焼き餅
和也君が米粉ドーナツを持って店を出た。彼を見送ると、鈴姫ちゃんは喜び弾けた。天井を走る梁の上まで二足歩行で跳び上がってしまう。
「やったぁー!私、明日、解放されるー!」
店の中をぐるんぐるんと走り回り、無垢材のテーブルを飛び跳ね、ソファを飛び跳ね、梁の上を走り回った鈴姫ちゃんは、和笊の上に残っていた米粉ドーナツを一つ口に咥えて店から飛び出した。嬉し過ぎて話もできないようだ。
でも、そんな悦び弾ける姿を見ていると私も口の端が上がる。鈴姫ちゃんを玄関から見送った私は、玄関の引き戸をカラカラと閉めた。
「結子」
呼ばれて振り向くと、真後ろにツクモ君が立っていた。お見送りに来てくれるなんて珍しい。夕飯づくりを見に来たらしいナギ君が、いつの間にかゆるりとツクモ君の首に巻きついている。
「結子ちゃん、お邪魔してまっす!」
「いらっしゃい、ナギ君」
今日は来客が多くて目まぐるしい。
「我は結子に近づく男に、小童であろうと容赦せんが?」
「え?」
上背のあるツクモ君が私を見下して出した声は、地響きのように低かった。
「おっと、また修羅場ですか?!」
ナギ君のわくわく声に重ねて、私はツクモ君に訊ねた。
「さっきも物騒なこと言ってたけど、容赦しないってどういう意味なの?」
「我は付喪神の王。つまり……」
「古い物、の王様ってことだよね?」
付喪神といえば、古い物の神様だと認識している。だが、ツクモ君は軽く首を横に振って蔵面を揺らした。
「古いかどうかは関係ない。我の言う物とは質量。天、地、世にある全ての質量は、我が統べるもの」
ツクモ君が料理中に食材に向かって「この質量ごときが我に逆らいおって忌々しい」と言うのは何度も聞いたことがあった。
だが今回は生きとし生けるもの全てと定義している。あいかわらず言うことが壮大だ。
「そ、それで?意に添わない、その……質量はどうなるの?」
「どうとでもできるが?結子が好むように我が調理してやろう」
ツクモ君が蔵面の端をちらりとめくる。美しい造形の顎先がまろびでる。
さっきまで和也君が座っていた椅子がさっと跡形もなく消えた。まるで最初からなかったかのように。ナギ君が口角を震わせた。
「あー……これマジのやつですね。自分もうそろそろお暇を……」
ナギ君がツクモ君の肩からするりと下りて床を這おうとする。だが、紅くて長い身体がツクモ君に踏みつけられてふぎゃと潰れた音がした。
ツクモ君の蔵面が風もないのに不自然に揺れ、ちらりと顎先を見せる。先ほどまで和也君が履いていたスリッパがパッと宙に浮き、炎に包まれてから燃えかすと化した。
椅子が消え、スリッパは燃えた。和也君がこの店で触ったものが順々に消えていく。
「意思をもつ質量の精神を操ることも可能だが?結子はそっちがお好みか?」
またツクモ君の蔵面が靡くと、ツクモ君の足の下から這い出たナギ君がするするとカウンターを上り始める。
「ギャー!これ自分の意思じゃないです!顔ナシ様がやれって言ってるんですよ!質量は全員逆らえないんです!やめてぇ!」
カウンターに上ったナギ君は長い足の先の尾っぽで、先ほど和也君が触れた湯飲みを床に払い落した。ぱりんと割れる音が天井に響く。
「ひー!尾っぽが悪さを!結子ちゃん、ほんとにごめんなさいでっす!」
涙目で項垂れるナギ君は完璧にツクモ君に操られていたとわかる。ツクモ君の力を目の当たりにして喉の奥でヒュッと嫌な音が鳴った。
「か、和也君にそういうことするのはだ、ダメだよ?」
「小僧の態度次第だ。これ以上、結子に馴れ馴れしく色目を使うなら、いくら結子の頼みと言えど看過できん。我は我の思うようにする」
「普通にお話しただけだけど……」
「否」
「顔ナシ様そういうのやめた方が良いって……重いですよぉ。そもそも人と関わらなすぎなんですよぉ。だから王様の上からコミュニケーションしかできないんですよぉ……」
カウンター上でとぐろを巻いたナギ君が、ぶつぶつ不貞腐れる。
「あ、そうか」
私はご機嫌斜めのツクモ君を見て合点がいった。先日、鈴姫ちゃんからツクモ君のことを聞かされてショックだったと私は拗ねた。きっと今のツクモ君はあの時の私の状態だ。
私は今まで引きこもっていたので、ツクモ君が私に憑りついてから私が男性とお近づきになることがなかった。
仲良しだと思っていたのに突然外の世界の人が現れると、心にひゅっと木枯らしが吹いてしまうのだ。
「物は持ち主に懐くからね」
「いやいや結子ちゃん、天然行き過ぎですよ。懐くとかそんな程度の話じゃないんですよこれは……ふぎゃ!」
ナギ君がツクモ君の足に踏みつぶされた。私はうんうん頷いて納得した。
「ツクモ君、不安にさせてごめんね。私の家族はツクモ君だから安心して!一番仲良し!」
私は和也君と交換した連絡先に、すぐに連絡を入れた。
「和也君はお年頃だから、彼女とか好きな子とかいるかも。それを確認したら私に色目を使ってるわけじゃないって証明になるよね」
ツクモ君の蔵面が風に捲れるのを止めて、するんと落ち着いた。和也君にスマホで連絡して、来店時には女の子のお友だちを同行するようにお願いする。
「ではもうその連絡手段は無用だな」
ツクモ君が私のスマホ画面を横から覗くと、ブロックしてないのにメッセージ画面が真っ暗になって二度と開けなかった。
スマホも質量だが、中身にまで干渉できるのか。電子データも質量の範囲。
ということはツクモ君が言う質量とは「この世に存在するもの」という意味だろうか。この世に存在するものは全て思い通り。
もしそうだとしたらツクモ君の力って、とてつもないものだ。
「夕飯を作ろう。今日は鯵のつみれ入りだ」
「お餅は煮餅?切り餅?」
「焼き餅だ」
やっと機嫌を直したツクモ君は消した椅子も壊れたカップもすぐに元に戻してくれた。
ツクモ君は落ち着きを取り戻して自宅キッチンに立つ。焼き餅入り雑煮を作り始める。私はちゃぶ台の横でとぐろを巻いたナギ君にこそっと話しかけた。
「物を持って、ずっと仲良くしたいならメンテナンスって必要でしょ?」
「もちろんそうでっす」
「だからツクモ君のご機嫌をとるのも、物をメンテナンスするのと一緒みたいなものだよね?物の管理って、大変」
「顔ナシ様を物扱い……!いやもう、結子ちゃんの豪胆さに惚れ直」
「帰れ」
どこからか風が吹いて料理中のツクモ君の蔵面がわずかに靡く。ナギ君はまだ雑煮を食べてないのに強制送還された。
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