かぞく
「塵塚怪王くん、生まれてから今までどうやって暮らしてきたか、教えてもらってもいい?」
塵塚怪王は市松模様の着物の裾を両手でぎゅっと握って、誰もいないキッチンをぼんやり見つめて話し出した。金青の瞳に暗い色が差す。
「最初は……谷の底。塵と黒いヘドロの中。さっきみたいな、いい匂いはしない場所で気がついた」
塵塚怪王が生まれたのは、やはり犬鳴山の不法投棄の中だったようだ。どこかから捨てられ、きちんと最後まで処理されることなく山に放置された物たちは腐り果てた。さぞ捨てた人間への恨みを募らせただろう。
「僕はいらないってことと、僕を捨てた人間が憎いってことだけはわかってた」
付喪神が生まれた瞬間に、何を思うのが普通かは私にはわからない。でも、恨みだけが身体にある状態が健やかでないことは確かだ。
私はぎゅっと着物の端を握る小さな手を解いて、優しく握った。小さな手の平は手汗で湿っていた。
塵塚怪王は不思議そうに私を見上げて、どんな感じか試すように私の手を握り返す。私の手をふにふにと握る塵塚怪王はほかほかの子ども体温だ。
「山を歩くようになって、かまいたちを使えるのがわかって。他の付喪神に会ったときに、遊ぼうと思ってかまいたちを見せたんだ。そしたら、相手に当たって痛がって。やっぱり危険だから早く殺さないとって、お前なんかいらないって言われた」
常連の提灯三兄弟は、塵塚怪王の誕生自体を過敏に恐れていた。森に棲む付喪神たちも同じように怯えていたのだろう。塵塚怪王からのかまいたちに命の危機を感じてしまった。
塵塚怪王は付喪神の中でも特殊な生まれだ。周囲の過剰な恐れ。そして無知ゆえに暴力。
塵塚怪王が孤独になるのは自然な流れだった。こうして過去に存在した塵塚怪王は孤独と恨みを極め、厄災と呼ばれるほど暴れたのだとわかる。止め難い負の連鎖。
私は悲しい連鎖に顔をしかめて、塵塚怪王のほかほかの手を握った。この小さくて柔らかい手が厄災になるなんて嫌だと思った。
「山に入る人間が憎くて、追い出そうと思ったんだ。服を切って追い返そうとしたけど、あいつら何回でもやって来るからもっと腹が立って」
山に入る人間とは、不法投棄をする人間のことか。それとも役場の環境安全課の人間か。塵塚怪王には山を穢す人間と、山を守ろうとする人間の区別がないのかもしれない。そうなるはずだ。
彼は生まれてから誰にも、何も、教えてもらったことがないのだから。
ただ「僕はいらない」と「人間が憎い」が原動力。いい結果になるわけがなかった。
「人間嫌いだから、もっとかまいたちしてやろうと思って里に下りたんだ。そしたら僕と形が似てる人間がいる場所があって、僕も遊んでたら。みんな泣き始めて……煩いから山に帰った」
塵塚怪王の姿に似た幼い人間、つまり子どもがたくさんいる保育所で遊んでいたつもりが、かまいたちで怪我人を出してしまった。私は塵塚怪王の小さな手を両手で握って額に当てた。
額に熱さを感じて、目を瞑る。彼は不遇だ。彼の不遇を飲み込んだ私は顔を上げた。塵塚怪王の小さな頭を撫でる。
「塵塚怪王くん、今まで一人で寂しかったね」
「さび、しい……?」
「誰も側にいなくて、誰も遊んでくれなくて、とても寂しかったでしょう?」
金青の瞳が丸く大きく見開いて、感情と感覚を示す言葉を知った。
「……僕、さびしかった?」
彼は知らなかっただろうが、彼は孤独で、寂しかったはずだ。私が何度も彼の頭を撫でると、彼の大きな瞳に雫の膜が張る。
ぷっくりした頬にぼろりと落ちた大粒の涙に彼の孤独が詰まっていた。私は塵塚怪王を胸に抱き寄せて、背を撫でた。彼は抵抗せずに、私の腕の中へ静かに収まり、小さく震えた。幼子の涙が、ぽつりぽつりと私の胸を濡らす。
「君は一人ですごくがんばってきた。でももう大丈夫。私がいるからね。もう一人じゃないから」
塵塚怪王はぎゅうぎゅう私の胸に顔を押しつけて、ぐずぐず鼻音を立てた。ぽんぽんと背中をあやしながら、私はツクモ君の蔵面を見つめた。
「ツクモ君、あのね。塵塚怪王くんは私のドーナツが美味しいって言って、笑ってくれた。今は寂しいって泣いてる。塵塚怪王くんは豊かな情があるよ。人間を恨むだけの付喪神じゃないよね」
