付喪神の挨拶
次の日。閑古鳥が鳴く古民家で夕方までぼんやりしていると、カラカラと玄関の引き戸の開く音がした。
「お客様?!」
若草色のエプロンをつけた私は初めてのお客様の予感にドキドキしながら、慌てて玄関へお出迎えに向かった。
「いらっしゃいま、せ?」
私は今まであたり前に、店に来るお客様は「人間」だと思っていた。人間の言葉を話す二足歩行のまだら猫を見るまでは。
「私が視えるのね?」
凛とした顔つきのまだら猫さんは後ろ足であるはずの二本の足で、堂々と二足歩行しながら日本語を話した。どう見ても普通の猫ではない。
私は口をぱっくり開けた。このまだら猫はもしかしたら、ツクモ君と同じあやかしなのかもしれないと思い当たった。
私はさっとツクモ君に目配せする。「このお客様はあやかしだよね?」と目で聞くと、ツクモ君はこくりと蔵面で頷いた。やはりそうか。
まだら猫さんは私が案内する前に、二足歩行でびょんと跳躍し、一目散にカウンター最奥席へ向かった。そしてツクモ君に話しかけ始めた。
「完全な人型のあやかしなんて初めて見たわ!」
椅子に座るツクモ君をしげしげと見上げて、まだら猫さんは感嘆した声をだす。ツクモ君のような人型はあやかし界隈では珍しいような反応だ。
「呼ばれたから半信半疑で来てみたけど……」
「呼ばれた?」
彼女は「呼ばれた」から私の店にやって来たという。まさか、昨日ツクモ君が客を呼ぶと言っていたやつだろうか。ツクモ君とは常に一緒にいるが広報活動をしたそぶりは一瞬もなかったが。
「顔ナシ様って本当に存在したのね」
まだら猫さんはツクモ君を「顔ナシ様」と呼んだ。ツクモ君がそう呼ばれているのを私は知っていた。けれどそれは親しい間柄だけの、あだ名だと思っていた。
その呼び方が公称なのか。
確かに顔は隠れているが、それが「顔がナイ」という解釈はどうなのだろう。あの蔵面の向こう側って顔がないのか。顎が見える時があるのに。それはちょっと怖いかも。
私はまだら猫さんに注文を聞くのも忘れてその場を見守った。
「会えて光栄だわ、顔ナシ様」
まだら猫さんは猫らしく床に前足を突き、恭しく頭を垂れ、地面に擦りつきそうなほど額を床に近づけた。すると、ツクモ君が反応して立ち上がる。
ツクモ君はまだら猫さんが頭を垂れる前に、すっと右足を一歩差し出した。まだら猫さんはツクモ君が差し出した右足先の甲に額を擦りつける。爪先に忠誠のキスをしろ、と同じような光景に見えた。
なんて不遜な態度。まさに王様。
私は瞬きするのも忘れてしまった。あやかしには厳しい上下関係があるのが見て取れた。これが挨拶の儀式だとでも言うのだろうか。ツクモ君は一言も話さなかった。
私が呆然としているうちに挨拶は終わったのか、ツクモ君が指定席に座り直す。まだら猫さんは二足歩行で広いカウンターの一席に移動した。
「ここは何を出す店なの?」
見慣れない状況に出遅れた私は接客を思い出した。キッチンに入り、カウンターの向こう側に座った彼女にひきつった笑顔を向ける。
「いらっしゃいませ。小さなドーナツ屋さんのメニューは米粉ドーナツと、中深煎りコーヒーのみです。甘い方がお好きなら米粉ドーナツにきび糖をトッピングできますよ」
「メニューがそれだけなんて湿気た店ね」
「簡素で素朴、体に良いがモットーです」
まだら猫さんはため息をついてからしぶしぶ両前足を胸の前で組んだ。
「じゃあセットで。もちろん、きび糖たっぷりでね」
「かしこまりました」
先ほど謎の挨拶において、不遜だったのはツクモ君だ。しかし今は「お客様は神様です」を地でいくまだら猫さんの方がずっと偉そうだ。
だが、偉そうであろうと、あやかしであろうとお客様が来たことは喜ばしい。私はウキウキしながらドーナツを揚げ始めた。まだら猫さんからさっそく苦情が入る。
「え?!今から作るの?」
「揚げたてが最高なので」
「ハァーやってらんない。アンタのんびりしてんのねぇ」
「ドーナツとコーヒーでゆっくりしてもらう店ですから。私がせかせかしていてはいけませんよね」
私はお客様と会話しながらの作業が楽しくて、ふふっと笑いつつ米粉ドーナツを米ぬか油に優しく投入した。ジューとそそる音が鳴り、魅惑の香りが漂い始めるとまだら猫さんは黙った。
美味しい匂いは心を丸くして、平和をもたらす。
