第6話「修行の火と、機械仕掛けの魔導士」

――ギルド食堂の厨房に、金属が軋むような焦げ臭い匂いが立ち込めていた。


「きゃっ、ごめんなさい、また吹きこぼれ……!」


慌てて鍋の取っ手をつかみ、火炉から持ち上げる。蒸気が一気に立ち上り、莉子は手元を覆う布越しに腕を引っ込めた。


(……またやっちゃった)


厨房の奥から視線を感じる。振り向くと、ミレイユが腕を組んで仁王立ちしていた。


「アンタ、今日だけで何回焦がしたと思ってるのよ」


「す、すみません……」


「言ったでしょ、この魔導火炉は《魔力の流量》で火加減を調節するの。感覚で覚えるのよ、感覚で!」


(その“感覚”が一番わからない……!)


地球のガスコンロやIHなら、ツマミやボタンで温度を段階的に設定できた。でも、この世界の魔導火炉は“魔力を送り込む量”で出力が決まるらしい。しかもその調整が繊細すぎる。少しでも魔力が揺れれば、火が暴走したり弱すぎたりする。


莉子は鍋の中を見て小さくため息をついた。


(……ダイヤル式にできたら、どんなに楽だろう)


「――その発想、ちょっと面白いじゃない」


ぽつりと呟いた声に、莉子が顔を上げる。ミレイユが口元に笑みを浮かべていた。


「アンタがそう言うなら、あの子を呼んでみるか……昔っから、魔導具をいじくるのが好きな変人がいるのよ。名前は、エリオット。腕は確かよ」



翌日、厨房裏口に現れたその“エリオット”は、全身をすっぽり覆う黒いローブを纏い、深くフードを被っていた。


「おーい、壊れた火炉の修理? それともまた爆発でもしたかい、ミレイユ」


くぐもった声と、錫杖のような魔導具の音が響く。足元には魔力を伝えるための変換装置や、小型の魔力石がジャラジャラと吊るされていた。


莉子は思わず呟いた。


「……えっと、男の人……?」


その声に、ローブの人物がくすりと笑う。


「失礼しちゃうわね。これでも“美女”の部類なんだけど」


ゆっくりとフードを外すと、そこには形の整った顔立ちと、長く艶やかな黒髪をポニーテールにまとめた美女がいた。腰のラインが美しいローブの中には、スレンダーながら曲線のはっきりした体が隠されていた。


「え、えええっ!?」


莉子の驚きに、ミレイユが肩をすくめる。


「エリオットはローブ姿の時は大抵“性別不明”扱いされるのよ。昔っからね」


「ふふ。便利よ? 男の子にも女の子にも間違われるって」



エリオットは莉子の描いた“ダイヤル式温度調節装置”のスケッチを見て、興味津々の様子だった。


「このツマミで魔力流量を段階制御するのね。こっちの目盛りは……なるほど、熱量変換式か」


すぐに腰の袋からパーツを取り出し、小さな工具で炉の内部をいじり始めた。莉子が言葉を失うほどの手際で、炉の側面に金属製のダイヤルと温度表示板が取り付けられていく。


数十分後には、異世界仕様の“リコ式調理炉”が完成していた。


「試してごらん」


言われるままにツマミを回すと、目盛りに応じて穏やかに炎が灯る。暴走することもなく、一定の火力を保っている。


「……すごい。これ、すごいです!」


「売れるな、これは」

ミレイユが呟くと、エリオットがにやりと笑った。


「ふふ、量産して魔導技師協会に納めるのもアリかしら。“リコ式調理炉”って名前にでもして」


「や、やめてください、そんな恥ずかしい名前!」



その日の夕方。ミレイユに頼まれた調理器具の調整が終わり、エリオットは帰り支度をしていた。


ふと、莉子が厨房の棚にしまっていた包丁を取り出し、点検を始めるのが目に入る。


「……ちょっと、それ、見せてくれる?」


「え? あ、はい。どうぞ……」


エリオットは包丁の柄にそっと触れた。その瞬間、刃の部分が淡く青白い光を放つ。


「……やっぱりね」


「えっ?」


「この感じ……間違いない。“あの人”の匂いがするわ。懐かしいわね、五百年ぶりかしら」


少しだけ、寂しげな微笑みを浮かべた後――


「この子の相方はどこ? 寂しがってる。……そんな気がするのよ」


莉子は、はっと息を呑んだ。


「……それ、多分、向こう――私の故郷に置いてきてしまって……」


包丁をそっと見つめる彼女の瞳に、かすかな陰りが差す。

まるで、自分だけが転がり込んできてしまったことへの後ろめたさを噛みしめるように。


ミレイユは何も言わなかった。ただ、いつになく真剣な表情で莉子と包丁を見つめていた。


その沈黙の中で、エリオットが再び包丁に指を沿わせる。


「……鞘との“パス”が、まだ繋がってるわ。かすかだけど、微細な魔力が流れてる。どこかに呼び戻そうとしてるような……」


彼女の瞳が細くなる。

一瞬、何かを“視た”ように虚空を見つめた後、震える吐息をひとつ漏らした。


「やっぱり……生きてたんだ、あの人……」


小さく、ポツリと呟いたその声に、莉子は聞き返す間もなく。


エリオットはそっとフードの影に顔を伏せ、静かに、けれど確かに――涙を一筋、頬にこぼした。


それは再会の喜びか、それとも……届かぬ過去への追悼か。


「ごめんね、ちょっとセンチになっちゃった。……あの人から託された。君を」


「薄々思ってはいたんだけど…やっぱりこの子は…?」


「ええ、ミレイユ……。私の冒険者復帰手続きをお願い。ずっと休眠扱いだったけど、もう逃げてる場合じゃない。あの人からのお願いなんて、ほんとに久しぶり……必ずこの子を故郷へ返すわ。」


ミレイユはわずかに目を細め、そして静かに頷いた。

「……了解。アンタがそこまで言うなら、私も腹を括るわ。ギルドへの連絡は任せて」

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