第52話 番外編 若奥様が頑張ること 後編

『実は若奥様がダリオスさんとの勉強ではない時間に読んでいた本が気になりまして。それがなんと「獣人の家庭や夫婦の在り方について」とか「獣人と番の関係性について」とか「獣人の妻の心得」と! これってやっぱり若奥様にも自覚が出てきたってことですよね! 若旦那様の奥様としての! 若旦那様もそろそろ夫としてぐいぐいいっちゃっていいんじゃないでしょうか!? 寝室も一緒にしちゃって!』


 後半は非常に熱く語ってくれたミュレスだ。

 ミュレスはユフィが来るにあたって雇い入れたメイドだが、もともと獣人の中でも一途と言われる四種聖獣の一種『鷹種』の屋敷で働いていたところを、子息が「手がいるなら」と送ってくれた人材だ。そのせいか、獣人の一途な関係にことさら盛り上がるところがあり、以前も勘違いされたことがある。

 悪気はないと解っているし、人材としても有能なので解雇の理由はない。ユフィもミュレスの明るさには戸惑いつつも不快は感じていないようだ。

 獣人のような一途さが珍しい人間種らしいと思うのだが、それとこれとは話が別である。


(ユフィがそんな本を読んでいたというのも驚きだが……。ミュレスが言うように俺の妻として頑張ろうとしてくれているんだろうか? 傍にいたいと言ってくれたしその可能性はなくもないと思うが……。だが、さすがに妄想がすぎないか? いくらなんでもユフィがいきなり――いや。自覚が出たから学ぼうと? だとしても寝室をいきなり一緒にするのは……さすがにユフィも困るだろう。いくらそれも妻の務めとはいえ――まさか、妻の務めだとそんなことまで学ぼうとしているのか?)


 獣人種の貴族とて跡継ぎを残すことは求められる。そういったところは人間種とも変わらない。四種聖獣は他にない種族としてその血を残すのもまた役目だ。

 当然オルガの妻であるユフィにも求められる。しかしオルガは妻の意識もなく、今に必死なユフィにそんなことは課していない。


(とはいえ、ユフィが妻としてそれが必要だと思っているならそれを口にするのは難しいだろう。やはり俺が言うべき――……とはいえ、本当にユフィが……? いや待てよ。そもそもにヒーシュタイン侯爵家での待遇から察するにそういった類の教育は――……)


 煩悶としている様子のオルガが今度はなにやら真剣な眼差しでなにかを睨んでいる。

 そんな様子をユフィはそっと見つめた。思わずオルガが睨む視線の先を見るが、そこにあるのは料理長が腕によりをかけてくれた夕食である。もしや美味しくなかったのだろうか?

