監獄高校脱獄部

末富遊

プロローグ

 はじめて脱獄したのは、十一歳のときだった。

 トンネルを掘った。

 下に四メートル、横に七メートル、上に四メートル。掻き出した土砂の量はおよそ十二トン。それをたった一人でやったのだと思うと、我ながら愕然とした。

 今更ながら、よくもあんなことができたものだ。自分の意志では絶対に無理だった。

 「お前は俺たちに殺されるか、それとも、トンネルを掘るかだ」

 そう残虐な兄達に脅されていなかったら、掘ろうとも思わなかっただろう。

 今でも地中深くで作業していたときの事を思い出す。

 地中の深くは、時間の感覚がなかった。地上の時間の流れから切り離されているような気がした。

 常に崩落の恐怖を感じながら、手を動かし続けた。土壌は粘土質で固かった。ヘッドライトで手元を照らしながら、スコップで少しずつ削るように掘り進めた。掘った土はバケツに入れ、狭いトンネルをバックして、地上にばら撒いた。その繰り返し。地中は酸素が薄く、何度も引き返して、呼吸を整える必要があった。

 こんなことを、半年間ほど続けたせいで、精神が病んだ。深夜、一人でトンネルに潜り、スコップを握ると、周囲の土に圧迫されるような錯覚に襲われた。

 あるとき、土の一塊がぼとりと、頭に落ちてきた。 

 そのなんでもない現象は、おれの不安を増幅し、まるで崩落の前兆のように感じさせた。

 おれはパニックに陥った。

「ああああああああああ!」

 自分の魂が、フワーーーー!、と、気味悪くも心地良い感触を伴いながら、抜けていくように感じた。

 手先が痺れてくる。息が苦しい。おれは焦って呼吸した。しかし、トンネルの奥は慢性的な酸素不足である。過呼吸の症状は悪化の一途を辿った。

 死ぬ、と思った。

 意味もなく暴れた。卵の殻を破る雛鳥のイメージで、狭いトンネル内で手足をばたつかせ、周囲の土壁を突き破ろうともがいた。

 走馬灯が見え始めた。

 ロクな思い出がなかった。

 物心ついたときから、厳しい受験勉強の毎日だった。魔親からは『大金丸家始まって以来のクズ』と罵られ、家庭教師には毎日のように暴行された。兄姉達からは、ストレスの吐口にされ、蹴られまくった。

 生まれ変わったら、また、あそこに戻りたい。そう思える記憶が一つもない。おれはただ一人、この暗い土の中で死んでいくのだ。

 そう思うと、だんだん怒りが込み上げてきた。

 頭が熱くなる。

 怒りで頭が燃えているのだと思った。

 熱い、熱い、熱い。

 おれは叫んだ。生まれ初めて、心からの叫び声をあげた。このまま叫び続ければ、魂がどこか遠くに抜け飛んでいく気がしたが、止められなかった。

 頭の奥に爆発音が鳴る。

 まるで、脳天に稲妻が落ちたかのようだった。瞬間、頭の回路が、全く新しいものに書き換えられていくような感覚を覚えた。

 ヘッドライトの電池が切れる。

 圧倒的な闇が完成する。

 おれは、そのとき、この世のものとは思えない美しい何かを見た。体の中が、言葉にできない感動に満たされた。

 あのときおれを満たした感動は、一体なんだったのだろう。今でも、ときどきそれを考える。

 神か?

 その神秘体験以来、おれは机の上で計算問題を解くように、淡々とトンネル掘りを進めることができた。一番難しい最後の工程ーートンネルを真上に四メートル掘る工程ーーも平然とこなした。地盤次第では、頭上の土砂が一気に崩落し、圧死の危険があったが、不思議と恐怖を感じなかった。

 トンネルを掘り遂げた瞬間のことは、今でも鮮明に覚えている。

 スコップを天井土に突き刺したとき、いつもと違う硬い感触を覚えた。土を払いのけると、コンクリートが露わになった。それは紛れもなく、トンネル出口として設定した用務員倉庫のコンクリート基礎の裏面だった。

