鈴姫猫

 次の日の夕方、学校帰りの和也君が来店してくれた。


 和也君の後ろからひょこっと顔を出したのはぶ厚い前髪をバシッと一直線にパッツン切りした女子だった。空色スカーフのセーラー服が眩しい中学生。私は店に上がる二人を出迎えた。


 和也君が彼女を連れて来てくれて心からほっとした。


「また、小僧がいらぬことをすれば、いかようにもするが。結子はどれが好みだ?」

「お好みの消し方とかないからね!?」


 ツクモ君のチクチク言葉が耳を刺したが、小声で返す。とりあえず今はお咎めなしとなった。これが王様の圧力というやつか。


 物とのお付き合いはメンテネンスが必至だ。気長に要領を覚えないといけないと心に留める。


「いらっしゃいませ、お友だちも一緒に来てくれたんですね」

「こいつ、春奈が一人で行くの怖いから連れて行けってうるさくて」


 和也君が背中の後ろを親指で指さすと、春奈ちゃんがムスッと口を膨らませる。


「和也がお姉さんに誘惑されてんちゃうかって心配して一緒に来たってんやろ!ビビリのくせに!」

「どっちがや!ビビリやったんは昔の話や!」


 二人は幼馴染か。気の置けない関係であることはすぐにわかった。中学生たちがじゃれていて可愛い。私は微笑みながら二人をソファ席に案内した。私が注文を取ってキッチンへ戻ると、春奈ちゃんのよく通る声が響いてきた。


「めっちゃ雰囲気カワイイ店やな!あっちもこっちも和風でモダン!うちこういうの好きやわぁー連れて来てくれてありがとう、和也!」

「お、おう、ええよ」


 和也君のどもった声が微笑ましい。彼女への好意が透けて見える。春奈ちゃんはスマホで店のあちこちを撮影して楽しそうだ。


「俺も昨日写真撮ったんやけど、なんでかお姉さんの写真だけ真っ暗になってたねん。これマジでお化け現象。お姉さんの写真は撮らせへんって執念を感じる」

「なにそれ、そんなわけないやん。うちのことビビらそうと思ってるやろ?!」

「ちゃうって!マジなんやって!」


 心当たりがあるお化け現象にツクモ君の顔を見ると、彼は小首をかしげている。


「我が結子の画を他の男に渡すわけがなかろう?」


 何やら楽しそうにクックと笑うツクモ君がご機嫌なので、まあ良しとする。王様と家族をやるには深い懐が必要だ。


 お化け現象に盛り上がる中学生たちを横目に私がドーナツを揚げ始めると、カラカラと玄関の引き戸が開いた。


 鈴姫ちゃんが三和土から上がって来て、カウンター席に座って後ろ足を偉そうに組んだ。私が口パクでいらっしゃいませと告げると、鈴姫ちゃんが肉球を見せてくれた。サムズアップのつもりだろうか。こちらもご機嫌な様子が二足歩行の体全体からあふれ出ていた。


 ドーナツを揚げる香ばしい匂いが店中に立ち込めると、写真を撮るのに忙しい春奈ちゃんを置いて、和也君が一人でカウンターの前にやってきた。ツクモ君の首が動いて和也君に蔵面が向く。


 だがツクモ君の視線を感じない和也君はマイペース。和也君は小さな紙袋をさっとカウンターに置いた。


「これで、取引は完了やで」


 妙に芝居がかる和也君が可笑しかった。「秘密の取引」の香ばしさに中学生の心が疼くのだろう。私は紙袋を受け取って中身を確認した。


 錆びた鈴のついた簪が入っている。私は鈴姫ちゃんにこれで間違いないか目配せした。鈴姫ちゃんは首を上下に激しく振った。


「間違いないです。ありがとう、和也君」

「ええよ。俺にはもう必要ないから……でも、昨日おかんに聞いたんやけど」


 和也君は紙袋を見つめてぽつぽつ話した。


「俺が小さかった時、その簪を振り回して、鈴を鳴らして遊んでてんて。俺が気に入って遊んでたから、ばあちゃんが簪を俺にくれたらしいわ」


 鈴姫ちゃんが目を丸くして食い入るように和也君の顔を見ていた。


「そんなんすっかり忘れて。引き出しの奥で錆びつかせて……悪かったなって思った」


 持ち主の和也君の言葉を聞いた鈴姫ちゃんの目に、一瞬で、涙の膜が張った。


「ついでに引き出しの中身を全部整理してん。役目が終わった物をいつまでも暗い所に押し込んでたら可哀想やと思って。使えへん、大事にでけへんやったら、せめて明るいところに出して……さよならくらい、ちゃんとするのが、持ち主の務めやなって思って」