ツクモ君は両腕を着物の袖に突っ込んで憮然としていた。だが、塵塚怪王を私からひっぺがしたりはしなかった。ツクモ君も彼の事情を汲んでくれている。
「この子にものを正しく教える誰かが側にいたら、恨みを抑える術を学べたら。塵塚怪王くんは笑って暮らせるんじゃないかな」
私は塵塚怪王を胸に抱いたまま、ツクモ君を見つめる。ツクモ君の蔵面が私に向く。
「私、塵塚怪王くんを守ってあげたい。独りきりになった私に、ツクモ君がいてくれたように。独りきりの塵塚怪王くんには、私がいてあげたい。それがツクモ君からもらった恩へ報いることだと思うの。恩は返すだけじゃなくて繋いでいくものでしょ?だから、まーるいご縁になるんだよね」
私の話をツクモ君は静かに聞いてくれる。
「でも情けないことに、私ひとりの力じゃ塵塚怪王くんを守れない」
塵塚怪王が持つかまいたちの力はとても強い。彼を制御して、彼に力の使い方を教えてくれる役割の人が必要だ。そしてそれは、ツクモ君しかいない。ツクモ君が塵塚怪王の保護に協力してくれなければ、塵塚怪王はまた孤独へ逆戻りだ。
ツクモ君はスッと立ち上がって、私の方に迷いなく一歩二歩と詰めてきた。
「対価は必要だが?」
「もちろん、覚えてる!」
私がへへっと笑うと、ツクモ君は静かに頷いた。ツクモ君の手は迷いなく私の胸に収まっていた塵塚怪王の首根っこを摘まみ上げる。まだぐじぐじしゃくりを上げる塵塚怪王の首根っこを掴んで、目の高さまで持ち上げた。
「我は付喪神の王。付喪神からは顔ナシと呼ばれている。顔ナシ様と呼べ」
ツクモ君から明朗とした低い声が出た。
「塵塚怪王、お前に名をやろう」
「な?」
「チリと名付ける」
「ちり?」
こてんと首を傾けたのは塵塚怪王だけではない。私もだ。名前に何の意味があるのだろうか。二人で揃って首を傾げるのを、ツクモ君はしげしげと眺めてから続けた。
「名付けは眷属の証。チリを我の眷属とする。我の許可なく悪事は許さん。良いな」
ツクモ君はそれだけ言うと、ポイッと塵塚怪王、改め、チリくんを放り投げた。ナギ君も眷属を名乗っていた。チリくんにもナギ君と同じ立場をくれるということか。
投げられたチリくんは、市松模様の着物を靡かせてグリーンのソファに軽やかに着地した。
「けんぞくって、なに?」
チリくんの質問に、両腕を着物の袖に突っ込んで腕を組んだツクモ君は軽くため息をついた。そんなことも知らんのかと動作から聞こえた。
「……家族だ」
「かぞくってなに」
ツクモ君の蔵面が一旦、天井の梁を仰いでから、再びきょとんとするチリくんを見据えた。
「ずっと繋がっている、ということだ」
私は両手で口元を覆って、目を見開いた。孤独であることがチリくんを厄災へと進ませてしまう。それを阻止する家族宣言。ツクモ君の懐の深さに胸が震えた。
チリくんも大きな瞳をぱちくりして、身体中を自分でそわそわ撫でまわしてから私をふり返った。
「ゆいこ!僕、かぞくだって!」
「家族だよ!良かったね!もう寂しくないね!」
私はチリくんと両手を取り合って、ぴょんぴょんその場で跳び上がって喜んだ。ツクモ君のでっかい器に大歓喜だ。
「うん!ゆいこも家族!」
「ほんとだ!ツクモ君と私は家族だから、チリくんも家族だ!」
チリくんがヒシッと私の太ももに抱き付いてすりすりするので、私も彼の背をぽんぽんと叩いた。チリくんが私の太ももに顔をすりすりし続ける。
「ゆいこと顔ナシ様と、僕。かぞくね!」
太ももに抱き付いたチリくんが、これ以上ないという全力の笑顔で私を見上げる。見目が特上の可愛らしいチリくんが笑う、その愛らしさに胸がきゅきゅっと鳴いてしまう。
「これからよろしくね!」
「やったぁあーー!」
びょんびょん飛び回るチリくんのはしゃぎっぷりは収まり知らずで。三人で自宅側に戻りると、チリくんはさらに喜んで騒いだ。あんまり騒ぐので、須らくツクモ君の一言で黙らされた。
「餓鬼は寝ろ」
即寝である。
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