 達成感が、全身を駆け抜ける。

 終わった。おれの役割はここまでだ。

 まだ、トンネルは開通していないが、どこからともなく、トンネルに空気が流れ込んできた。

 おれは深呼吸しながら、快い全能感に酔いしれた。

 こんな地獄のような苦行をやり遂げたのだ。今ならなんでもできる気がした。

 次の日の朝。トンネルが完成したことを、六つ上の兄、陸十郎に報告した。

 「マジかよ、お前……」とドン引きされた。まさか、本当に成し遂げるとは思ってもみなかったようだ。

「よくやった、陸都。今回ばかりは褒めてやる。もう、殺さねえから安心しな。ていうか、お前ーー」

 陸十郎が少し怯えたように、おれの目を見つめた。

「どうしたんだよ、その目?」

「目?」

「いや、なんでもねぇ。たぶん、俺の気のせいだ。お前の目が一瞬、水色に見えた」

 この頃からよく、「目が変わった」と言われるようになった。

 正直、自分ではよくわからなかった。鏡で何度も確認したが、いつもと同じ顔をした自分が、そこには映っていた。

 しかし、頭の中身は刷新されていた。

 あの神秘体験以来、おれはとある特殊能力に目覚めていた。それは、見たもの全てを記憶できる能力だ。この頃から、目の前で起こった出来事を全て、記憶の底から引っ張り出せるようになった。

「陸都、特別に脱獄の仲間に入れてやる。大雨が降ったら、ここを出るぞ。準備しとけ」

「え? 本当? おれも行っていいの?」

「ああ」と兄が頷く。

 おれはまだ兄が信じられなかった。この残虐な兄のことだから、何か裏があるような気がしてならない。

「そういえば、兄さん。トンネルの出口のコンクリート基礎はどうするの? 塞がったままだけど」

「それは心配ねえ。ぶっ壊す道具は手配済みだ」



 当時、おれが囚われていたのは『勉強殿』という隔離施設だ。これは、おれの魔親である大金丸大陸が所有する別荘の一つであり、その目的は、テストの点数が芳しくない大金丸家の子供を、鍛え直すことであった。

 おれは全国小学生模試の結果が振るわず、五年生になったばかりの時に、小学校通学を魔親に禁止され、この勉強殿に監禁された。小学生でこの施設行きを喰らったのは、おれが初めのようだった。

 おれがいた頃の勉強殿には、三十人前後の『落ちこぼれ』た兄姉がいた。いろんな年代の者がいたが、十八歳から三十五歳の者が大半を占めていたように思う。

 おれたち兄弟は、毎日、魔親に雇われた暴力家庭教師から、厳しい勉強指導を受けた。鞭やゴム棒で身体を打たれるのは良い方で、あまりにも成長の見込みがない兄弟ーー特に大学受験に失敗し何年も浪人している兄弟ーーに対しては、スマートドラッグの過剰投与が行われた。これは、精神崩壊のリスクと引き換えに、子供に限界突破を促す、いわば最終手段だった。その成功率は一説では一%にも満たないという。残りの九十九%の子供は、『勉強廃人』と化し、やがて死ぬ。おれが在籍した一年と二ヶ月の間だけでも、七人の兄姉が、それで自ら命を絶った。

 おれの魔親に限らず、現代の魔親達は、自分の子供が死ぬのを、なんとも思っていない。奴らにとって、子供とは、自分の野望を実現するための道具にすぎなかった。

 金さえ払えば、いくらでも子供をつくれる時代である。魔親たちは各々のMP(マネーパワー)を存分に振るい、まるでアンドロイドを作るかのように、子供を生産し続けていた。おれの魔親の場合は、とある民間交配センターに、多額の金と精子を送ることで、自分の遺伝子を有した子供を調達しているようだった。

 現代の魔親達の生きる目的の一つは、自分の子供を一人でも多く、『超人大学』をはじめとした世界の難関大学に合格させ、ゆくゆくは、世界を牛耳る多国籍企業NOAHに入社させることだ。NOAHは不老不死研究や、異星移住計画を推し進めおり、子供が社員になれば、魔親もその恩恵を受けられる。NOAHのトップ達は「我々の舟に乗れるのは優秀なオーガニック人間(遺伝子を人工的に操作されずに産まれてきた人間)とその家族のみだ」ということを公言している。魔親たちの誰もが、NOAHの宇宙船に乗り、汚染された地球を脱出し、どこかの異星で永遠に生きることを熱望していた。

 もちろん、舟には定員がある。さらに現代は超多産社会であり、かつてないほどの受験戦争が勃発していた。現代の魔親たちは、狭き門の向こうに子供を通すために、人類の歴史上、かつてないほど、子供教育に熱を注いでいた。



