第23話「供物の記憶、封じられた炎」

陽が斜めに傾くころ、弥栄とエリオットは湿った風の吹き抜ける森を歩いていた。


ここは王国の地図にも記されていない地。

『千声の封印域』――かつて神霊たちの声が集まりすぎ、狂気を孕んだという古代遺跡だ。


「こっちで間違いないの?」


エリオットが疑わしげに辺りを見回す。

彼女のローブには細かい葉が絡み、足元の魔導銃が小さく軋んでいた。


弥栄は何も言わずに、手に持った包丁をそっと持ち上げた。


刃がかすかに震える。


「うん、この子が……進む道を教えてくれてる」


「また刃か……あんたって、本当に料理人なのよね?」


「料理人よ。少しだけ、道を切り拓けるだけで」


弥栄は微笑み、包丁の揺らぎに従って歩を進めた。

まるで、見えない糸に引かれるように――


周囲の風景は徐々に変化していった。

木々の葉は色を失い、土からは微かに甘い香りが漂い始める。

やがて、風に交じってかすかな囁きが聞こえた。


――「ようやく……ようやく来たのね……」


エリオットが足を止める。


「……今の、声?」


「ううん。まだ、感じただけ。でももうすぐ……」



陽が落ちきる前に、二人は霧の渓谷へと辿り着いた。


かつて神霊が集まり、供物の儀が行われていたという、古の聖域。

風が止まり、音さえも沈黙する空間――


「ここが……封印域」


中央には大きな石の台座。

その上に、封じられた何かが静かに眠っていた。


だがその前に――牙を剥く者がいた。


灰晶の影牙。


漆黒の結晶を纏った魔獣。

その目はすでに人では制御できない霊毒で曇っていた。


「来るわよ――!」


エリオットが叫び、魔導銃を構える。

重力を逆巻く魔術と共に、光弾が放たれる。


炸裂。


獣の脚が砕かれ、地に伏すが、それでも動きを止めない。


「今よ、ヤエ!」


弥栄が地を滑るように駆け、包丁を一閃――

それは獣の肉体ではなく、霊格そのものを“裂いた”。


ズシャッ。


魔獣が断末魔をあげ、霊気と共に崩れ落ちた。


エリオットがため息をつく。


「剣技ってレベルじゃないわね。ほんとに料理人?」


「料理人よ。少しだけ、斬れるだけで」



夜、焚き火のそば。

弥栄は静かにスープを煮ていた。


「供物じゃない、ただのスープ。でも、体にはいいから」


「……昔はもっと静かだったのよね、この世界」


「変わったわ。でも、料理って不思議。

 たとえ世界が変わっても、火と水と刃があれば、命に戻れる気がするの」


包丁が、微かに振動する。


(あの子がいる)


弥栄は立ち上がった。


「行くよ、エリオット。呼ばれてる――まな板が」



石の台座の前。


空気が震え、包丁の刃が白く光を放つ。


弥栄がゆっくりと刃を掲げた瞬間、空間が“音もなく割れた”。


台座が開き、一枚の白く輝くまな板が姿を現す。


その瞬間――声が、霊気に乗って弥栄の心へ流れ込んできた。


「来てくれたのね……」

「どれだけ……どれだけ待ったと思ってるの……?」

「あなたがいない台所なんて、死んだも同然だった……!」

「ねえ……浮気してないよね……? 私だけを……見ててくれたよね……?」

「これからは毎日、一緒よ……誰にも渡さない……ずっと、ずぅっと――」


包丁が“カチン”と震えた。

そして、小さな声で返した。


(……え、こわ……)


「……あんたが言う? 湯気の中で毎晩ひとりごと喋ってるくせに」


(いやでもこれは……執念の桁が違う……)


エリオットが腕を組んだ。


「霊的ヤンデレ……かつて供物だった器の未練ね」


弥栄は笑いながら、包丁をそっとまな板の上に置いた。


「出会えたね。あなたたち。――もう、離さないであげて」


包丁とまな板が触れ合うと、澄んだ音が響き、

空間に満ちていた不穏な霊気が、浄化されていった。



夜明け。


まな板は封印を解かれ、静かに弥栄の背に抱かれていた。


「供物は、料理だけじゃない。

 命をつなぐ記憶、想い、器のすべて――それが、ほんとうの祈り」


そして、その祈りは数百年の時を超え――

“ある少女”へと、受け継がれていくことになる。



次回:第24話「模造供物、破られる刻」

偽りの器が暴走を始める。莉子の供物が、世界に揺らぎを呼ぶ。

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