奇跡の続き

@tyma_kfpg

第1話

懐中電灯の明かりを頼りに地面に段ボールを敷いて寝転がり、毛布にくるまる。

セントラルから遠く離れたこの森の外れには人工物の明かりはなく、星がよく見える。

尤も、ここジャパリパークではオーロラすらも見えるらしいから、眼前に広がるこの星空が本物なのか、それともサンドスターの幻影なのか、僕には判断がつかないけれど。

「おや、園長さんは夜更かしかい?」

テントの方からやってきたのはフェネックだった。

「うん、今日は流星群が見れるって聞いてね」

「ふーん。せっかくだから私も見ていこうかな」

「それならバスから段ボールを持ってきて地面に敷くといい。地面に直接寝転ぶと冷えるからね。長居するつもりなら毛布も」

「ありがとー、そうするよ」


戻ってきたフェネックが、僕の左に段ボールを敷いて横になり、同じように星空を見上げる。

「流れ星はもう見えるの?」

「うん、もういつでも見えるはずだよ。まあ、流星群って言っても、流れ星は一分に一個見えるかどうかくらいだから、じっと空を見てないと気づけないかも」

「やー、流れ星を見るのも大変なんだねー」

「そうだね」


今回の流星群は放射点が高く、今日は半月ももう沈んだ。観測には絶好の条件が揃っている。実際、フェネックが戻ってくるまでのほんの数分でいくつか流れ星を見ることができた。

けれど、もともと星に特別な関心があるわけではない僕の関心は、彼女と一対一で会話をする機会ができたことの方に向いていた。


「ずっと気になってたことがあるんだ」

空を見上げたまま言う。

「君はあの時、何を言いかけたんだろうって」

「あの時?」

「シーサーたちから塩をもらって、それを使うかどうか決めきれないサーバルに対して、君は何かを言おうとして、結局やめた」

「やー、どうだったかなー。そんな前のことはもう覚えてないねー」

「そっか。まあそれもそうだね」

フェネックは普段から飄々とした態度で、何を考えているのかわからないところがあるけれど、今の返事が嘘なことくらいは僕にもわかった。


また一つ、星が流れる。

「園長さんは流れ星に何かお願いした?」

「『パークの皆が、仲良く平和に暮らせますように』って」

「流れ星への願いって、三回繰り返すんだよね? そんなに長くて言える?」

「いや。でもこういうのって、流れ星にお願いするというよりも、言葉にして決意することが大事でしょ」

「初詣の願掛けはそうかもしれないけど、流れ星へのお願いもそうなのかなー?」

「よくわかんないけど、そういうものじゃない?」

「まーそういうところは園長さんらしいよ」

「君は?」

「んー、世界平和かなー」

「それなら文字数も少ないし三回言えるかな」

「何も考えてなかっただけなんだけどねー」


しばらく二人で黙って夜空を見上げていた。夜空に瞬く星々の間を流れ星が通り過ぎていく。

「これは独り言なんだけど」

空を見上げたまま、ゆっくりと言葉を紡ぐ。考えていたことの全てが伝わるように。

「あの時、君が何を言いかけたのか、僕はずっと気になってたんだ。セーバルをどうするか、サーバルに判断を任せた僕たちに対して、君がかけようとして結局やめた説得の言葉がなんだったのか」

横目でフェネックの方を見るが、彼女は変わらず静かに空を見上げていて、僕の話を聞いているのかどうかよくわからない。

「君が用意していた説得の材料がなんだったのか、僕にはいくら考えてもわからなかったんだ。だから気になった。君が気づいている何かを、僕たちは見落としてるんじゃないかって。

 君が言おうとしていたことがわかったのは、恥ずかしながらその現実を自分の目で見てからだった。女王がセルハーモニーのためにセーバルから“特別”を取り上げて、セーバルがただのセルリアンになってしまいそうな状況を見てからだったよ。

 セーバルが女王の下にたどり着いてしまえば、女王はセーバルから“特別”を取り上げてセーバルは消滅する。セーバルを救うには、セーバルから“特別”を取り返さず、しかも女王のところにはたどり着かせない必要があった。……けれどそれは、残された僅かな時間では単にセーバルから“特別”を取り返してしまうよりも難しかった。

 僕たちみんなが、心の中ではセーバルに消えてほしくないと思っていたせいで、その選択肢がどれだけ困難なものであるかに気づいてなかったんだ。

 『セーバルが女王に“特別”を全て奪われてただのセルリアンになってしまうくらいなら、セーバルを最後までセーバルとしてサーバルに看取らせたかった』。それが君が、セーバルのために……、いやサーバルのためにかな、出した結論であり、あのとき僕たちの説得に使おうとしていた言葉だった。

