第22話「歪められた供物、牙を剥く香気」
朝靄の漂うイベコスタンの市場裏路地。
その空気に、いつもとは違う“香り”が混じっていた。
「……まただ。この甘い匂い」
ギルド前に立っていたザハルが、顔をしかめる。
「昨日の密香粉、中和は間に合ったが……残り香がまだ市場に残ってるな」
莉子も立ち止まり、ゆっくりと深呼吸する。
確かに空気の層に、不自然に甘いスパイスの香りが混じっていた。
(まるで、誰かが“香りの通り道”を作ってるみたい……)
⸻
その日、市場の一角で小さな騒ぎが起こる。
「うう……なんか、急に息苦しい……!」
「変な香りが……頭がぼんやりする……!」
果物屋の周辺に立ち込めた、強すぎるスパイスの香り。
それはまるで香料というよりも“霧”のように漂い、人々の感覚を鈍らせていく。
「これは……香気による拡散干渉」
騒ぎの中に現れたのは、長い黒髪を風にたなびかせた女性だった。
「エリオットさん……!」
莉子が目を見開く。
「……え? 知り合い?」とティナが小声で尋ねるが、莉子はかすかに頷くだけだった。
「驚かせて悪かったわね」
エリオットは肩をすくめ、ゆっくりと近づいてきた。
「こっそりついて来てたの。あの包丁の気配が安定してるかどうか、気になって」
「じゃあ……温泉のときも……?」
「ふふ、それは内緒。でも、無事でよかったわ」
エリオットは莉子の包丁に目をやり、柔らかく微笑んだ。
「けれど今は、呑気なことを言っている場合じゃない。
あの香りは、供物の“構造”そのものを狂わせる。しかも、魔術的に増幅されてるわ」
莉子は表情を引き締め、手に持った包丁を見つめた。
(この世界で、料理が“戦い”になる意味……ようやく、わかった気がする)
⸻
「ザハルさん、あの香りを打ち消せる料理……作れますか?」
「できるさ。ただし――」
ザハルが口元を引き締める。
「霊格のある“供物料理”で対抗する。リコ、お前が主だ。俺は手伝う」
莉子は頷いた。
「供物は、祈りのためのもの……だから、祈りで返す」
⸻
厨房にて。
莉子は髪をまとめ、包丁の柄を握り直した。
食材はすでに揃っている。ザハルの指示で選び抜かれた素材――
・清香草(せいこうそう):爽やかな香りで甘香を打ち消す冷性の葉
・月露茸(げつろたけ):淡い苦味と滋味を持つ高地産キノコ
・聖灰根(せいかいこん):軽く焦がすことで香りを立てる灰色の根菜
・ガラムボアの脂身:深みのある旨味と香味を融合させる主素材
・霊水(れいすい):供物調理に用いられる聖泉から汲まれた清水
莉子は火をつけた鍋に霊水を張り、ひとつ息を吸うと、
「……いきます」
まずはガラムボアの脂を低温で溶かし、旨味をじっくりと引き出す。
焦げぬよう火加減に気を遣いながら、溶け出した脂の中に細かく刻んだ月露茸を投入。
じゅわっ、と湿った香りが立ちのぼる。
「焦がさないように。茸は香りを閉じ込めてから、引き出す」
ザハルの助言に莉子は頷き、脂を通して風味が変わるタイミングを見極める。
次に、清香草を一気に湯通し。
甘香と対になる“清浄の香気”を引き出すには、温度と時間の調整が鍵になる。
「……今!」
さっと取り出し、霧吹きで湿らせた聖灰根を薄くスライス。
焦げないように網で炙り、香りが立ち上った瞬間に、鍋へと落とす。
香りがぶつかり、融合し、霧のように広がる。
莉子は最後に、包丁の刃を湯気の上にかざした。
――カチン。
鈍い音と共に、刃が微かに震えた。
その波動が料理に染み入り、味と香りの“調律”が完了する。
「できました……」
鍋の中からは、甘くも重くもない、しかししっかりとした香りとコクが立ち上っていた。
「これなら……香りの歪みも押し戻せる」
「いや、むしろ、料理が“供物”として名乗りを上げたってわけだ」
ザハルが満足げに頷く。
⸻
その夜。
まな板の模造品は突如として不安定に振動し、表面に細かな亀裂が走った。
アジトの地下、仮面の男が呟く。
「……まだだ。“本物の供物”に触れれば……完成する」
暗がりに、赤い香の煙がゆらめいていた。
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ストックを予約投稿するの忘れてましたっ!!
いかんせん初心者なもので‥ご容赦を‥
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