第5話「はじめての採集依頼と森の魔獣肉」
朝、ギルド掲示板の前に立った莉子は、紙にびっしりと書かれた依頼の数々に目を丸くしていた。
「こういうのって、何から選べばいいんだろ……」
隣から声がかかった。
「だったら一緒に行こうぜ。今日、ちょうど初心者向けの採集依頼があってさ」
声の主はアレン。軽装の革鎧に身を包み、腰には剣ではなく、小ぶりな鉈がぶら下がっている。
「採集依頼……?戦わなくてもいいんですか?」
「基本は山菜や薬草の回収。だけど、獣よけくらいの魔物は出るかもな。オレが一緒なら安心だろ?」
そう言われて、莉子は少し不安ながらも頷いた。
***
ハルメリアの街を出てしばらく歩くと、石畳の道はやがて土の道へと変わった。
街道の左右には広がる草地と畑、その奥に点在する農家の赤茶の屋根がぽつぽつと見える。魔導車輪の通行跡が土の上に深く刻まれ、時折通る馬車や浮遊台車が風を巻き起こすたび、莉子はスカートを抑えて歩を早めた。
「こうして街を離れるのって、少しだけワクワクしますね」
「だろ? ハルメリアからそう遠くないけど、“薄靄の森”は雰囲気がまるで違うから、きっと驚くぜ」
そう話すうちに、徐々に周囲の木々が増え、やがて道は木漏れ日のトンネルへと変わっていった。
薄靄の森――その名の通り、木々の根元には淡い霧が常に漂っている。地面はしっとりとした苔で覆われ、踏みしめるたびにふわりと柔らかい感触が返ってくる。木の幹は太く、枝には青や紫の葉が揺れ、耳を澄ませば小鳥のさえずりに混じって、水の流れる音が聞こえる。
「……静かですね」
「そう、この辺は“マギ”がやや濃いから、野生動物は少なくて。けど、代わりに魔獣がひょっこり出てくる」
「マギ……ってことは、食霊も濃いってことですか?」
「お、もうその辺り分かってきたな? 料理人らしい着眼点だ」
莉子は笑いながら、腰の包丁を軽く手で押さえた。
(でも……この空気、どこか懐かしい気がする。山奥の実家の裏山に、少しだけ似てるかも)
森の中に一歩一歩入っていくごとに、莉子の胸の奥には“未知”と“懐かしさ”が同時に膨らんでいた。
***
目的地はハルメリア南西の“薄靄の森”。古くから薬草と香草の宝庫として知られているが、同時に魔力濃度が高く、魔獣も出没するという。
「じゃあ、こっちに気配が薄い“青香草”があるって聞いた。オレが奥を探るから、手前を任せるよ」
莉子は指定された範囲を回りながら、しゃがみ込み、地面に根を張る草の束を見つけた。見た目はミントに似ていたが、茎を折るとふわりと甘い香りが立つ。
(これ、料理にも使えそう……って、あれ?)
背後で、かさり、と草が揺れた。
「……!」
振り返った先には――小動物ほどの大きさの毛むくじゃらの影。鼻が利くのか、莉子の持つ香草に鼻をくすぐるように近寄ってくる。
「え、ラット……? スモークラット……!? でも、色が違う……?」
全身が煤けたような灰色の毛で覆われ、背には黒い線状の模様。ふいに飛びかかろうとした瞬間、矢のような風が横から走った。
「離れろっ!」
アレンの声とともに、鉈が閃き、魔獣は転がるようにして逃げていった。
「大丈夫だったか!? 今のは“カゲモクラット”だ。スモークラットの近縁種だけど、ちょっと獰猛なんだ」
莉子はこくこくと頷き、尻餅をついたまま背中の魚籠を抱えた。
「び、びっくりした……でも、ありがとう」
「ほら、これ見てみな。今のやつ、動きは早いけど肉は柔らかいんだ。ほら、尻尾の付け根から脂が出てるだろ?」
アレンが拾い上げた魔獣の肉片には、うっすらと煙るような脂がにじんでいた。
「この煙っぽい香り、スモークラットより濃い気がする……! 料理にしたら、すごく風味が立ちそう」
莉子は興味津々でメモ帳を取り出し、構想をスケッチし始めた。
「この脂を活かすなら、甘みのある芋系の根菜を合わせて……香草でさっぱり仕上げて……」
その横顔を見て、アレンは苦笑しながら肩をすくめた。
「おいおい、さっきまで怖がってたのに、もう料理のことで頭がいっぱいかよ」
「え、だって……これ、すごく美味しくなりそうなんだもん!」
そう言って笑う莉子に、アレンもまた笑い返す。
「よし、もうちょい集めたら帰ろう。今日の戦利品は、ギルドに戻ってまかないにしようぜ」
「うん、今日のまかないは私に任せて!」
森を後にする二人の背には、柔らかい陽光が射し込んでいた。
***
ギルドに戻ると、莉子は厨房でさっそく“カゲモクラット”の調理に取り掛かった。
包丁を握ったその瞬間、刃の根元がかすかに淡く光るのを感じた。はっとして見つめると、光はすぐに収まったが、まるで料理の意志に応えるように、包丁が静かに脈打っていた。
(……また、光った。まさか、この包丁が……?)
けれど、今は目の前の料理に集中するときだ。臭みのある部位を丁寧に取り除き、香草と芋のペーストで下味をつけ、魔導火でじっくりと蒸し焼きにする。
仕上げには市場で手に入れた酸味の強い果実のジュレを添え、香りと食感のアクセントに。
「おまたせしました、今日のまかないです!」
配膳が始まると、厨房の隅から次々と感嘆の声が上がった。
「なんだこれ……ラット系なのに、めっちゃ柔らかい!」「このソース、口の中で香りが弾ける……!」
「昨日のも美味かったけど、今日のは格が違うな……」
莉子のまかないはギルド内であっという間に評判となり、厨房の仲間や受付嬢のノエル、他の冒険者たちまでがこっそり様子を見にくるようになっていた。
「あの子が作ってるの? 見た目は普通の娘だけど……」
「でも、あの包丁の使い方……只者じゃないな」
「異邦のまかない嬢って、最近噂になってるらしいぞ?」
莉子はそんな噂を耳にするたびに頬を染めつつも、自分の料理で誰かが笑顔になることに、喜びを感じていた。
(この世界でも……私の料理、通じてるんだ)
***
その夜。
ギルドの寮にある小さな個室。簡素な木のベッドと、机と椅子が一組だけ置かれた部屋の窓からは、星空がよく見えた。
莉子はそのベッドの上で膝を抱えながら、静かに空を見上げていた。
(……あっちの世界では、今どんな時間なんだろう)
(お父さんとお母さん、心配してるよね……先生も、私がいなくなってすぐに気づいたはず)
包丁を持ったまま転移してきてしまった自分。鞘は、実習室に置きっぱなしだった。――あれも、向こうに残された“なにか”を伝える手がかりになるだろうか。
「……でも、私、ここでやらなきゃいけないことがある」
ぽつりとつぶやいて、自分の胸に手を当てた。
料理で誰かを笑顔にすること。あの包丁の謎を解き、いつか帰る方法を見つけること。そのどちらも、今の自分にとっては同じくらい大切なことだった。
「……明日も、頑張ろう」
そう言ってそっと目を閉じると、まるで応えるように、腰の包丁がほのかに温もりを帯びた。
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