 脱獄決行日になった。

 大雨が降っていた。風もあり、樹木が物凄い音をたてて揺れている。

 深夜一時。おれはトイレの窓から、外に抜け出した。集合場所であるトイレ裏の屋根下で待っていると、続々と脱獄仲間が現れた。おれと陸十郎の他に仲間は四人いた。浪人中の兄姉が三人。それから、陸十郎が仲間に引き込んだ元家庭教師の中年女性が一人。彼女は車を調達し、おれたちを遠くに逃す役割を担っていた。既に勉強殿外の合流ポイントで待機しているらしい。

「よし、全員そろったな。さっさと、こんな、クソみたいな場所から、おさらばするぞ」

 陸十郎の顔が、緊張のあまり蒼白だったのを、今でもよく覚えている。無理もないことだ。脱獄に失敗すれば、どんな目に遭わされるかわかったものではない。

 おれたちは勉強殿の庭園を、ずぶ濡れになりながら走り始めた。

 勉強殿は、現代的な武家屋敷とでも表現できそうな作りだった。四角いコンクリート建築が、複数の木造渡り廊下により繋がれている。建物の狭間や周囲には広い庭園があり、敷地は土壁風の塗装が施されたコンクリート外塀により囲まれている。外塀の四隅には、監視塔が建設されており、塔上には二十四時間体制で警備員が常駐していた。

 サーチライトが、庭園を往来する。

 その光に照らされれば、アウトだ。

 兄たちはビビりまくっていた。おれはトンネルを掘る為に、何度も通った道なので、もはや夜の散歩気分だった。先導する役を兄達に買って出たが、

「調子こくなよ、ガキが」

 と、プライドの高い陸十郎にキレられた。

 おれたちが向かった場所は、監視塔の足元にある物置建屋だった。ここには、広大な庭を手入れするための諸機材・車両が、格納されている。倉庫奥には古風の日本家屋が隣接されており、床下スペースに潜ることができた。そこに、おれが八ヶ月の歳月を費やして完成したトンネルがある。

 トンネルの暗闇を見るなり、兄達は恐れ慄いた。

「マジかよ? こんなとこに入るのか?」

「おい、陸都。崩落しねぇんだろうな?」

 おれは「うん」と答えた。もちろん、そんな保障はないが、そう答えないと殺される。

「ええい! もう、行くしかねぇ! そうだろうが!?」

 陸十郎が覚悟を決める。

「まずは、出口のコンクリをぶち抜くぞ。道具をよこせ」

 一番年上の兄が、そのために調達した道具を、陸十郎に渡す。ハンマードリルと油圧ジャッキとノコギリ。どうやって勉強殿に持ち込んだのかは謎だったが、おそらく、陸十郎が取り込んだ家庭教師の仕業かと思われた。

 まずは三人でトンネルの奥へと入った。おれと陸十郎と、もう一人の兄。手分けして道具を運搬する。

 兄たちは、トンネルの狭さに文句を言った。

「もっと大きくできなかったのかよ」と何度も毒づく。

 それでも、途中でつっかえることはなかった。トンネルの水平方向を進み切り、おれが適当な部材で作った梯子を登り、末端部分に到達する。あとは出口を塞ぐ、コンクリート基礎に穴を開けるだけだ。

「よし、いくぞ」

 陸十郎は気合を入れ、ハンマードリルを、頭上のコンクリート基礎に押し当てた。

 大きな破壊音が鳴る。ハンマードリルは思いのほか大きな音がした。 

「クソ! この音、大きすぎるだろ! 大丈夫かよ!?」

 陸十郎の手が止まる。それから、しばらく動かなくなった。だが、最終的には、「もうやるしかねぇ」と覚悟を決めた。

「俺はこんなところで死ぬわけにはいかねぇんだ」

 陸十郎は穴開け作業を再開した。表面に複数の穴を開けていく。コンクリート基礎の強度を弱める為だ。次に、コンクリート表面にできた窪みと、地面につくった棚空間に、油圧ジャッキを挟み込み、コンクリート基礎を押し上げ、破壊した。

「よし。ノコギリをよこせ」

 最後に、ノコギリで鉄筋を切断し、人が通れるスペースを確保する。

 無事、脱獄者全員が用務員倉庫に上がることができた。

 あとはここから逃げるのみだ。

 陸十郎が倉庫のドアを開けた。激しい雨音が室内に入り込んでくる。

 おれたちは闇の中へと走り出した。

 ここは監視塔の足元である。警備員がこちらを見ないかは賭けだった。警備員の意識は、勉強殿の敷地内に割かれているはずなので、見つかる可能性は低い、というのが陸十郎の読みだった。