 ……どうかな? あってる?」

いままでずっと考えていたことだったけれど、いざ言葉にするにはとても長い時間がかかった。

「独り言じゃなかったの?」

「そのつもりだったんだけど、やっぱり答えを知りたくなっちゃって。他に誰も聞いてない今なら、教えてくれるんじゃないかなって」

言いながらフェネックの方を向くと、彼女はいつの間にかこちらを向いており、目が合った。

「なんでそんなことを知りたいの?」

「君が考えてることを知りたいんだ」

君のことが好きだから……と続ける勇気は僕にはなかった。

「僕よりずっと賢い君が何を考えてるのか、興味があるんだ」

説得力はいまいちかもしれないが、全くの嘘というわけでもなく、無理のない理由だと思う。即席のものとしては上出来だろう。

「賢い……賢いかぁ……」

そう思ったけれど、彼女にはいまいち受けが悪いようだった。フェネックはつぶやきながら僕から視線を外してまた空を見上げる。

「それは買いかぶりってやつだねー。もし本当に……、本当に私が賢いなら、セーバルから“特別”を取り返さずにすむ方法を見つけることだってできたはずだし、なにより……園長さんとサーバルのキズナが起こす奇跡を信じられたはずだよ」

珍しく卑屈なことをいう彼女に驚く。

「やー、まあ、いまの長広舌で園長さんが私のことをよく考えてくれてるってことはわかったよ」

「そりゃ、まあ、園長だからね」

「せっかくもう一回チャンスをあげたんだけどなー」

「……。どうにも本心を言葉にすることには臆病でね」

「その割にはわかりやすいけどね」

……やっぱり舌戦では勝てない。

「それで、僕の推理が正しかったかどうかはやっぱり教えてもらえないのかな」

「んー……」


僕の視線を意に介していないかのように、フェネックは黙ったまま空を見上げている。

そのまま果てしなく長い時間が、あるいは、流れ星が光って消えるほんの一瞬が過ぎた後、彼女は再び口を開いた。

「セーバルを助けることができるのか、サーバルたちよりも私の方が現実をシビアに見てたっていうのはたぶん正しいと思う。

 正直に言うと、あの時ギンギツネやトキにさえ、私の言おうとしていたことが全然伝わってなかったのはショックだった。

 だけどいまこうして、あの時の私が『言わなかったこと』が、誰かに伝わったと分かったのは本当に嬉しいよ。たとえ、もうその言葉が意味を成さないくらい後になってしまってからだとしても」

「つまり、僕の推理は正しかったってことかな」

「そうだね」

沈黙をほんの少し挟んで、彼女は再び話し始めた。

「アニマルガールになって、私の思っていることを、園長さんやアライさんやみんなに言葉で伝えることができるようになった。

 言葉を使ったやりとりはきっと、鳴き声を使い分けるコミュニケーションよりもずっと繊細だけど、それでもまだ、思ってることの全部を伝えるには足りないんだよ。

 あの時私は、自分が考えてることをどうサーバルに伝えようか考えて、うまく伝える自信がなくて何も言えなかった。伝え方を間違えると、たぶんサーバルを傷つけてしまうから。

 それでもサーバルに伝えるべきだったんじゃないかって後になっても悩んで。本当にこれで良かったのかって。

 そんな私を救ってくれたのは、私が考えていることをなにも理解してないアライさんだった」

フェネックはふっと笑う。

「アライさんに言われたんだ。悩むことも大事だけど、選んでしまったなら、あとはもう行動するしかない、って」

「蒟蒻問答?」

「怒るよ」

「ごめん」

「だからきっと、私の隣に必要なのは……」

ああ……。

「私の言葉を本当に理解しようとしてくれる誰かよりも、私の言葉を理解なんかしなくても、それでも、未来を目指して私の手を引っ張ってくれる誰かなんだと思う」

……僕は何も言わなかったのに、答えが聞けてしまったのかな。

深呼吸をする。……もとより、察しの悪い僕でも彼女の本心には薄々気づいていた。


「だから私は、園長さんには期待してるんだよ。

 ガイドさんがいて、私やアライさんやサーバル、みんながいて、そして……セーバルがいるこの大団円には、園長さんがいなかったらたどり着けなかった。

 ギンギツネが信じた、そして私が信じきれなかった、園長さんとサーバルのキズナが起こした奇跡。その奇跡から続いてる今のこのパークを守るために、園長さんにはこれからも頑張ってもらわないとね」

流れ星が流れる。

「それはきっと、星に祈るだけじゃなく……、私たちから手を伸ばさないと届かないものだから」

彼女が伸ばした手を僕は握り返す。今この瞬間を導く幾多の奇跡に思いを馳せながら。

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