第5話 ぼくから彼女は逃げ出したんです
20世紀のいつか、雅子大学3、明彦大学2
うちが明彦を連れて行ったんは、神楽坂を十分くらい登ったとこにある、一見普通の居酒屋。うちの部屋から歩いて5分。壁中に「ししゃも 250円」とかメニューがベタベタ貼ってあるようなとこ。やけど、かかっとるBGMはジャズがメイン。「ここの店長、ジャズ好きなんよ」って明彦に言うた。うちら、ちょうど空いてたさかい、掘りごたつ形式のテーブル席に向かい合って座った。
店員さんがお通し持ってきて、うちら適当にビールとかおつまみ注文した。すぐ料理とビール運ばれてきた。
「じゃあ、うちの大好きな明彦に乾杯」
「ぼくもぼくの大好きな雅子に乾杯」
グラス合わせた。
「なぁ、今のうちの気持ち、わかる?」って明彦に聞いた。ずるいうち、上目遣いしてる。これ、万里子みたいやん?
「ハイ?どういう気持ちですか?」
「なあ、もう口から『気になる、気になる、気になる、気になる、気になる、気になるぅ!』いう言葉が溢れ出しそうなの」
「何がそんなに気になるの?」
「明彦、『今年の2月に別れてしもたんですよ。その話は…その内します』って真面目な顔で言うたやろ。立ち入って聞いてええような感じやなかった。でも、気になる。だって、明彦は覚えてへんかもしれへんけど、うち、去年、キミとキミの彼女見てんねん。去年の合格発表の日。うちが学科の履修科目の提出で大学行った時。バレンタインデーやったから覚えてる。2月14日。スケッチブック抱えてて、男の子と女の子のカップルとすれ違った。その男の子が手袋落とした。手袋うちが拾うて彼に渡した。それがキミやった」
「手袋を拾ってくれた女性は、黒とオレンジの定番マルマンのスケッチブックを胸に抱えていた。Masako Komori とオレンジの部分に黒のマジックで書いてあった。美術部なのかな?とその男の子は思った。拾ってくれた女性に『ありがとうございます』と言って手袋を受け取った。女性は『どういたしまして。もう、落とさんといてな』と言って頭の上で手をヒラヒラさせて行ってしまった、そういうことでしたね?」
「え?なぁ~んだ。うちのこと、覚えててくれてたん?」
「ええ、スケッチブックがポイントでした。理系の大学でスケッチブックを抱えているなんて、建築科か美術部関係かなって。だから、一瞬だったけど『Masako Komori』というサインが目についたんです。ぼくの彼女が『明彦の好みの女の子は見ちゃダメ!あの人、好みでしょ!髪型も雰囲気も私に似てたわ!ムカつく!』って言ったので、ますます記憶に残ってしまったようです。手の甲をすごくつねられて、『入学して彼女を見たら35メートル以内に近づいちゃダメ!』って言われました。それが今年の4月に美術部に行くと、その35メートル接近厳禁の女性が部室にいるじゃないですか。驚きましたけど、雅子がぼくのことを覚えていないようなので、その話はしなかったんです」
「ふ~ん。うちが明彦の好みなんや。あの子、顔、姿格好がうちに似てる。彼女、うちと同じショートボブで、白のとっくりセーターに黒のミニ、黒のタイツ、ネイビーブルーのダッフルコート着てた」
「よく覚えているなあ。でも、雅子はあの時、髪は染めてなかったですよね?」
「髪染めるんは不良!なんて古風なこと思てたけど、彼女見たら、あら?軽く茶髪にするのもありやん?思て、その後、この色になったん」
「そんなことがあるんですね。髪を染める雅子の動機が彼女だったなんて、不思議な縁だ。え~、その女の子が別れた彼女です。名前は仲里美姫、美しい姫と書きます。彼女が『私のことはヒメと呼んで』というのでヒメと呼んでました。高校の同期の友人の妹で、ヒメが小学校6年生、ぼくが中学校1年生からの付き合いで、合格発表の時は、彼女は高校2年生でした」
「あんな可愛い子と別れてしもたんや」
「ねえ、雅子、ヒメと雅子は顔と姿形が似てる。雅子が『あんな可愛い子』というと、雅子が自分をあんな可愛い子と言っているようなものですよ」
「……自画自賛?」
「ただ、雅子とヒメは外見は似てますが、性格、考え方はまったく違います」
「へぇ~、どこが違うん?」
「雅子は他人に依存するのが好きじゃない。男性に依存するのはまったく好きじゃない。ヒメは、自立を嫌って、ぼくに依存してました。その点が違います」
「あら、うちのことよう観察してくれてたんや?依存かぁ、うち、それはあかんわ。美術部の吉田万里子にはなれへんな」
「ああ、一時期、内藤さんと彼女は付き合ってましたね。あれはベタベタでした。でも、ヒメは万里子みたいなぶりっ子じゃないくて、性格は雅子みたいにハッキリしているけど、ワガママでツンツンしているくせにぼくに依存してたんです。別れたって言いましたが、正確にはぼくから彼女は逃げ出したんです」
「え?どないなこと?」
「長い話になるので、端折りますが。ぼくは親に無理を言って、実家から大学に通える距離なのに一人暮らしをしてます。部屋代と光熱費は自分でと思って、1年次はバイトばかり。ホテルのバーで早朝までとか。週3、4日。カメラマンのスタジオで助手のバイト、絵のアトリエで子供に絵を教える。それで、彼女にアパートの鍵を渡して、ぼくが忙しくない時は泊まっていいよって、彼女の両親の承諾も得て半同棲みたいにしてました」
「彼女、去年は高校3年生やろ?親もよう許すなぁ?」
「勉強が嫌いで、ワガママで依存的だから、彼女の両親はぼくをちょうどいいお目付け役兼家庭教師と思ったんじゃないですか。放っておくとどこかに飛んでいってしまうみたいな子ですから」
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