 必死に走った。

 勉強殿のすぐ横にある茂みを抜け、付近の小川に着水したとき、おれたちは自由の雄叫びを上げた。

 雨が心地よかった。 

 両腕を上げ、全身で雨粒を浴びた。



 しかし、最終的に脱獄は失敗した。

 勉強殿を出た後は、外で待機していた家庭教師の車に乗り込み、できるだけ遠くへ逃げた。向かう場所は、四国地方の山奥にある小さな自治区だった。二つほどの県境を跨いだところで、魔親の息のかかった警察に捕まった。おそらく、AI顔認証カメラに誰かの顔が映ってしまったのだろう。すぐに位置が特定され、パトカーに取り囲まれた。

 おれたちは、地方の警察署で、勉強殿の警備員が迎えにくるのを待った。兄達は全員、死人のような顔をしていた。一緒にいると、息が詰まりそうだった。おれはトイレに立った。監視役の警察官が一人同行してきた。

 その人が、その後のおれの人生を大きく変えた。

「諦めてはいけない」と囁きかけ、一枚の紙切れを渡してきたのだ。

 紙には電話番号が書かれていた。

 それから、警察官は正体をおれに明かした。まるで奇跡のような巡り合わせに、おれは全身を震わせ、歓喜した。

 勉強殿に連れ戻されてから間も無く、脱獄を企てた兄たちは全員死んだ。スマートドラッグを過剰摂取させられ、勉強廃人と化し、自死に追い込まれた。

 おれはトンネル掘削中に獲得した『超記憶能力』を活かして、魔親が望む超優良児に変身した。テストでオール百点を取り、他の優秀な兄たち同様、全寮制超進学中学校に通うことを許可された。そこでおれは、勉強無双した。特待生認定を受け、好きな趣味に興じる自由を与えられた。おれはラノベや漫画(発禁処分を受けた物も含めて)を浴びるように読んだ。それから、アニメやゲームにどハマりし、作中のヒロイン達に本気で恋をした。

 おれは何不自由のない中学生生活を勝ち取った。

 周りの同級生や先生達からは絶えず羨望の目で見られた。校長からは「我が校始まって以来の天才」と称賛され、胸像をつくらせてほしいと言われた。魔親からは「大金丸家の最高傑作」と認められ、

「お前は、間違いなくNOAHの方舟に乗船できる逸材だ。本当にお前を生み出してよかった」

 と、褒められまくった。

 たしかに、おれの超記憶能力を駆使すれば、それも容易いだろう。中学三年の時点で、超人大学の合格判定は既に『A』を獲得している。さらに、超記憶脳の副産物なのか、元々良かった運動神経がさらに向上し、武術の成績も超大生並みになった。それにより、超大一回生時に行われる兵隊実習や、卒業時の戦闘術試験など、『武系試験』を突破する目処もたった。この調子なら、死人が出るらしいNOAHの採用試験も難なく突破できるに違いない。なんなら、高校をすっ飛ばして、すぐに超大に飛び入学しても、全ての難関試験を突破できそうな気がした。もっとも、現代の超難関大学は飛び級を禁止しているので、実際にはできないが。

 そんなわけで、おれは魔親から、大きな大きな期待をかけられている。

 そして、おれはその期待を裏切ろうと考えていた。

 脱獄することによって。

 それが何よりの、復讐になると思ったからだ。

 奴が望む、人生ルートから外れることで、おれは父親殺しをする。

 今から、魔親が吠えずらをかくのが楽しみで仕方なかった。

 しかし、中学生での脱獄は叶わなかった。おれが通った中学校は都会の真ん中にあり、一歩でも外に出れば、AI顔認証監視カメラに捕捉されてしまうことがはっきりしていたからだ。

 そこで高校は、田舎の超進学高校にしようと決めた。

 田舎にはAI顔認証監視カメラが及ばない領域がある。そして、ちょうどぴったりの高校があった。魔親も「あそこは素晴らしい高校だ」と、許可を出してくれた。 

 そして、現在。

 中学校の卒業式を終えたおれは、高校の警備員に身柄を拘束され、移送車に詰め込まれた。三時間ほど移動し、とある停留所で降ろされる。

 そこには、おれと同じ高校に合格した、同級生達がいた。

 やがて、大型バスが到着し、乗り込む。

 おれの人生二度目の脱獄計画が始まろうとしていた。

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