交渉

 広美さん主催のおば様集会が解散したその夜。閉店した店で私とツクモ君がコーヒーを飲んでいると、カラカラと店の引き戸が開いた。


「お久しぶりでっす、結子ちゃん!」


 元気ににょろっと店内に飛び込んで来たのは、草薙の剣の付喪神、赤蛇のナギ君だった。玄関からやってくるのは珍しいが、私はパッと明るく笑った。


「ナギ君、いらっしゃい!本当に久しぶり!元気だった?」


 にょろにょろと床を這っていたかと思ったら、ナギ君はすぐにツクモ君の腕に巻き付いていた。


「催事が終わるまでマジ出禁だったんですよ?!信じられなくないですか?!顔ナシ様は何もしないくせに全部押し付けるわ、それに自分に会えなくて寂しいとかないんですか!」

「無い」

「知ってましたー!せめて催事お疲れ様とか、大儀だったとか褒め言葉とかもらえません?!」

「今宵の夕飯はお前が作るのだろうな?」

「ンー!通常運転!作らせて頂きまっす!」


 大きく裂けた口とグリーンの瞳でけらけら笑ったナギ君がやってくると、一気に店内が明るくなった。やんやと文句を言いながらツクモ君の腕に巻き付いて、ツクモ君もそれを許すのだから、二人のやり取りは微笑ましい。


「うまいでっす!結子ちゃん腕上げましたね?!」

「ありがとう、ナギ君!」


 ナギ君がいない間にできた新作米粉ドーナツを振舞ったあと、カウンター席にとぐろを巻いたナギ君が一つゲップをしてから神妙に話し出した。


「実はさっき、店の前で神ノ郷村の付喪神たちに囲まれたんですよ」

「あ、そういえば玄関から来るの珍しいと思ってた。神ノ郷村の付喪神たちって?」

「犬鳴山に棲んでる付喪神だって言ってました」


 ナギ君が彼らの容姿の特徴を述べると私には心当たりがある付喪神ばかりだった。みんな何度かツクモ君に挨拶に来ている。持ち主のいない捨てられた付喪神たちは、犬鳴山の中にいることが多いのだ。


「そいつらが言ってたんですけど……」


 ナギ君は裂けた口の周りを細長い舌でぺろりと舐めて、いつもの明るい声より数段渋い声を出した。


「塵塚怪王が山で暴れていて、かまいたちを操って襲ってくるって」

「あ……」


 ナギ君の報告に、私は驚くよりも腑に落ちた。やっぱり環境安全課の人たちの服を切っているのも塵塚怪王で間違いなさそうだ。


「新参者のくせに礼儀なく、暴れて。山の付喪神たちは怯えてるって言ってました。自分に話しかけてきた付喪神の一人は、装飾が少し欠けてて。塵塚怪王に傷つけられたって言ってました」

「そんな……」


 私の眉尻はずんと下がるが、ツクモ君は聞いているのか聞いていないのかわからないくらい無反応だ。ナギ君がにょろりと動き出してツクモ君の首に巻きついた。


「顔ナシ様に助けて欲しいって言ってたんで、自分が仲介してやるって言ってきたんですよ。顔ナシ様のことみんなマジでコワイって思ってますからね!実際コワイ!」


 山に棲む付喪神たちが顔を見せないツクモ君より、人当たりの良いナギ君に頼りたくなるのはわかる。ツクモ君ならその塵塚怪王にも太刀打ちできそうだ。


「塵塚怪王ななんてパパッとやっちゃってくださいよ!顔ナシ様!」

「否」


 ツクモ君の神速な返答に、ナギ君が固まる。私も目をぱちくりさせた。放心からすぐ復帰したナギ君がツクモ君の首からにょろっと下りる。カウンターの上でとぐろを巻いたナギ君は私に向かって大きな声を出した。 


