第五章 仲冬、神ノ郷村のかまいたち
ご縁ドーナツ
師走を迎えた冬日和の昼下がり。稲穂が刈り取られた空っぽの田んぼに初霜が下りた。木枯らしが吹く外の風と違い、小さなドーナツ屋さんの中には温かい灯りが満ちていた。
無垢材のテーブル席とソファ席は、近所のおば様たちがお茶会の一席として利用してくれている。よもやま話に花が咲いて、どっと沸いた笑いが高い天井に響き、店がざわめく。
美味しいもんフェスティバルが終わってから、小さなドーナツ屋さんの様相は一変した。
平日の昼でも、席が埋まる日が続くようになったのだ。カウンター奥のツクモ君専用席にも人が座ろうとすることが増えたので、私は慌てて予約席の札を作ってツクモ君の前に置いた。
妙齢のおじ様がツクモ君の上に座ろうとした時に、ツクモ君が蔵面に右手をかけたので私は肝を冷やした。ふっ飛ばしたらどうしようかと思った。
ツクモ君が人に危害を加えるところを見たことはない。だが、やりかねない雰囲気がある。
おば様たちの集まりから席を立った北川奥様、広美さんが、わざわざカウンター前に来て席に座った。
「結子ちゃん、もう一個、ご縁ドーナツもらおか」
「はい、広美さん」
広美さんの注文を受けて、私は冬の新作「ご縁ドーナツ」を揚げ始めた。趣味でよく作っていたころんころんのプレーン団子ドーナツを八つ、輪のように繋げて円にした形。
まーるいドーナツ、まーるいご縁を体現した「ご縁ドーナツ」はこの店の芯だ。
松浪姉さんからは「素材の味、米粉のプレーンな甘さ一本で研究してきた結子ちゃんの、味と想いが成熟した証みたいなドーナツやな。看板商品になるわ」と多分なお墨付きをもらった。
ふわもち度をさらに高めて。繋げて。どこを食べてももっちりと柔くて黄金色の甘さ。販売してすぐに、大人からも子どもからも好評をいただいた。
ころころしてモチモチで丸々の生地が繋がり合う様が愛しいご縁ドーナツ。米ぬか油に浮かべながら広美さんに微笑む。
「ご贔屓にしてもらってありがとうございます」
「ええんよ。この店、雰囲気良し、結子ちゃん礼儀正しくて可愛くて良し、ドーナツ、コーヒー最高品質。整ってるわ。こんな田舎にええ店できたってみんな喜んでるで」
私は絶賛を受けて解ける頬で会釈しながら、ご縁ドーナツを箸でつつく。広美さんがカカオニブドーナツを百個配ってくれたところ、村での知名度が一気に上がった。
後で知ったのだが、広美さんは神ノ郷村の大きな地主だという。
旦那さんの環境安全課の北川さんより、さらにスピーカーとして権力を持っているのは、広美さんの方だったのだ。小さな村の中ではいまだに地主が幅を利かせる。
村の有力者に商品を気に入ってもらった威力をヒシヒシ感じていた。私はドーナツを油から引き揚げながら広美さんに問いかける。
「私とお話しくださるのは嬉しいですが、お連れ様はよろしいのですか」
「みんな誰かと喋りたいだけやねん。私は『場』の提供者なだけや」
「『場』ですか?」
「個人個人な時代やろ?なんでもネットでできて、誰の顔を見んでも過ごせる。でもやっぱり皆、顔を見て話したいんや。昔は自然とあった場がなくて、孤独になるもんもおる。私はそういうの見逃せん。人を繋ぐのは古い地主の役割や。新米ママの集いとか色んな企画もやってんねん。またここでお茶会させてな」
「ぜひ、協力させてください」
広美さんのまるい笑顔にほかほかと身体が温まった。まーるいドーナツが、広美さんまで縁を結んでくれた。
広美さんが連れて来てくれたお客様がまた、誰かを結んでいく。そうしてまーるいドーナツ、まーるいご縁は続いていくのだろう。
「せっかく外から神ノ郷村に来てくれた結子ちゃんを、場に引き込むまで時間かかってごめんやで。一人で辛かったんちゃうか?」
広美さんの包容力に満ちた言葉に、私は思わず目の奥がキュッと熱くなった。
「そんな……」
私は油の火を止めて、予約席の札を置いた席を見る。ツクモ君が袷の袖から伸びた肘をカウンターにつき、拳の上に美しい顎を置いて私に蔵面を向けている。
神ノ郷村に来て余所者扱いされて、店に誰も来てくれなくて。辛くなかったと言えば嘘だ。でも、ツクモ君がいてくれた。店を訪れてくれた人は皆、あたたかかった。
「皆さん、優しくしてくださいました」
私が今までをふり返って微笑むと、広美さんが口を左右に押し広げて笑った。
「爪弾きにされたのに、ほんま純粋な子やなぁ。うちのぼんくらが酷いこと言うたのいまだに許せんわ。帰ったらもう一発入れるわ」
「も、もうやめてください、大丈夫ですから」
「もうええんか?恨みない子やホンマ。あと二十発入れても文句ないで?」
みぞおちクラッシュで慄く北川さんを想像して、私は震えた。昂る広美さんに落ち着いてもらいたくて、揚げたて香ばしく黄金色に艶めくご縁ドーナツを提供する。
広美さんがご縁ドーナツの丸ひとつをかじると、びよんと他の丸が伸びてついてくるくらいのもちもち具合に仕上がっている。
「んーもっちりしてるのに、米粉の自然な甘さだけで一本気なとこがええよなぁ。職人芸や」
広美さんが口の中でもちもちしながらにっこり笑う。私も釣られてもっちり笑った。広美さんは八つの丸を食べきると口を開いた。
「うちのぼんくらなんやけどな。一昨日、服を切られて帰って来たんや」
「え?!切られた?!怪我をしたんですか?」
私が驚いて声をあげると、広美さんは顔の前で手を左右に振って大らかに笑った。
「ちゃうちゃう。服が切れただけやねん。しかしそれがなぁ、裂けたというか切られたというか切り口が鋭くて。環境課のもんが皆、かまいたちや言うて怯えてるんや」
「かまいたち、ですか」
コーヒーを口に運ぶ広美さんを見つめて、私は息を飲んだ。
私はその単語に思い当たることがある。かまいたちを操る塵塚怪王(ちりづかかいおう)の話だ。
「神ノ郷、いうくらいやからな。この村にはたまに不思議なことが起こるんや。だからこんなハイテクな世の中になっても呪いやー、祟りやー、妖怪やーて騒ぐもんが後を絶たんねん。うちのぼんくらは特に小心者やからな。夜の山の見回りをやりたくないとか言い出して」
「環境安全課の皆さんは、夜の見回りをしていたんですか?」
「不法投棄は夜が多いからな。環境課で夜にパトロールやってんねん」
「そうやって、村を守ってくれていたんですね」
「村を守るのが環境課の仕事や。尻叩いてでも行かせるから、任しとき」
またわっと楽しそうな笑い声が響いたソファ席を優しく見つめた広美さんは、コーヒーを手に持って立ち上がった。
「ほな、私、あっちでまた話すわ。結子ちゃん、かまいたちに気をつけや」
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