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「悪いことは重なるなあ」
スドアが建物を出ると、強い風が彼の体に吹き付けた。空は暗くなり、分厚い雲が空を覆っている。
確実に雨が降る。
有事の際も想定されていて、一日経ってスドアが帰って来なかった際には迎えが来ることになっていた。しかしそれは、船が漕げたら、ということになる。
嵐が来れば、交渉島は完全に孤立してしまう。食料もほとんど残っていないし、真水も得ることができない。
「せめて船が漕げればなあ」
島主の一族は、自ら船を漕ぐということがない。そういう身分ではないということもあったが、「島から逃げ出せないようにする」という理由が一番だった。特に西島においては、豊かな東島に逃れたいという思いが生まれがちである。有力者が東島に移れば、西島の立場は一気に弱くなる。そのため、身分の高い者たちから自ら海を渡る能力を剥奪しているのだ。
単に船で前に進むぐらいなら、スドアにもできるかもしれない。しかし海を渡るには様々な技術が必要である。海図や地形、潮の流れ、様々なことを把握していなくてはならない。
「風も吹いてるしねえ」
無理に漕ぎ出せば、在らぬところに流されるか、沈没してしまう恐れが大きい。建物に戻ってきたスドアは、椅子に腰かけて頬杖をついた。
「死にそうだなあ」
風が壁を叩く音がする。それは、かなり強い嵐が訪れるときのものだった。このままでは建物自体が崩壊して、スドアの拠り所を奪ってしまうかもしれない。
彼は、強く死を覚悟した。元より交渉島に来ることは、危険を伴っている。ここで命を失った彼の先祖は、一人や二人ではない。しかし、漕ぎ手が急死し、嵐に遭って死ぬ危険は全く想定していなかった。
スドアは机の上に置かれた紐を手に取った。ココナッツの繊維から作られた紐には、いくつかの結び目が付けられている。結縄と呼ばれる記録媒体で、簡単な情報を残すことができる。今は交渉の結果が刻まれているだけだったが、スドアはそこに辞世の句を足そうと考えていたのだ。
まだ、スドアの知る結び方はそれほど多くはなかった。島主の一族は、
「思い浮かばない」
スドアは遺したい言葉がないことに気が付いた。遺したい相手も、成し遂げたい思いもない。
何と虚しい人生か。
いっそのこと、「人生は虚しい」と遺そうか。そう考えたものの、それも虚しくなってやめた。
「あっ」
彼はどうしようかと悩みながら手で紐をもてあそんでいたが、くねくねと動く紐は手を抜け出して床に落ちてしまった。かがんで拾おうとしたスドアだったが、床に手が届くことはなかった。
紐の落ちた場所を中心に、黒と青の渦が生じたのである。
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