1-2

「悪いことは重なるなあ」

 スドアが建物を出ると、強い風が彼の体に吹き付けた。空は暗くなり、分厚い雲が空を覆っている。

 確実に雨が降る。

 有事の際も想定されていて、一日経ってスドアが帰って来なかった際には迎えが来ることになっていた。しかしそれは、船が漕げたら、ということになる。

 嵐が来れば、交渉島は完全に孤立してしまう。食料もほとんど残っていないし、真水も得ることができない。

「せめて船が漕げればなあ」

 島主の一族は、自ら船を漕ぐということがない。そういう身分ではないということもあったが、「島から逃げ出せないようにする」という理由が一番だった。特に西島においては、豊かな東島に逃れたいという思いが生まれがちである。有力者が東島に移れば、西島の立場は一気に弱くなる。そのため、身分の高い者たちから自ら海を渡る能力を剥奪しているのだ。

 単に船で前に進むぐらいなら、スドアにもできるかもしれない。しかし海を渡るには様々な技術が必要である。海図や地形、潮の流れ、様々なことを把握していなくてはならない。

「風も吹いてるしねえ」

 無理に漕ぎ出せば、在らぬところに流されるか、沈没してしまう恐れが大きい。建物に戻ってきたスドアは、椅子に腰かけて頬杖をついた。

「死にそうだなあ」

 風が壁を叩く音がする。それは、かなり強い嵐が訪れるときのものだった。このままでは建物自体が崩壊して、スドアの拠り所を奪ってしまうかもしれない。

 彼は、強く死を覚悟した。元より交渉島に来ることは、危険を伴っている。ここで命を失った彼の先祖は、一人や二人ではない。しかし、漕ぎ手が急死し、嵐に遭って死ぬ危険は全く想定していなかった。

 スドアは机の上に置かれた紐を手に取った。ココナッツの繊維から作られた紐には、いくつかの結び目が付けられている。結縄と呼ばれる記録媒体で、簡単な情報を残すことができる。今は交渉の結果が刻まれているだけだったが、スドアはそこに辞世の句を足そうと考えていたのだ。

 まだ、スドアの知る結び方はそれほど多くはなかった。島主の一族は、結縄けつじょうの技術を学ぶ機会も少ない。今目の前にある結び目も、死んだ男が作っていたものである。

「思い浮かばない」

 スドアは遺したい言葉がないことに気が付いた。遺したい相手も、成し遂げたい思いもない。

 何と虚しい人生か。

 いっそのこと、「人生は虚しい」と遺そうか。そう考えたものの、それも虚しくなってやめた。

「あっ」

 彼はどうしようかと悩みながら手で紐をもてあそんでいたが、くねくねと動く紐は手を抜け出して床に落ちてしまった。かがんで拾おうとしたスドアだったが、床に手が届くことはなかった。

 紐の落ちた場所を中心に、黒と青の渦が生じたのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る