第21話「香りの闇と、甘い罠」
「よう、今日のまかないも楽しみにしてるぜ!」
「うん、待ってて。今日も温かいの、出すから!」
朝のギルド食堂。
賑やかな冒険者たちの声が飛び交い、厨房には活気が満ちていた。
莉子は笑顔で鍋をかき混ぜながら、包丁にそっと手を添える。
「……ふふ、今日もいい具合」
しかし、その賑わいの中に――
不意に混じる、妙な違和感があった。
「……なんだろ、この香り」
甘く、しかし刺すような刺激。
花の蜜に似ているが、それよりも重く、喉の奥に引っかかるような香気。
一部の冒険者が食事を前に、顔をしかめていた。
「うっ……なんか、鼻にくる……」
「昨日と同じメニューのはずなのに、舌がピリつく……?」
ザハルが厨房の棚を一つ一つ確認し、ふと、ひとつの壺を見つける。
「……これか。やられたな。密香粉だ」
指先にわずかに触れただけで、濃密な甘香が広がる。
「香気を操作して、人の感覚や欲求を狂わせる危険なスパイスだ。正式には禁制寸前」
「誰かが勝手に……?」
莉子が眉をひそめたとき、包丁がかすかに震えた。
ザハルが香粉の壺を睨みながら、低く唸る。
「……この香り、ただの料理じゃ太刀打ちできない」
「えっ……?」
「リコ、スープを作るぞ。中和用の香味だ。お前の腕も借りる」
「中和……?」
「料理には料理で対抗する。ここじゃ、それが“戦い方”ってもんだ」
ザハルは食材棚を素早く指さした。
「冷性のフローラセッジ、酸味を出すレモ草の根、香りを吸うシルフ豆の粉。混ぜて調整スープを作る。
あの粉の甘重さには、この組み合わせが一番効く」
莉子はその言葉に頷きながら、手を動かし始めた。
(料理で対抗する……。これは、ただのご飯じゃない。“この世界の戦い方”なんだ)
鍋に素材を入れ、香気のバランスを整えながら煮立てていく。
やがて立ち上った湯気は、甘ったるい空気を押し返すように広がり――
「これを飲んで。強い香料に体が負けそうになってるから、落ち着けるはず」
最初に口をつけた冒険者が、しばらくして息を吐いた。
「……ああ……これ、効く。頭が軽くなってきた」
「さっきまで、何食っても重かったのに……」
広がる安堵の空気に、莉子は小さく胸を撫で下ろした。
⸻
その日の深夜遅く、街外れの古びた酒場――
昼は人けの少ない場所に、夜になるとわずかに明かりが灯る。
だが、誰もその地下に「供物調整室」と称された、ある一室があるとは知らない。
狭く閉ざされたその部屋の中心には、奇妙なまな板が安置されていた。
それは、かつての供物調理具の形を真似た、模造の遺物。
「まな板の再現は完了だ。あとは、神霊が宿る料理を再現できるかどうか……」
「甘さと重さ、それが“浸透”する鍵……この街の胃袋ごと、支配してやるさ」
その密談の声に混じり、ざらりと香料の袋が揺れた。
仮面をつけた男が低く笑う。
「コラプスの餐は、供物を“破る”ことで、次の扉を開く……」
そして、そのやり取りを――
建物の外、月の影で静かに気配を読む者がいた。
エリオット。
フードを深く被り、背を壁に寄せながら気配を殺す。
(……模造された供物具に、禍々しい香気……)
「……まったく。壊れた供物で、神に届くとでも思ってるの?」
月光が彼女の黒髪を照らす中、湯に火照った肌とは違う冷たい怒気が、その声に滲んでいた。
⸻
夜が明ける頃、街は普段と変わらぬ喧騒を取り戻していた。
けれど莉子は、知っていた。
あの香りは、料理に忍ばせて人を惑わす――“料理の裏切り”だと。
「供物は、人を癒すためのもの。私はそれを、誰にも汚させない」
包丁が、静かにきらめいた。
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