 寂しいなんて気持ちはないから捨てて欲しいと、鈴姫ちゃんはきっぱり言っていた。なのに、鈴姫ちゃんの猫目からぼろぼろと涙が落ちた。


 きっと持ち主が寄せてくれる想いは、物にとって特別なのだろう。肉球で何度涙を拭いても、鈴姫ちゃんの目からはまた涙があふれた。


「……結子、お願い。和也に伝えて」


 泣き猫の鈴姫ちゃんが小さな声で私に告げた。


「小さな和也が私と一緒に遊んでくれて、楽しかった。夜が怖くて泣いてた和也が私の鈴の音で安心して、ぐーぐー眠ったこと……ずっと忘れない」


 チリンチリンと鳴る鈴の音で小さな和也君が眠った愛しさは、鈴姫ちゃんが引き出しの中で抱きしめてきた思い出なのだろう。幼い和也君と過ごした一時は鈴姫ちゃんにとって、きっと宝物。


「私が和也のために働けたのは束の間だったけど、幸せだったって伝えて」


 もう戻れないあの時が、すごく大切だったと噛みしめる鈴姫ちゃんの気持ち。私にもわかる。私はもらい泣きを堪えて、和也君に顔を向けた。


「信じられないかもしれませんが。私、物の声が聞こえるんです」


 和也君は目を丸くした。


「鈴姫ちゃ……簪は、和也君と一緒に遊んだこと、鈴の音で和也君が眠ってくれたこと。すごく幸せだったって、ずっと忘れないって言ってます」


 和也君は呆然と私を見つめて、所在なさげに後頭部をかいた。


「お姉さんやっぱり俺の言う通り不思議っ子やん……でもお姉さんの言うこと、信じるわ。だってホンマに言うたところに簪あってビビったから。物の声が聞こえるくらいやないと説明つけへん。簪に助けてって言われたんやんな」


 和也君は私が手に持った簪に向かって、静かに言った。


「君は俺のこと大事に思ってくれてたのに、俺は君のこと大事にでけへんくて……ごめん」


 鈴姫ちゃんは顔を肉球で覆いながら、何度も首を横に振った。


 物は人の役に立ちたくて生まれてくる。

 物は自分を選んでくれた持ち主を、無条件に、愛さずにはいられない。


 きっと鈴姫ちゃんは身を粉にしても尽くしたかったはずだ。でももう、自分が彼にとって不必要であることもわかってしまっている。


「こんなん言うても信じられへんと思うけど、俺これからはもっと物を大事にする。俺が物を大事にしようと思ったキッカケになった君を、忘れへん」


 鈴姫ちゃんはもう肩を震わせて泣いていた。「忘れない」なんて、物にとって喉から手が出るほど欲しい言葉だろう。和也君は最後に鈴姫ちゃんにきっちり向き合ってくれた。


「和也ー?何やってんのー?」

「ほな……バイバイな。今までありがとう」


 春奈ちゃんに呼ばれた和也君はくるっと背中を向けて、ソファ席に戻って行った。


「私もありがとう。バイバイ、和也」


 鈴姫ちゃんの涙声の別れが和也君に届くことはない。私が涙を飲みこんでドーナツを仕上げる間、鈴姫ちゃんはカウンター席でずっとしゃくりを上げていた。


 鈴姫ちゃんは和也君の手を離れて、捨てられた。和也君は持ち主の責務として、自由を求める鈴姫ちゃんを解放したのだ。


 役目を終えたものに感謝を伝え、手放す。捨てることもまた誠意だ。

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