 思わず「あの…」とそっと声をかけた。


「うん? どうした?」


「オルガ様。どうかされましたか……? なんだかその、とても真剣で、お尻尾をとても振っていらっしゃいますが……」


「……」


 完全なる無意識というものは困るものだ。律していることに慣れているのにユフィが傍にいるとそれができない。

 思わず「黙れ」と言うつもりで尻尾を鷲掴み、ユフィに笑みを返す。


「大丈夫だ。式典以降ずっと俺を名前で呼んでくれているのが嬉しくて、つい」


「! あ、これはその……」


 僅か頬を染めたユフィが慌てたように両手と目線を彷徨わせる。そんな慌てぶりが微笑ましくて思わず見つめてしまう。

 だめだ。尻尾がまた嬉しくて動いてしまう。


「い、いけないことでしたでしょうか……?」


「まさか。嬉しいよ」


「! その……わたしは、まだまだ未熟で無知で、オルガ様の妻にはとても不相応ですがっ、でも……これからもお傍にいたいと、その……思うので、頑張ろうと……」


「ああ。ユフィが頑張っていることは皆が知っている」


 俯いて、自信なさげなユフィ。けれど今は少しだけその顔を上げていて、ちゃんと意思を持っているのだと微かに見える目から分かる。

 それが嬉しくて。頑張ろうとしている姿が愛おしくて。


 オルガの眼差しを受けるユフィは、そのぬくもりと食堂全体に漂う優しい空気に背を押され「あ、あの…」と言葉を紡ぐ。


「その…お、お聞きしたいことが、あるのですが、よろしいでしょうか?」


「ああ。もちろん」


「その……わ、わたしはもっと、オルガ様に触れるほうがよいのでしょうか……?」


「……」


 優しい空気がなぜか固まる。目の前のオルガもまた笑顔で固まってしまった。

 おかしい。こんなことになるなんて。自分はまた失敗をしてしまったのだろうか。優しさに甘えてこんな失敗をしてしまうなんてきっと失望されてしまう。


「っ、申し訳ございません。出過ぎたことを申しました」


「いやユフィ。そんなことはない。……その、なぜ、そう思ったのかを聞いても?」


「えっと……オルガ様はわたしによく尻尾を絡めて触れてくださるので、それが獣種なりの夫婦の行為ならば、わたしもそうするべきなのかと……」


「ああ、なるほど。……そういうことか」


 なぜだろう。目の前のオルガは笑顔なのにとても安心したような顔をしているように見えるのは。尻尾がまたとても振れているのをオルガが抑えている。

 それにオルガはなぜだか口許を押さえて視線を逸らしている。……やはり気に障ることを言ってしまったのだろうか。


「申し訳ありません。今のは……忘れてください」


「ユフィにその意思があるなら俺は触れてほしい。どうだろう?」


「え…。あ、えっと…でも……」


 俯いたままオルガを見上げると、先程までと変わった楽し気な笑みがそこにある。

 ……どうしてだろう。そういう顔をされてしまうと顔を見ることができなくなってしまうから、困る。


 なんだか緊張して、落ち着かなくて、ユフィはぐわんぐわんと揺れる思考を精一杯動かす。


「あ、あのっ! わたしはウルフェンハード公爵家の皆さまやオルガ様のために頑張りたくてっ、だからその、つ、妻としてもちゃんとしていきたいと思ってっ……! 妻としてオルガ様に触れることが大切なことであるなら頑張りますしわたしもたくさん触れてもらえるように頑張りますっ!」


「っ……」


「オリバンズ国のふ、夫婦、というものはまだ分からないところがあって勉強中ですが、少しでもオルガ様のお役に立てるようにたくさん勉強して心得るべきことを身につけます。なにかわたしにできることがあればなんでもお申し付けください。勉強もお屋敷のお仕事も頑張りますので!」


 とりあえず言いたいことは言えたはずだ。なんだか心臓がどきどきしてちゃんと言えたのか自分でもよく分からない。

 こんなにも自分の想いを言葉にしたことがないから、ちゃんと言えたのか、伝わったのか、それも分からない。


 言葉にすれば、吐き出せば、少しだけ心が落ち着く。

 内心でほっと息を吐いたユフィは恐る恐るオルガを見上げた。


 オルガの笑みが固まっている。控える使用人たちもあわあわと見守っていた空気まで固まっている気がする。……やはりなにか失敗してしまったのだろうか。


 固まる若様とその目の前でおろおろしている若奥様。そんな二人を見つめる使用人たちは額に手をあてたり遠い目をしたり、様々な反応を見せていた。

 式典以降どこか距離が縮まったように見える若夫婦。それはとても好ましいことで、ユフィの小さな前進のようで、使用人一同あたたかく見守っているし、なんなら夫婦として二人に進展もあるかも……なんて期待があったりもする。

 ユフィの頑張りはもちろん知っているし、オルガに対する気持ちも戸惑いつつも言葉にできていることは好ましい。ユフィがこのままオルガの妻として、少しずつでも進んでくれれば――……なんて、期待はやはりまだまだ早かった。


(((若奥様っ、役目とか責任から離れてっ……!)))


 俯き加減で、それでも頑張って視線を最大限上げているユフィを見つめ、オルガも固まった笑みの下でとりあえず頭の中の己を殴った。


(そう……そうだな。ユフィはそういう人だ。俺はなにを馬鹿なことを考えていたんだ。まだまだユフィの心を癒すには程遠いだろうがこのうつけめ)


