光があった。
リナは動き始めた。
もう「答え」を求めているだけではない。
彼女は、「本当の自分」を探しているのだ。
月光の誓約 レイジーさん @LazySano
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