「助けてください結子ちゃん!自分、みんなに任せとけって言っちゃったんですよ!」

「え、わ、私?」

「自分すぐ帰らないといけないんでっす!顔ナシ様が働かない分は、全部、自分が担ってるんですよ?!顔ナシ様が住んでる村の困りごととか、顔ナシ様が解決すべきじゃないですかね?!」


 ナギ君がカウンターを乗り越えそうな勢いで捲し立てる。自分のことくらいは自分でというナギ君の主張に、私はこくこく頷いた。


「えっと付喪神たちはドーナツを食べてくれたご縁があるし。それに私の住んでる村のことだから、私もできることはしたいよ。けど……聞くからに強そうな塵塚怪王に対して、私ができることなんてある?」

「ありまっす!」


 ナギ君が裂けた口で端的に言った。


「結子ちゃんが顔ナシ様に、塵塚怪王を滅するようお願いしてください!」

「ツクモ君に、私が?」


 ナギ君が裂けた口をゆっくりと私の方に傾けた。内緒話でもするような仕草に、私も身体を傾けて裂けた口に耳を寄せた。


「顔ナシ様って、マジ何もしないんですよ」


 ナギ君の声は真剣だ。


「戦が起ころうが崇められようが、たとえ赤子が目の前で瀕死だろうがジッとそこにいるだけ。顔ナシ様は動かざるが天のごとしってのが自分たち付喪神の通説です」


 ナギ君から聞くツクモ君の話はまるで知らない人のことのようだった。ツクモ君は口数は多くない。だが、毎日雑煮をつくって夕飯の支度をしてくれて、浴衣の着付けもしてくれて、ピンチから連れ出してくれて、忘れ物だって取って来てくれる。


「それはどこの顔ナシ様?ツクモ君以外にも顔ナシ様がいるんじゃ……」

「ブッふ」


 ツクモ君は肩を揺らして笑うが、ナギ君は顎が外れたかのように口をあんぐりした。ナギ君は顎を戻して私を諭すように語った。


「結子ちゃん、顔ナシ様の魅了は世の理を全て屈服させるんですよ?」


 ツクモ君が相手を支配する力を、付喪神たちは「魅了」と呼ぶらしい。たしかに魅了だ。ツクモ君の顔を見るだけで己が無くなりそうになる。


「顔ナシ様自身も強過ぎる魅了の能力がうっかり発動しないように、常に顔を隠してます。そこまで強大な魅了を持つ顔ナシ様が二人もいたら、世はジエンドなんですよ結子ちゃん!」

「何言ってもダメなら、私が言ってもダメじゃ……」


 ナギ君は大きく頷いた。


「通常ならそう!でも結子ちゃんなら交渉イケまっす!」


 ばちんとウインクするナギ君に、私は首を傾げる。


「さあさあ、お願いしますよ結子ちゃん!」


 ツクモ君には何度もお願いしたことがある。横にいてもいいかとか、ドーナツ食べてくれるとか、一緒にたこ焼きパーティしようとか。要望が通るかはわからないが、言うくらいなら簡単だ。


 ナギ君に期待の目を向けられた私は、椅子に座るツクモ君の前に立つ。ツクモ君が私を蔵面で見上げた。私が口火を切ろうとすると、ツクモ君が先手を打つ。


「結子、我は結子自身に危害が及ぶなら対価など求めぬ。祝いにも対価など発生せぬ。だが結子が、ただ他者のための願いを我にかけるならば、それ相応の対価というものが発生して然りだが?」

「ほうら見ましたか結子ちゃん。さっきまでバッサリだったのに即行、交渉仕掛けてきますよ。この扱いの差!」


 ナギ君がニヤニヤ笑いながら尾っぽの先をぺたんぺたんと揺らす。塵塚怪王を何とかしてなんて大きなお願いをするならば、それなりにツクモ君の要望を飲む必要があるのはわかる。


「ツクモ君が望む、対価って何?」

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