まだら猫さんはカウンター机の上に飛び乗ってちょこんと座り、わざわざキッチンの中を覗き込んで私の作業を見守った。そうやって興味を持ってもらえると、思わず顔がほころんだ。
「ドーナツを作るのが好きなの?」
「大好きです。三食ドーナツでも大丈夫なので、よく叱られます」
「それは異常だわ……」
私が間髪入れずに答えるとまだら猫さんは「好きなこと、できていいな」と呟き、それっきり黙ってしまった。
揚げたての米粉ドーナツにたっぷりのきび糖をふりかけて。中深煎りコーヒーと共に提供すると、まだら猫さんはすぐ齧りついた。
「もちふわヤバっ!え、アンタすごいじゃん、そんなぽやっとしてるのに凄腕だったのね!」
和カップも和皿も空っぽになって、ふにゃっとしたまだら猫さんの顔を見ると私も満たされた。来た時より随分と丸い表情になったまだら猫さんと名前を教え合う。
米粉ドーナツを食べるとふっと口が軽くなってお喋りになる現象は、私も経験済みだ。まだら猫さんは「鈴姫」という可愛い名前で、私はさっそく呼び捨てにされた。
「結子、あなた私が何のあやかしかわかる?」
「いえ、全くわかりません。ツクモ君ともう一人しかあやかしを知らないので」
鈴姫ちゃんの猫顔がヒッと怯えたように歪んだ。
「顔ナシ様に『ツクモ君』だなんて……!結子、即死ものの無礼よ?!」
「え、そうなんですか?」
私は片手で口を覆った。だがもう遅い。すでに何度即死の罪を犯したかわからなかった。鈴姫ちゃんは早口でまくしたてる。
「顔ナシ様って言ったら、伝説級の付喪神様なのよ!?人型は本当に稀有で、人型であること自体が恐ろしいほどの強さの象徴よ」
「お、恐ろしい?」
「付喪神は『物』から生まれるあやかしだから、その物自体が生きた年月、それがそのまま能力の強さに比例していくの。顔ナシ様が宿っている物なんてもう何億年も存在し続けてるって話なんだから!」
「ツクモ君って、そんなにすごいんですか……」
「付喪神の能力なんて普通は悪戯程度よ。私なんて鈴の音で幼い子を眠らせてあげるくらいのもの。なのに、顔ナシ様は目を見れば破裂して、口を開けば霧散して、顔を見たらこの世に生まれたことを後悔したまま即死!なんて言われているわ!けど、絶世の美男子だっていうもっぱらの噂だけどね!一体、誰が見たんだか!」
鈴姫ちゃんはツクモ君の噂を次々と教えてくれた。男前のツクモ君と関わると何をしても死ぬと聞こえた。え、物騒。
「格が違うのよ。でもまあ……そんな無礼をしても結子は生きてるんだから、顔ナシ様は許容してるのよね。結子って何者なの?」
「私はただの人間ですよ?」
私の間抜けな表情を見て、鈴姫ちゃんは大ため息をついた。
「あやかしを見ることができる人間は、あやかしが姿を見せると『許可』を与えた人間なの。人間に見る見えないの能力差があるわけじゃない。私たちあやかし側に決定権がある。あ、ドーナツおかわり」
矢継ぎ早に繰り出されるあやかし情報が整理しきれない。話に追いつくのが精一杯だ。鈴姫ちゃんが来てからツクモ君はなぜかだんまりで何も言わない。私は手を動かしながら指定席のツクモ君を見た。
「ツクモ君どうしたの?」
「何がだ」
「だって何も話さないから」
「我は我の話したいものとしか話さん。結子と眷属以外はただの質量であり我にとっては無に等しい。口を開く理由がない」
鈴姫ちゃんがぽかんと口を開け、私はアハハハと乾いた笑いを漏らした。他人のことを質量だなんて言ってしまう価値観に驚く。
あまりに横柄なツクモ君。私はおかわりドーナツを用意しながら、ツクモ君が自分のことを少しずつ教えておいてくれたら良かったのにと、少し臍を曲げた。
鈴姫ちゃんはおかわりドーナツを齧って続きを話す。
「つまり、顔ナシ様は結子に姿を見る許可を与えたってこと。顔ナシ様って人間に姿を見せないのが定説なのよ?あなた自分を普通の人間みたいにいうけど、顔ナシ様にとって唯一無二に決まってるじゃない」
「そんな大層なものじゃないと思うんですけど……」
ツクモ君は最奥カウンター席で置物のように静かに座っている。今こそいつもの王様加減で否定するべきところだと思うのだが。
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