 己を叱り飛ばして、オルガは固まった笑みをほぐす。


「ありがとう。ユフィ。あまり無理をしないことが俺からの頼みかな」


「! き、気をつけます……」


「そうしてほしい。それから、俺は君以外の妻を娶る気は微塵もない」


「っ、ぁ、はい……」


 もう何度も言った言葉。何度言うことになっても、何度伝えなくてはいけなくても、その心がゆっくりと理解できるようになるまで、何度でも。

 やっと、やっと少しずつ進んでいるユフィだ。きっと今もおろおろしながらも必死に呑み込もうとしてくれている。


 今は、それが嬉しくて。充分で。

 ――だからいくらでも己を律する。


 俯いて視線を彷徨わせるユフィの頭にそっと手を置くと、刹那体が強張り恐る恐るというように俯き加減からの視線を感じた。そんな様子に思わず口許が綻む。


(やっと、やっと少し慣れてくれた。今度ユフィに撫でてもらおうか)


 触れることに慣れたら、次はユフィの頑張りを応援したいし触れてほしい。

 優しさが伝わるように。愛しさが伝わるように。オルガの手がユフィに触れる。

 オルガの眼差しが目に映って思わず視線を逸らす。そんな若夫婦を使用人たちは肩を竦めつつも微笑ましく見つめた。


「あ、あの、オルガ様……」


「どうした?」


「その……オリバンズ国の、結婚…や…夫婦……というのは…その……なにか特別なことをするのでしょうか…?」


 再びオルガの笑みが固まった。おそるおそるというようなユフィの言葉には再び使用人たちも固まる。

 ユフィの視線を感じつつ、オルガは再び思考をフル回転させた。


(結婚に特別なこと? それはつまり夫婦としてということか? それはもちろん――……いや待て。ユフィがそんな意図をもって発言するはずがないだろう。――そう。つまり、結婚に際して必要な心得ということだ。ユフィは拒否権なく俺との婚姻が決まったんだ。知らぬ国ではいろいろ違いもあるだろう。そうだ。そういうことだ)


 控える使用人の中でシーランもさすがに目を剥いてユフィを見てあわあわとなっている。無理もないとちらりと視界に収めつつ、オルガは何事もないかのようにユフィに笑みを向けた。


「いや。特にない。陛下への挨拶も群れの貴族たちに紹介も終えてあるから」


「ないのですか……? ご挨拶だけ……?」


「ああ」


 なぜだろうか。ユフィが少し驚いたような、拍子抜けしたような顔をしている気がする。

 そっと視線が俯いて、オルガはそんな様子をうかがった。


(これは、どうしたんだろうか……?)


 ユフィが妻としての役割の一つに気がかりを抱いているのかと思ったが、それはなにもユフィだけの役割ではないのでオルガも思うことがあればいくらでも相談に乗るつもりだ。異性には言いづらいかもしれないが、そういうときのためのメイドたちである。

 オルガはすぐにユフィ付きメイドの中でも信頼のおけるエラゼを見た。エラゼも心得たように頷く。頼もしい限りだ。


「妻……。オルガ様の……妻…。わたしは妻……」


 ユフィが小さな声で言い聞かせるようにこぼしている。非常に言いづらいが隣にいる獣人なのでばっちり聞こえている。

 それにも気づいていないようでユフィは何度か己に言い聞かせるようにして「うん」と最後には自分に頷いている。


(なんだこの可愛い妻は)


 自分は妻だと、夫の隣で自分に言い聞かせている。

 まずい。尻尾が止まらない。さっきからばたばたと煩くて困る。それに気づいている使用人たちの目が非常に微笑ましさにあふれている。


 オルガの尻尾の忙しなさに気づいたユフィは、戸惑うようにオルガを見上げた。


「オルガ様、その……お尻尾が……」


「大丈夫だ気にしないでくれ」


「はい……?」


 思わず口許を覆ってしまう。

 獣人の使用人たちはきっとユフィの独り言が聞こえていただろう。オルガを見て小さく笑っている者もいる。


「さあ。残りを食べてしまおう。それからは、そうだな……尻尾を撫でてくれるか?」


「! はいっ。精一杯撫でさせていただきます!」


 やる気をみせる姿はとても微笑ましい。……うん。ただその、役目から離れてくれる日が来るのを心底願う。


 夕食を再開させるユフィの隣で、オルガは今後のことを考え困ったように内心で息を吐いた。





~*~*~*~*~*~*~*~


番外編、これにて終了です。

ここまで読んでくださりありがとうございました。


第二部……書けたらいいなあ。書けるかなあ……。



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俯き令嬢は獣の騎士様から逃れられない 秋月 @yamaneko4747

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